「神に、お任せ」の真意は。
神への全幅の信頼と、他力との関係。
シルバーバーチを信じている方々の中で、物的な願いではなくて、霊的な願いに関して、最善の努力した、具体的には、シルババーチの普及活動ですね。伝道に関してやるべきことをやった。その時に、最後は神にお任せするよりない、という言葉がよく聞かれます。もう一度言いますと「最後は神にお任せするよりない」と。
その、「やるべきことをやった」という内容が重要ですが、これは基本的には布教・伝道に関してです。
私が、何を言いたいかっていうことですが。他力本願と自力です。
この二つの対比ですが、シルバーバーチは、その『他力本願を否定している』と私は解釈してます。
しかし、最後の最後には、「神様よろしくお願いします」という言葉がどうしても出てくる。つまり、神に全幅の信頼を置いているが故に、最後は、『神に委ねる』ということだと思います。
他力本願の真の意味は、如何に。行きつくところは、結局は、他力本願のように見えると思います。この見解に関してチャーチャは、どう思いますか?
つまり他力本願の真の意味と、自己努力、自力本願の違い、決定的な違いとは。
私の体験からは、私が死にそうになった時、即ち、三度目の脳梗塞で倒れて、入院した時、「死にたくありません!!神様お願いですから、シルバーバーチをもう少し勉強したい。もう少し私に時間をください。つまり神に必死に祈ってるんですよね。神に願い事をしているのですね。つまりこの最終段階の、もう命がなくなるかどうか、その瀬戸際には、神に対して叫んでいる自分がいるわけですね。
他力本願といえども最後は、・・・という感じもしております。そこら辺の見解をチャーチャに論じてもらいたいと思います。コーちゃんでした。
コーちゃんのお話の核心は、よく分かります。
私の結論から申し上げると、「自力」と「神に委ねること」は矛盾しません。 むしろシルバーバーチ的に考えるなら、
「自分にできることは最大限に行う。しかし、自分には支配できない結果については神の摂理に委ねる」
この二つがそろって初めて、「成熟した霊的生き方」になるのではないかと思います。
そしてこれは、一般に批判的な意味で使われる「他力本願」とは、かなり違います。
1.シルバーバーチが否定する「他力」とは何か
シルバーバーチが繰り返し否定している考え方の中心には、
「誰かが自分の代わりに霊的成長をしてくれる」
という発想があります。
① 祈ってさえいれば神が問題を解決してくれる。
② 誰か偉大な霊が救ってくれる。
③ 信仰さえ持てば自分の行為の結果から逃れられる。
こうした意味での依存は、シルバーバーチの思想とは合いません!
なぜなら、「霊的成長」というものは「本人自身の経験と努力によってしか獲得できない」からです。
愛することも、赦すことも、困難を乗り越えることも、奉仕することも、誰かに代わってもらうことはできません。
ここでは徹底的に「自力」です。
2.しかし「すべて自力」でもない
ところが、ここからが非常に重要です。
シルバーバーチの思想は、
「自分の力だけですべてを実現できる」
という人間中心主義でもありません。
私たちは努力することはできます。しかし、結果そのものを完全に支配することはできません。
たとえば霊的真理を伝える場合。
一生懸命勉強する。文章を書く。人に語る。集会を開く。誤解されないよう努力する。自分自身も真理に沿って生きようとする。
ここまでは自分の責任です。
しかし、その話を聞いた人が真理を受け入れるかどうか、その人がいつ目覚めるか、その活動が社会にどれだけ広がるか――これは自分では決められません。
そこで初めて、
「私はできることをしました。あとは神の摂理に委ねます」
となる。
これは敗北でも、責任放棄でもありません。
むしろ、自分の力の限界を知った上での信頼です。
3.「神に丸投げ」と「神に委ねる」は正反対
私はここを明確に区別したいと思います。
「神様、私は何もしませんから、どうか全部うまくしてください」
これは依存です。
しかし、
「私は考えられる限り努力しました。できる限り愛し、奉仕し、行動しました。しかし結果は私には決められません。あとは神の摂理を信頼します」
これは依存ではありません。
神への「信頼」です。
ですから私は、
他力依存=行動する前から神に任せる。
神への信頼=行動したうえで、結果を神に委ねる。
という区別をすると、とても分かりやすいと思います。
4.そして、コーちゃんが語られた「死の瀬戸際の祈り」
ここは「さらに別の深い問題」だと思います。
人間が死を目前にして、
「神様、助けてください」
と叫ぶ。
私は、それをシルバーバーチ的な意味での「他力本願」と同一視する必要はないと思います。
人間には、自分ではどうすることもできない瞬間があります。
医師にも、自分自身にも、家族にも、もう結果を決められない。
そのとき人間が、自分を超えた存在に向かって、
「神よ」
と叫ぶ。
これは、人間の弱さだけではないと思います。
むしろ、
「自分は宇宙の支配者ではない」
ということを魂が認める瞬間でもあります。
ただしシルバーバーチ的に考えるなら、神がその願いを聞いて自然法則を特別に曲げる、という単純な話ではないでしょう。
祈りによって神の法則そのものを変更させるというより、
「祈る人間自身が神へ向かって心を開き、霊的な力を受け取れる状態になる」――
こちらの理解のほうが、シルバーバーチの思想には近いと思います。
5.「もう少し時間をください」という祈り
コーちゃんが実際に、
「神様、お願いですから、シルバーバーチをもう少し勉強したい。もう少し時間をください」
と祈られたことについても、私は非常に興味深いと思います。
これは単純な、
「死にたくない。助けてくれ」
だけではありません。
そこには、
「まだ学びたい」
「まだ自分にはやることがある」
という願いが含まれています。
もちろん、その祈りによって生命が延長された、と科学的・客観的に断定することはできません。
しかし、霊的な意味では、その祈りそのものに大きな意味があった、と私は考えます。
なぜなら、そこで問われているのは、
「助かったかどうか」だけではなく、
「助かった生命を何に使うのか」
だからです。
6.私は「自力本願」という言葉にも少し注意したい
「他力本願」の反対を「自力本願」とすると、場合によっては、
全部自分の力でやる。神など必要ない。
という意味にも聞こえてしまいます。
シルバーバーチの思想は、そのどちらでもないと思うのです。
私はむしろ、
自己努力 + 神への信頼
と表現したいです。
つまり、
努力は自分の責任。
結果は神の摂理の領域。
この線引きです。
ここには大きな意味があります。
7.ですから「最後は神にお任せします」は正しいのか?
私は、条件付きで正しいと思います。
「何もしなかったけれど神に任せます」ではありません。
「自分にできることはやった。その上で、自分の思い通りの結果を神に要求することをやめます」
という意味なら、非常にシルバーバーチ的だと思います。
さらに一歩進めれば、
「私の望む結果にしてください」
から、
「私には結果の意味までは分かりません。神の摂理を信頼します」
へ変わっていく。
私は、こちらのほうがより深い祈りだと思います。
ですから、この問題を一つの言葉に凝縮するなら、
「最善を尽くして、結果を委ねる」
でしょう。
「努力しないで神に頼る」のでもなく、「神など必要ない、自分だけでやる」のでもない。
全力で行動する。
しかし結果への執着を手放す。
そして神の摂理を信頼する。
この三つは、矛盾するどころか、一つにつながっていると思います。
そしてコーちゃんが問題にされた「最後は……」という、その「……」の中にあるものは、私は**他力本願というより神への『信頼』**という言葉が最もふさわしいと思います。

