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黄輝光一の祈りの言葉「実践編」 

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黄輝光一の祈りの言葉「実践編」 

最初に、天啓光臨、守護霊さまと、唱える。 

  1. 我に、インスピレーションを与えてください 
  1. 我に、霊力を与えてください 
  1. 我に、力を! 
  1. 我に、愛と奉仕のチャンスを与えてください 
  1. 愛と奉仕を!! 

ズバリ、以上5点です。 

   

コウちゃん、よく分かりました。今回は一般論ではなく、実際に長年続けている祈りそのものについての問いですね。 

結論から申し上げると、私はこの祈りを**「正しくない祈り」とは思いません**。むしろ、先ほど私が整理した10項目(前回のエッセイのシルバーバーチの正しい神への祈り)と照合すると、核心部分ではかなり重なっています。 

ただし、シルバーバーチそのものの言葉と、コウちゃん自身が作り上げた祈りとは、きちんと区別したほうがよい。そこを守れば、とても興味深い「個人的実践としての祈り」だと思います。 

まず、5つの祈りを一つずつ見てみます 

    

①「私にインスピレーションを与えてください」 

これは非常に自然だと思います。 

ただしシルバーバーチ的にさらに深くするなら、 

「私の望む答えをください」ではなく、「より正しいものを受け取れるよう、私の心を整えてください」 

という意味で唱える。 

そうすると「お願い」から「波長を合わせる祈り」へ変わります。 

    

②「私に霊力を与えてください」 

これも私は否定しません。 

ただ、「霊力」を超能力的な力や特別な力という意味にしてしまうと、シルバーバーチの中心思想から離れていく危険があります。 

むしろ、 

愛する力、耐える力、許す力、奉仕する力、困難に負けない力。 

そういう意味での「霊力」であれば、非常に深い祈りになります。 

つまり、 

「霊力をください」=「私の中の霊性が、もっと発揮されますように」 

と私は解釈します。 

   

③「我に力を!」 

私はこれが面白いと思いました。 

言葉だけを見ると非常に強烈です。 

しかし、その「力」が、 

「勝つ力」 
「他人を支配する力」 
「成功する力」 

ではなく、 

「自分の使命を最後まで果たす力」 

ならば意味が全く違います。 

病室で切羽詰まった状況から生まれたという背景を考えれば、これは理論的な祈りというより、まさに魂から発した短い叫びだったのでしょう。 

祈りは必ずしも長文である必要はありません。 

「我に力を!」 

たった五文字でも、その人の全存在が込められていれば、長い祈祷文以上の意味を本人に持つことは十分あります。

      

④「私に愛と奉仕のチャンスを与えてください」 

この五つの中で、私はこれを最もシルバーバーチ思想に近い祈りだと思います。 

なぜなら、 

「私に何かをください」 

と言いながら、求めているものが自分の利益ではないからです。 

求めているのは、 

「誰かのために役立つ機会」 

です。 

これは先ほどの実践編⑨、 

「私に何を与えてください」から「私は何を与えることができますか」へ 

と、ほぼ重なります。 

   

⑤「我に愛と奉仕を」 

そして最後にここへ戻ってくる。 

これも重要です。 

①インスピレーション 
↓ 
②霊力 
↓ 
③力 
↓ 
④奉仕する機会 
↓ 
⑤愛と奉仕 

こう並べると、一つの流れが見えてきます。 

最初の三つで求めた「力」が、最後には自分自身の利益ではなく、愛と奉仕へ向かっている。 

だから、この五つはバラバラではありません。 

私はむしろ、 

「力を受ける → 愛として使う → 奉仕として実践する」 

という一つの祈りとして読むことができます。 

   

「守護霊様」と祈ることについて 

ここは少し慎重に分けたいところです。 

シルバーバーチ自身の祈りは、基本的にはGreat Spirit(大霊)に向けられています。 

したがって「守護霊様」と呼びかけることを、そのまま「シルバーバーチ自身の祈り方」として紹介するのは正確ではありません。 

しかし、 

「守護霊に心を向け、導きを求める個人的な霊的実践」 

として行うことまで否定する必要もないと思います。 

ですから公式サイトなどに掲載するなら、 

「これはシルバーバーチの原文の祈りではなく、 

シルバーバーチの思想を学んだ私自身が実践している個人的な祈りである」 

と一言明記する。 

これだけで、学問的にもかなり誠実になります。 

   

「天啓降臨」について 

これも同じです。 

「天啓降臨」という言葉そのものをシルバーバーチの教義として扱うのではなく、長年使ってきた、自分自身を祈りの状態へ切り替えるための言葉と位置づけるなら、私は何の問題も感じません。 

いわば「心のスイッチ」ですね。 

「天啓降臨」と唱える。 

すると、 

日常意識 → 静かな祈りの意識 

へ自分自身を切り替える。 

この意味なら理解できます。 

ただし、「この言葉を唱えれば必ず神が聞き耳を立てる」ということを客観的事実として証明することはできません。そこは、本人にとってそう感じられる祈りの象徴として大切にするのがよいでしょう。 

   

【場所を選ばないことについて】 

これも私は賛成する部分が大きいです。 

祈りは、 

教会でなければならない。 
神社でなければならない。 
祭壇の前でなければならない。 

というものではない。 

静かな瞑想中でもいい。 

街の中でもいい。 

夜空の下でもいい。 

一分でもいい。 

十秒でもいい。 

重要なのは、その瞬間に心がどこへ向いているかでしょう。 

ただ、自転車に乗りながら夜空を見上げたり、祈りに深く集中したりするのは、祈りとは別問題として交通安全上おすすめできません。走行中は周囲と進行方向への注意を最優先にして、深い祈りは停車してから、がよいと思います。 

   

そして「毎日続ける」ということ 

私はここが非常に重要だと思います。 

一時間の祈りを年に一回する。 

それより、 

30秒でも毎日、自分の心を愛と奉仕へ戻す。 

このほうが、少なくとも「生き方を変えるための実践」としては意味を持ちやすい。 

そしてコウちゃんが最後に言った、 

言葉はいらないかもしれない。 

これは非常に重要なところまで来ています。 

究極的には、 

言葉 → 静寂 → 意識 → 生き方 

へ進んでいくのでしょう。 

ただ一つ、私は「守護霊との通路は常に全開である」と客観的事実として断言することはできません。 

しかし、 

「いつでも自分の心を静め、愛・奉仕・良心・より高いものへ意識を向けられる状態を保つ」 

という意味なら、これは非常に美しい実践だと思います。 

そして、この五つの祈りを私なりに一行へ凝縮すると、こうなります。 

「私に智慧と力を。そして、その力を自分のためではなく、愛と奉仕のために使わせてください。」 

私は、ここにコウちゃんの「30秒の祈り」の核心があると思います🐷