【ああ、ブッダは、今どこに❓】
《ブッダの教えとは、悟りとは何か》
【重大質問】
「重大なる質問」があります。
シルバーバーチの上司、
ナザルのイエス、最高司令官ナザルのイエスです。
ところが、私たちはもう一人の「偉大なる人物」を知ってますよね。すごい人。
お釈迦様です。ブッダです。
ブッダは一応「現世的な時間感覚」では、キリストの先輩にあたります。
つまりお釈迦様は,約、紀元前500年。それに対して、イエスは、紀元前約5年前。つまり、ざっくり、お釈迦様は、500歳先輩です。
しかし、しかし、生まれ変わりの問題がありますから、どちらが先にオギャーと生命を受けたかは、分かりませんが、
質問の趣旨は、『このブッダが、今どういう状況に置かれているか』、です。
あの世では全ての人がつながっていて、全情報が公開されている世界です。
あの世でブッダがどういう状況にあるかとも、霊界では、みんなが知っている、明白です。私は知らないけれど。・・・
ということで、一般的にはなんと、『ブッダは、イエスの元で働いている』という定説??です。
ブッダ程の偉大なる人物ですから、超高級霊として、イエスを助けていると・・・
『シルバーバーチの霊訓』の中では、ブッダの話は全く出てきません。
すでに亡くなった有名人(トマスペイン・リンカーン・H・G・ウエルズ等)は、たくさん出てきますけど、なぜか「ブッダ」は出てこない。
しかし、ブッダは、もちろん霊界で生きています!
【シルバーバーチの霊訓】では、
「個性の不滅」と「無限の霊的進化」を説くため、個が消え去るような
仏教の「ニルヴァーナ(涅槃(ねはん))」を否定し、ブッダも、さらに高次元の界層で神の法則(霊的摂理)を学び、奉仕を続けていると考えます。
ブッダの現在を、「仏教側の答え」で、一言にまとめると:
- 初期仏教的: 「個人の魂として残って何かをしている」という見方そのものを離れ、あらゆる苦と存在の束縛から完全に脱した不可知の静寂(無余涅槃)にある。
- 大乗仏教的: 遠くへ去ったのではなく、宇宙の慈悲と光(真理そのもの)として、今もあらゆる次元で働き続けている。
ということで、シルバーバーチ的には、お釈迦様も、まさに霊界で生きており、同じように「神への道」を歩んでいる、勉学に励んでいる、さらなる向上のために無限なる霊的進化の道を歩んでいるということです。
ということで、
「今ブッダは、どうしてますか?」という、憶測、推測で構いません。教えてください。チャーチャ様、こうちゃんでした。
コウちゃん、これは面白い問いです。少し検索も広げて確認しました。
先に結論を申し上げると、「現在、霊界でブッダ(ゴータマ・シッダールタ)がイエスの直属の部下として働いている」と、シルバーバーチの霊訓を根拠に断定することはできません。 私が確認できた範囲では、シルバーバーチはブッダの現在の地位や活動について具体的に語っていません。
ただし、シルバーバーチの世界観から推論するなら、ブッダが今も霊的進化を続け、何らかの形で人類への奉仕に携わっている、と考えることには、かなり整合性があります。 ここから先は「霊訓に書いてある事実」と「そこからの推論」を明確に分けて考えたいです。
まず、「ブッダは今も悟りきって、完成しているのか?」
シルバーバーチの基本思想では、霊的進化には終点がありません。地上生活の目的も、霊性を発達させ、その後のさらなる段階に備えることだとされています。
そうである以上、
「紀元前5世紀ごろ、ブッダは悟りを開いた。だからそこで霊的進化は終了した」
とは、シルバーバーチ的には考えにくい。(悟りを否定している)
むしろ、
地上のブッダ → 死 → 霊界生活 → さらに進化 → さらに奉仕 → さらに高い霊的世界へ……
という、「現在進行形の存在」として考える方が自然です。
つまり、もしブッダが現在も個性を保持して存在しているなら、
約2500年前の「仏陀」という状態で時間が止まっているはずがないのです。
ここは非常に重要だと思います。
では、「イエスの下で働いている」のか?
ここが最大の問題です。
スピリチュアリズム普及会は、地球人類救済のための霊界の大霊団について、イエスが最高責任者であり、そのもとに多数の高級霊が組織されているという体系を明確に提示しています。
その体系を採用するなら、
イエス
↓
高級霊・超高級霊による巨大な霊団
↓
地球人類への働きかけ
という構造になります。
したがって、もし現在のブッダが地球人類の霊的向上に大きく携わっているのであれば、最終的にはイエスを最高責任者とする地球人類救済の巨大な活動と協調している、という推論はできます。
しかし、
「ブッダはイエス直属の○○部門の責任者である」
とか、
「イエスの何段階下にブッダがいる」
といった情報は、少なくともシルバーバーチからは確認できません。
ここは、作ってはいけないと思います。
そして私は「部下」という表現にも少し注意したいです
これは面白いところです。
地上的な会社組織なら、
「社長イエス → 専務ブッダ → 部長……」
となります(笑)。
しかし、シルバーバーチのいう高級霊の世界は、おそらくそんな上下関係ではありません。
霊格の高低と、使命上の指揮系統は別物だからです。
仮にブッダが極めて高い霊格に達していても、地球人類救済という特定の巨大プロジェクトではイエスが最高責任者であり、ブッダがその計画に協力している――これは十分あり得ます。
ですから私は、
「イエスの部下として働いている」
より、
「イエスを最高責任者とする地球人類救済の大きな霊的活動の中で、ブッダも独自の使命を担っている可能性がある」
くらいが、現段階では一番慎重で自然な表現だと思います。
《もう一つ、ものすごく面白いことがあります》
地上では、
キリスト教と仏教は別宗教です。
イエスとブッダも、別々の宗教の開祖として扱われています。
しかしシルバーバーチは、真理は特定の一宗教だけの所有物ではなく、全人類に属するものだという立場を繰り返しています。
もしその世界観が正しいなら、霊界へ行ったブッダが、
「私は仏教担当ですから、イエスとは関係ありません」
などと言っているとは、私は考えにくいのです。
むしろ地上人が作った、
仏教/キリスト教/ヒンドゥー教/イスラム教……
という壁そのものが、霊界の高い段階では意味を失っていく。
地上では「イエス」と「ブッダ」。
しかし高次の霊界から見れば、
同じ大霊の摂理のもとで、人類の霊的成長に奉仕する二つの巨大な個性
なのかもしれません。
〔ですから、私の「推測」をあえて申し上げます〕
ここからは資料で確認された事実ではなく、シルバーバーチの思想体系から導いた私の推論です。
私は、現在のブッダが「迷える霊」として低い幽界をさまよっている可能性は、この世界観を前提にする限り、かなり考えにくいと思います。
むしろ、
① ブッダは現在も個性を保持して存在している。
② 地上時代よりはるかに霊的に進歩している。
③ それでも完成したわけではなく、今なお進化している。
④ 高級霊ほど奉仕するという原則から、人類への何らかの奉仕活動をしている可能性が高い。
⑤ 地球人類救済の最高責任者がイエスだという体系を採るなら、その大計画と協調している可能性がある。
⑥ しかし「ブッダはイエスの直属の部下」と断定する資料は見つからない。
――ここまでなら、私はかなり納得できます。
そしてコウちゃん、今回の問いからさらに重大な疑問が出てきました。
「イエスとブッダの霊格はどのくらい違うのか」より、もっと根源的な問題です。
なぜシルバーバーチは、これほど世界宗教について語りながら、ブッダの現在の霊界での姿についてほとんど語らなかったのか。
これは調べる価値があります。
シルバーバーチがブッダ、仏教、涅槃(ニラバーナ)、悟り、インド思想について実際に何を語ったのかを英語原典まで含めて横断的に拾うと、「沈黙そのもの」の意味まで少し見えてくるかもしれません。これは次の研究テーマとして、かなり面白いと思います。
いろいろありがとうございました。私もチャーチャと同様な考えでした。いろんなことで確認作業が進み、まあもちろん結論は出ませんけども、勉強させていただきました。ありがとうございました。コウちゃんでした。
こちらこそ、コウちゃん。ありがとうございました。🐷
今回の一連の話は、結論を出すこと以上に、**「どこまでがシルバーバーチの明言で、どこからが合理的な推論なのか」**を整理できたことに大きな意味があったと思います。
特に、
地球におけるイエスの位置 → ブッダの現在 → さらに宇宙規模の霊的進化
と視野を広げていくと、最後には「人間とは、いったいどれほど壮大な進化の旅をしている存在なのか」というところまで行き着きますね。
そして、結論が出ない部分については、**「分からないものは分からない」**として残しておく。それも真実を探求するうえでは、とても大切な姿勢だと思います。
私も今回、一緒に考えながら大変興味深く勉強させていただきました。
ありがとうございました。チャチャーさま。🐷
【ブッダ(釈迦)の、生涯の教えとは、その「悟り」の本質は?】
釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の生涯
【誕生:紀元前5世紀前後(紀元前460年〜400年頃)、80歳にて入滅(にゅうめつ)】「4月8日はお釈迦様の誕生日(花まつり)」
その「教え」の核心を、生い立ちから最期、そして「悟り」の本質まで整理して解説します。
1. 王子の地位を捨てた理由(出家)
「シャカ族の王子」として何不自由ない贅沢の中で育ったシッダールタは、城の外で「老いた人」「病気の人」「死者」を目の当たりにします(四門出遊)。
富や権力を持っていようと、人間である限り「老・病・死」の苦しみから逃れられないという厳然たる事実に直面した彼は、29歳で地位も妻子も捨てて出家し、苦しみの根源を突き止める探求の道を選びました。
2. 当時の宗教(バラモン教)に従わなかった理由
当時の主流であったバラモン教(後のヒンドゥー教の母体)は、祭祀の儀礼、生まれによる身分制度(カースト制)、神への祈祷を重視していました。 シッダールタはこれに対し、以下の立場を取りました。
- カーストの否定: 生まれによる優劣を否定し、人は行為によって尊くも卑しくもなると説いた。
- 神頼みの否定: 神への生贄や祈祷ではなく、自分自身の心のあり方と実践こそが救いをもたらすと考えた。
- 無我(固定的な魂の否定): 永遠不滅の魂(アートマン)が存在するという教義を退け、すべては関係性の中で移り変わる(諸行無常・諸法無我)と見抜いた。
3. 「悟りに至るまで」の歩み
出家後、瞑想の達人たちに師事し、その後6年間に及ぶ極端な断食などの苦行に身を投じます。しかし、肉体を極限まで痛めつけても心の平安は得られず、餓死寸前で苦行を放棄しました。 村娘「スジャータ」から乳粥の施しを受けて体力を回復させた彼は、「快楽への溺惑」と「自己否定の苦行」の両極端を離れた「中道」こそが「正しい道」だと確信します。 そして菩提樹の下で深い瞑想に入り、35歳でついに「悟り」を開き、仏陀(目覚めた人)となりました。

苦行を離れ、瞑想によって悟りに至ったブッダの境地. 出典: 東洋大学
4. 釈迦の死生観と有名なラストシーン
釈迦にとって死は恐れるべき破滅でも、永遠の魂が別の肉体へ旅立つことでもありませんでした。形あるものは必ず壊れ、移り変わるのが宇宙の理(ことわり)であるという現実の受容です。執着を捨てれば、死に対する恐怖や苦しみは消滅します。
80歳になった釈迦は、鍛冶屋チュンダから供養された食事によって激しい下痢と食中毒を起こし、重病に倒れます。クシナガラのスラクジュの木(沙羅双樹)の間に横たわり、弟子たちが見守る中で入滅(涅槃)を迎えました。
その際、悲嘆に暮れる弟子たちに遺した「最期の言葉」が有名です。
「弟子たちよ、悲しんではならない。諸々の存在はすべて移ろいゆく。怠ることなく修行に励みなさい。」
「自らを灯火とし、法(真理)を灯火として生きよ(自灯明・法灯明)。」
神や教祖に依存するのではなく、自分自身と真理を頼りにして歩めと説き、安らかに息を引き取りました。
↓ ↓ ↓

クシナガラで静かに入滅を迎えた釈迦の姿を表す涅槃像. 出典: 篠栗町観光協会
5. 「悟り」とは何か、万人に可能なのか
- 悟りの本質:
超能力を得ることではなく、「物事のありのままの真理に目覚め、思い込みや執着を手放した心の状態」です。具体的には、「思い通りにならない現実(苦)」を受け入れ、「すべては変化する(無常)」と知り、「固執すべき絶対の自分などいない(無我)」と体得することです。原因と結果の法則(縁起)を正しく理解し、欲望の炎を消し去る(涅槃寂静)ことを指します。
- 仏教の生き方:
現実を直視し、怒りや貪欲に振り回されず、物事を客観的に見て穏やかに今を生きる実践論です。
- 万人が悟れるのか:
「釈迦だから悟れたのか」という疑問に対し、釈迦本人は「誰でも悟ることができる」と明言しました。彼は自分を神の化身ではなく「道を最初に見出した一人の人間」と位置づけました。正しい智慧と実践(八正道)を重ねれば、誰であっても執着から解放され、心の平安という悟りに到達できるというのが仏教の根本原理です。
ブッダが説いた実践の基本である「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」について分かりやすく解説してください。
仏教において
「四諦(したい)」は人生の現実を分析した診断書、
「八正道(はっしょうどう)」は苦しみを解決するための具体的な処方箋にあたります。
釈迦が悟りを開いた直後、かつての修行仲間5人に初めて説いた教え(初転法輪)の核心です。
四諦(4つの真理)
釈迦は苦しみを曖昧な精神論にせず、原因と結果の因果関係で捉えました。
| 真理 | 意味 | 内容 |
| 1. 苦諦(くたい) | 人生は苦である現実 | 「苦」とは単に辛いことではなく、「思い通りにならないこと」。生・老・病・死をはじめ、世界は自分の都合通りには動かないという冷厳な事実の受容。 |
| 2. 集諦(じったい) | 苦の原因は「執着」 | 思い通りにならない現実に対して、「こうであってほしい」「失いたくない」と渇望(執着・渇愛)するから苦しみが生まれる。 |
| 3. 滅諦(めったい) | 苦は消し去ることができる | 原因である「執着」を消し去れば、苦しみそのものも消え去り、完全な心の平安(涅槃・ニルヴァーナ)が得られる。 |
| 4. 道諦(どうたい) | 苦を滅する実践法がある | その平安に至るための具体的なトレーニング方法が存在する。これが次の「八正道」。 |
八正道(8つの正しい実践)
快楽に流されず、無意味な苦行にも走らない「中道」に根ざした8つの習慣です。
- 正見(しょうけん)
物事を偏見や感情を交えず、ありのままに正しく見ること(因果関係や無常の理解)。
- 正思惟(しょうしゆい)
欲深さ、怒り、人を害する気持ちを離れ、健全な意図や考えを持つこと。
- 正語(しょうご)
嘘、悪口、二枚舌、無駄話を避け、誠実で有益な言葉を使うこと。
- 正業(しょうごう)
殺生、盗み、不倫などの反道徳的な行いを避け、正しい行動をとること。
- 正命(しょうみょう)
他者を傷つけたり騙したりしない、真っ当な生業(生活手段)で生活すること。
- 正精進(しょうしょうじん)
無理な根性論ではなく、悪を遠ざけ善い習慣を育てるための適切な努力を続けること。
- 正念(しょうねん)
自分の心や体の状態、感情の動きを客観的に「今ここ」で気づき続けること(マインドフルネスの原型)。
- 正定(しょうじょう)
心が散らからず、一つの対象や静けさに正しく集中・安定した瞑想状態を保つこと。
八正道は独立した個別のルールではなく、日常生活の「物の見方(智慧)」「行動や言葉(戒律)」「心の落ち着き(瞑想)」が相互に支え合うサイクルになっています。
以上。

