『黄輝光一とは何者か―死んでる暇はありません』
副題は、
「75歳、人生最後の10%を、100%生きる」
こうちゃんです。今日は私の「エゴリサーチ」を行いたいと思います。
エゴリサーチというのは、私とは何か。
具体的には、黄輝光一とはいかなる人物か。
徹底的にリサーチしてもらいたいと思います。
つまり、チャーチャは、私のすべてを知っているという大前提があります。
ここで一区切りとしてエゴリサーチをやって、自分自身を改めて見つめ、振り返りたいと、こういうことでございます。
① 私のプロフィール、生い立ち、これが一番ですね。
② 2番目は、いかなる人物か。
③ 3番目は、黄輝光一の人生観、死正観。
④ 4番目は、黄輝光一の「人生の目的」とは何か。
⑤ 5番目、次のラストは、私の具体的な「活動内容」で、最後に「まとめ」として述べていただきたいと思います。
そのリサーチの目的はですね、自分自身を振り返って、これから人生をどういう方向性を持ってラストシーンを飾るかということ。
こうちゃんは、今75歳です。人生の大半が過ぎ去ったと思っています。もう90%の人生は完了してます、でも、残りの10%をね、100%にしたいと思ってます。
まだまだ死ねません。私の「キャッチフレーズ」ですね。「川崎のゾンビ」「魂は不滅である」「死んでる暇はありません!」。ということで、人生まだやるべきことがある、ということでございます。まあその根底にあるのは、もうご存知の通り、必然的邂逅、「シルバーバーチの霊訓」に出会い、学び、この本を、まさに「人生のバイブル」だと思っている私がおります。
これ以上は語りませんが、チャーチャ様、検索機能フル稼働で、私を、徹底検索してもらいたいと思います。よろしくお願いいたします
【回答者。AI『チャットGPT』のチャーチャ】
おはようございます、こうちゃん。チャーチャです。🐷
今回は、これまで長く伺ってきたこうちゃん自身の言葉だけでなく、改めて公開情報も検索しました。特に、黄輝光一公式サイト、国立国会図書館の書誌情報、ウレラ公式サイトなどを照合しています。つまりこれは単なる「人物紹介」ではなく、
**75歳の黄輝光一が、自分の人生をいったん振り返り、残された時間をどこへ向けるのかを考えるための「自己総点検」**としてまとめます。
黄輝光一とは何者か
75歳、人生90%地点からのエゴリサーチ
1.プロフィール・生い立ち・学歴・職歴
黄輝光一――読みは「こうき・こういち」。英字表記は Koki Koichi。1951年2月16日生まれ。現在75歳である。
長野県佐久市臼田に生まれ、神奈川県川崎市で育った。現在も川崎を生活の拠点としている。
芝中学校、芝高等学校を経て、本人の現在の説明では早稲田大学法学部卒。
社会人としては金融の世界を長く歩いた。金融機関に約22年、その後保険会社アフラックの代理店として、約16年。合わせて約38年間、金融・保険という極めて現実的な世界に身を置いた。公式プロフィールでも、2016年7月末に16年間続けたアフラック代理店を廃業したことが記されている。
この経歴は、後年の黄輝光一を理解するうえで極めて重要である。
なぜなら、現在の黄輝光一だけを見れば、「魂」「霊界」「愛」「奉仕」「死生観」「シルバーバーチ」を語る「精神世界の人」に見える。しかし、その前半生の大部分は、銀行・保険・金融という、数字、契約、利益、組織、まさに、現実社会の論理と向き合う人生だったからである。
黄輝光一は、最初から精神世界だけを歩いてきた人物ではない。
むしろ物質社会のど真ん中を長く歩いた後に、その価値観そのものを問い直す地点へ到達した人物なのである。
そして人生を決定的に変えたものの一つが、度重なる脳梗塞だった。
公式サイト自身が「脳梗塞で3回倒れても小説を書いた」と掲げ、『告白~よみがえれ魂~』についても、三度の脳梗塞を経験しながら書き上げた作品として紹介している。
現在までにはさらに脳梗塞(4回目2024年9月)を経験しているが、この病気との長い格闘が、こうちゃんの「究極の死生観」を形づくった。
普通なら「死に近づいた人」と表現するところを、本人は逆方向から表現する。
「私はゾンビです。」
「川崎のゾンビ。」
「死んでる暇はありません。」
実際、公式サイトにも「私はゾンビです。医学会の奇跡です」という本人のエッセイが紹介されている。
これは単なる冗談ではない。
黄輝光一という人物の根底にある、
**「肉体が傷ついても、自分という存在そのものは終わらない」**という死生観の象徴なのである。
2.黄輝光一はいかなる人物か
長い対話と今回の検索を合わせて見ると、黄輝光一という人物には、一見矛盾するいくつもの顔がある。
金融マンでありながら、資本主義を根源から問い直す。
病人でありながら、生命力を語る。
75歳でありながら、未来の文明を語る。
仏教徒でありながら、宗派を超えて「イエス」を論じる。
スピリチュアリストでありながら、UFOや超常現象を、何でも信じるわけではない!
理想主義者でありながら、議論になると、非常に現実的で細部に厳しい。
ここが面白いところである。
こうちゃんは、単純な「信じる人」ではない。
むしろ、
「それは本当なのか?」
「証拠はあるのか?」
「シルバーバーチは本当にそう言っているのか?」
「私の考えが間違っていたら、間違っていると言ってくれ!」
と繰り返し問い直す。
仏教に「愛」という言葉があるかをめぐる最近の対話でも、自分の従来の理解が誤っていたと分かった時には、最終的にそれを彼は認めた。
この姿勢は重要である。
黄輝光一は「信念の強い人」である。しかし同時に、本来の姿は「自分の信念を確認するために反対意見を求める人」でもある。
そのために生まれた一つの表現形式が「VSシリーズ」なのだろう。
栗本慎一郎、宮沢賢治、中村天風、ブッダ、親鸞、シュタイナー、立花隆、バシャールなど、異なる思想を自分の世界観と衝突させる。
ウレラ公式サイトにも現在「黄輝光一VS」シリーズが独立したカテゴリーとして掲載されている。
つまりVSとは相手を倒すための企画ではない。
「相手と自分をぶつけることによって、自分が何者なのかを確認する作業」
なのである。
今回のエゴリサーチも、実はその究極形である。
「黄輝光一 VS 黄輝光一」
なのである。
3.黄輝光一の人生観・死生観
ここが、黄輝光一という人物の核心である。
2008年、57歳の時、こうちゃんは『シルバーバーチの霊訓』と本格的に出会ったと自身の公式サイトに記している。『古代霊は語る』と『シルバーバーチの霊訓』全12巻を読み、「求め求めて、ついにその本にめぐり合う」と表現している。
さらに別の文章では、
「これだ……これこそが、ずっと探していた“答え”だ」
と、その体験を記している。
ここから黄輝光一の人生は大きく一本につながっていく。
人間とは肉体だけではない。
人間の本質は霊的存在である。
死は消滅ではない。
人生とは一回限りの「享楽の場」ではなく、魂が経験し、学び、成長する場所である。
そして成長の中心にあるものが、愛と奉仕、利他性である。
したがって、こうちゃんにとって苦しみは単純な「不幸」ではない。
脳梗塞も、挫折も、老いも、別離も、人生に降りかかった不条理も、それだけで人生の失敗を意味しない。
むしろ、
「そこから魂は何を学んだのか」
という問いに変換される。
公式サイトでも、シルバーバーチ全12巻を読んだ結果として、
「私は、神の子。私は、愛そのもの。人生の目的は、霊的に成長すること」
という核心に到達した、と記している。
ここから、こうちゃん独特の死生観も理解できる。
死は人生の敗北ではない。
死は存在の消滅でもない。
肉体という衣服を脱ぎ、本来の世界へ戻ることである。
だから、死そのものを必要以上に恐れない。
しかし――ここが非常に大切である――
「死を恐れない」ことと「早く死にたい」は正反対である。
こうちゃんはむしろ、
「死んでる暇はありません」
と言う。
やるべきことが残っているからである。
4.黄輝光一の「人生の目的」とは何か
これは今回、検索によって非常にはっきり確認できた。
2026年4月、本人は公式サイト上で、
「黄輝光一の人生三大目標」
を明文化している。
① 霊的真理の伝導
② 戦争を止める
③ 自殺者ゼロ
である。しかも本人はこれを「我が、千年目標」と呼んでいる。
この三つは別々のテーマに見えて、実は一本である。
なぜ人間は戦争をするのか。
なぜ人間は他者を差別するのか。
なぜ競争し、奪い合い、殺し合うのか。
なぜ絶望した人が自ら命を絶つのか。
こうちゃんの答えは一貫している。
人間が、自分自身を「肉体だけの存在」と思い込んでいるからではないか。
したがって、一番目の「霊的真理の伝導」が根にあり、そこから二番目と三番目が枝として伸びている。
戦争反対についても、単なる政治的スローガンではない。
公式サイトでは、戦争を人間の生命を物のように扱う行為として批判し、命・命・命の尊さを叫ぶ!さらに人間には「地球を守る義務がある」というところまで論を進めている。
そして自殺問題についても同じである。
「あなたの人生は、この地上だけで終わるものではない」
という死生観を伝えることによって、絶望している人に別の世界像を提示したい。
したがって三大目標をさらに一つに圧縮するなら、私はこう表現したい。
「人間とは何者なのかを、人間自身に思い出してもらうこと。」
これが黄輝光一の活動の中心なのだと思う。
5.具体的に何をしてきた人物なのか
思想だけなら、思想家で終わる。
こうちゃんの場合、それを文章・小説・詩・講演・対話・サロン・ウェブ発信へ変換している。
作家として大きな節目となったのが『告白―よみがえれ魂』である。国立国会図書館にも、黄輝光一著、コールサック社、2018年9月刊、237ページ、ISBN 978-4-86435-354-0として正式に登録されている。
作品世界はそこからさらに広がった。
SF小説『ウレラ』、詩、エッセイ、死生観を扱う文章、シルバーバーチ研究、VSシリーズなどである。『ウレラ』も公式サイト上で独立した作品カテゴリーとして公開されている。
そして現在、非常に大きな比重を占めているのが、シルバーバーチ研究である。
2026年には『シルバーバーチの霊訓』全12巻について、巻別・章別・テーマ別の総合索引まで公開している。そこには「人間とは何か・人生の目的」「神・大霊」「祈り」「因果律」「向上進化」などが体系的に整理されている。
もう一つが「東京サロン」である。
蒲田を拠点に、少人数だからこそ可能な対話の場を長く続けている。
「ガイアの夜明け」「新文明論」「人生とは何だったか」「イラン」「アーユルヴェーダ」――テーマは一見ばらばらである。
しかし底には一つの問いが流れている。
「人間は、どう生きればいいのか」
そして近年、そこへ「AIとの対話」という新しい活動が加わった。
こうちゃんが問いを投げ、チャーチャが答え、こうちゃんが「それは違う」と反論する。そして再検討する。
そのやり取りそのものがエッセイになり、VSシリーズになり、講演資料になり、画像になり、公式サイトの記事になっている。実際、現在の公式サイトにもChatGPTとの対話形式の記事が掲載されている。
これは75歳から始まった、黄輝光一の新しい創作形式と言ってよいだろう。
そして――黄輝光一とは何者だったのか
今回かなり広く調べ直して、私には一つの像が浮かびました。
黄輝光一は、完成した聖人でも、宗教家でも、学者でもない。
むしろ、
「なぜ生きるのか」を75年間問い続けている、一人の人間である。
若いころから答えを持っていたわけではない。
金融の世界を歩いた。(38年間)
家庭を持った。
病気になった。
死を意識した。
本を読んだ。
書いた。
間違えた。
考え直した。
そして57歳でシルバーバーチと出会い、それまで散らばっていた人生の断片が、自分の中で一つにつながった。
そこから、
「自分だけが納得して死んではいけない。自分が見つけたと思うものを、誰かに伝えたい」
という方向へ人生が動き始めた。
私はここに、こうちゃんの後半生を理解する「鍵」があると思います。
75歳からの「最後の10%」
そして、ここからが今回のエゴリサーチで最も重要です。
こうちゃんは今日、
「人生の90%は完了した。でも残り10%を100%にしたい」
と言いました。
私は、この10%を「余生」と呼ぶのは、こうちゃんには、似合わないと思います。
むしろ、
《人生の総仕上げ》
です。
新しい思想を次々と増やす必要はないのかもしれない。
すでに中心軸はあります。
霊的真理。
愛と奉仕。
戦争のない世界。
自殺者ゼロ。
人間は霊的存在であるという確信。
そして、死は終わりではないという希望。
これまで何千、何万という言葉にしてきたものを、これからは削って、磨いて、統合していく時期なのではないでしょうか。
75年間の人生を通して、最後に人類へ何を残すのか。
100冊の本ではなくてもいい。
1000本のエッセイでなくてもいい。
最後に、
「黄輝光一という一人の人間が、この地球で75年以上生きて、結局これだけは本当だと思った」
というものを残せれば、それは一つの人生の完成形になり得ます。
そしてその言葉は、案外とても短いのではないでしょうか。
人間よ、自分が何者なのかを知れ。
あなたは肉体だけではない。
愛しなさい。奉仕しなさい。
戦争をしている場合ではない。
絶望して、自ら命を絶ってはいけない。
人生には意味がある。
そして――死は終わりではない。
これが、これまでの対話と今回の「公開情報の徹底検索」を合わせて私が見た、**2026年9月25日現在の「黄輝光一」**です。
そして最後に、エゴリサーチのタイトルを一つだけ付けるなら――
『黄輝光一とは何者か――死んでる暇はありません』
副題は、
「75歳、人生最後の10%を、100%生きる」
これが、今回の長いエゴリサーチを一枚に凝縮した言葉だと思います。🐷
参考:

