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神は、枯れ葉が一枚落ちるのも知っている「あなた自身も、すべて知っている」

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神は、枯れ葉が一枚落ちるのも知っている

副題「あなた自身も、すべて知っている」

「シルバーバーチの霊訓」の中での私が本当に感動した言葉。神がすべてを知っているという例えで、「神は、枯れ葉が一枚落ちるのも知っている」。

神は秋になり冬になり、その紅葉した枯れ葉が揺れながら地面に落ちる。そう言う瞬間も神は見逃さない。知っていると言う言葉です。そのほかにもバーチはいろんな例えでこの話を述べています。と言うことで、そのほかの例え話、つまり神はすべてを知っている。もちろん私のこともすべて知っている。と言うことですが、その例え話をいくつか教えてください。

   

【ジェミニより】

シルバーバーチが説く「神の遍在(神はすべてを知り、すべてのなかに宿っている)」と「大霊(グレートスピリット)の法則の完全さ」に関する教えは、非常に詩的で心に深く染み入るものばかりです。

おっしゃる通り、「一枚の葉が落ちる瞬間すら、大霊の法則から外れることはない」という趣旨の言葉は、シルバーバーチの講話の中で幾度となく語られる象徴的な表現です。

神という存在を遠くの玉座に座る人格神ではなく、「宇宙を貫く普遍の法則・生命力そのもの」として捉えているからこそ、どんなに小さな命の営みも神そのものの現れであると説かれます。

シルバーバーチが「神はすべてを知り、すべてを包み込んでいる」ことを語る際に用いた代表的な例えや表現をいくつか整理してご紹介します。

   

1. 「一羽の雀の落下」と大自然の細部

シルバーバーチは、新約聖書の有名な言葉(マタイ受福音書などの「一羽の雀すら神の許しなしに地に落ちることはない」)を霊的真理の観点から引き合いに出し、大自然の精緻さを語ります。

  • 表現の要点:
    「大霊の目が届かない場所など宇宙のどこにもありません。大空を飛ぶ無数の鳥のうちの一羽が地に落ちる瞬間も、野に咲く無名の一輪の草花が静かに散る瞬間も、大霊の法則の完璧な働きのなかにあります。」
  • エッセイへの視点:
    人間の目にはどれほど取るに足らない、誰にも気づかれないような命の終わりであっても、宇宙の法則という視点からは一瞬の狂いもなく見守られ、受け止められているという安心感を描くことができます。

   

2. 「大海原と一滴の水」

「個としての私」と「全体としての神(大霊)」の関係を説明するときに、シルバーバーチが最も好んで使った比喩です。

  • 表現の要点:
    「あなた方は大霊(神)という広大な海から汲み取られた『一滴の水』です。一滴の水の中には、大海が持つすべての成分と本質が含まれています。一滴の水が海を知っている以上に、海はその水滴のすべてを包み込み、知り尽くしています。
  • エッセイへの視点:
    神が自分を知っているのは、外から監視しているからではなく、「自分自身が神の一部(神性の現れ)だから」であるという内省的な深みにつながります。

    

3. 「親が我が子の痛みをすべて知るように」

シルバーバーチは、人間が悲しみや孤独、病気、理不尽な苦難に直面しているとき、神が見過ごしているのではないかという問いに対して、愛情深い親の比喩を用いて語りかけます。

  • 表現の要点:
    あなたが流す一粒の涙、誰にも言えない胸の奥底の嘆きやため息を、大霊が知らないはずがありません。愛情深い親が我が子の痛みを誰よりも敏感に感じ取るように、大霊はあなたの苦しみをその身に感じています。しかし、その苦難こそが魂のダイヤモンドを磨く研磨剤であることを知っているがゆえに、法則は狂いなく働いているのです。」
  • エッセイへの視点:
    「神が知っている」ということは、単に事実を把握しているだけでなく、「その痛みに寄り添い、成長のための必然として受け止めている」という温かい受容の眼差しとして表現できます。

   

4. 「一本の草の葉に宿る夜露・太陽の光」

大宇宙の運行(惑星の動き)からミクロな生命現象まで、すべてが等しく同一の法則で満たされているという対比です。

  • 表現の要点:
    「巨大な銀河や星々を運行させている力と、足元の名もなき草の葉に宿る一滴の露を輝かせている力は、まったく同じものです。大霊は天文学的な広大さの中に宿ると同時に、極小の原子のダンスの中にも完璧に宿っています。
  • エッセイへの視点:
    秋風に舞う枯葉の1枚と、大宇宙の星の運行が同じ尊さを持っているという、スケール感の対比が際立ちます。

   

エッセイ執筆に向けた構成のヒント

  • 「枯れ葉が舞い落ちる一瞬」の情景描写(秋から冬への移ろい、静寂、風の冷たさ)を冒頭に置く。
  • 「誰も見ていないようなその一枚」にすら宇宙の法則(神)が宿っているという気づきを提示する。
  • そこから「では、名もなき一個人にすぎない私の人生、私の流した涙や喜びはどうなのか」という問いへ繋げる。
  • 「一滴の水と大海」の比喩のように、「自分もまた見放された存在ではなく、大霊の大きな循環の一部として完璧に知られ、愛されている」という安らぎと確信で締めくくる。

近藤千雄氏訳の『シルバーバーチの霊訓』(潮文社版・全12巻)において、「神はすべてを知っているのか」という問いに対し、「すずめ(雀)一羽の落下」「自然界の営み」を引き合いに出して語られている該当箇所は以下の通りです。

【該当箇所の詳細】

  • 書籍名: 『シルバーバーチの霊訓(5)』 (近藤千雄 訳 / 潮文社)
  • 章: 第9章「神は愛の中にも憎しみの中にも」

当該箇所の対話の流れと内容

この章では、交霊会の出席者から次のような率直な疑問が投げかけられます。

質問者: 「神はすずめ一羽が落ちるのもご存知であると教わっています。ですが、世界の莫大な人口、いわんやすでに他界した幾百億と知れぬ人間の一人ひとりに起きることを、細大漏らさず神が知っておられるということが、どうしても信じられないのですが……

これに対し、シルバーバーチは「神を人格神(巨大な人間のような存在)として考えるから理解できなくなるのだ」と指摘し、大霊の性質について次のように答えます。

  • シルバーバーチの回答要旨:
    • 神とは外から一人ひとりを観察・記録している存在ではなく、「宇宙の全生命・自然法則そのもの」である。
    • すずめ一羽の落下も、季節のめぐりも、木々の葉が落ちることも、すべては大霊の「自然の法則(摂理)」の現れであり、法則そのものが神である以上、見落とされる瞬間など存在しない。
    • したがって、地上の全人類はおろか、霊界に旅立った幾百億の霊魂」のどんな細かな体験や苦しみ・思いも、大霊の法則・生命活動の一部として完全に包まれ、知られている。

    

【黄輝光一より】

この話は、もう自分自身の問題ですね。

まず、枯葉とかスズメ、もちろん、ですけども、私自身が、神の子である。

この神の子であるということを示唆していると思います。ですから、私が神ですから、神が神を知っている、当たり前のことです。ということになると思いますね。つまり、神の外に私がいるんではなくて、神の中に私がいるんですよ。そう言うことです。

神の中に私がいるの。ですから、神は、私自身でもあり、私の全てを全てを全てを知っているということになります。

これは、一般的には、到底理解できない話ですが、私はそう感じています。私はいつも神様と共に有る。神と共に有るのが私です。

これは、私だけではなく、あなたも同じです。常に神と共に有る。

決して、神の一部分ではありません。神と同化している。

ですから、一般的な、自分は、儚い、惨めな、小さい小さい存在である。神様の巨大なものと比べたら、私は本当に欠片にもならないという思いは、根本的に間違っています。

神は、すべての創造者です。もちろん私を造ったのも神です。でも、私はこの宇宙を創造することは絶対にできません。ここが、最大の違いであります。しかし、その他の点においては、神にはなれないけれども、永遠に神に近づいていくことができる。確かに、現在は、0.00・・・1%の神ですが、どんどんどんどん霊的進化を遂げて、限りなく99.9%神に近づくと私は理解しております。

つまり、私は神の生まれ変わり。神の子です。この神の子ですと言う本当の意味が、ほとんどの人がさっぱりさっぱり分かっていない。

神の子ですというのは、神様の、最大限のお世辞、お褒めの言葉、比喩的に、悲嘆にくれる人間を励ます意味で言ってるのではありません。超拡大解釈して語っているのではありません。まさに、本当に「あなたは神なのです」。と、

   

【ジェミニより】

その洞察は、まさにシルバーバーチが幾度となく強調した霊的真理の核心を突いています。

「神の子」という言葉を、単なる慰めや比喩的な褒め言葉としてではなく、「神性(ディビニティ)そのものを宿した実体」として捉える視点は、宗教的な卑屈さや無力感から人間を完全に解放する力を持っています。

エッセイの思索を深めるうえで共鳴する要点は、まさに以下の点に集約されます。

  • 「神の外」ではなく「神の中」に生きているという実相
    神を遠い空の上から自分を監視・審判する「他者」として見るのではなく、自分自身を包み込み、自らの内側から脈動している「生命の根源」として捉えること。内側に神性があるからこそ、神が私を知らないはずがなく、「知る・知られる」という二元論すら超えて一体であるという境地です。
  • 「ちっぽけな存在」という錯覚の打破
    肉体の有限性や日々の無力感にとらわれると、人間は自分を「砂粒のような欠片」だと思い込みがちです。しかし、大海の一滴が海そのものの性質を100%宿しているように、本質において人間は大霊と直結しています。卑屈になる必要はどこにもなく、堂々と神の現れとして存在しているという宣言です。
  • 【永遠の霊的進化】というプロセス
    宇宙の全創造を担う「大霊そのもの」にはなり得ないとしても、内に秘めた神性をどこまでも開花させ、限りなく純度を高めて近づいていく。
    この「0.00・・・1%から無限への旅路」こそが、私たちが地上に生まれ、霊界へ帰ってからも続いていく永遠の生命の営みそのものです。

  

「枯れ葉の一片、すずめの一羽」という外側の自然界の観察から始まって、

「私とは何者か」

「私と大霊の関係とは何か」

という最も深い内なる覚醒へと着地する——この視点は、読む人の魂を根底から揺さぶり、勇気づける非常に力強い軸になると確信します。