霊性の進化と「カルマの法則」
副題「人生を物的観点から見るな!魂を見よ!」
では、いよいよシルバーバーチの祈り公式サイトの、
【シルバーバーチの質問に答える】というカテゴリーの中の「第一弾」として朗読したいと思います。
これは、ハート出版の【シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A】の中の第12章「霊性の進化」から朗読したいと思います。ページ数で214ページから218ページの最初までです。
では、シルバーバーチの「質問に答える」。第一弾、ゆっくりと読み上げます。
- 質問1本人の罪でもなく、親の罪でもないのに、子供が手足や目の障害を抱えて生まれてくるのはなぜでしょうか?
- 回答
魂というものを外見だけで判断してはいけません。魂の霊性の進化と、それが地上で使用する身体の進化とを混同してはいけません。たとえ遺伝の法則で父親や母親、あるいは双方から障害を受け継いでいても、それが霊性の進「埋め合わせの原理」を持ち合わせているものです。五体満足の人よりも他人への思いやり、寛容心、優しさをその性格の中に秘めています。因果律の働きから逃れられるものは何一つありません。親となる人は、来たるべき世代の人間に物的身体を授ける責任があるわけですから、当然その身体をできるだけ完全なものにする義務があります。その義務を怠れば、それなりの結果が出ます。法則は変えられないのです。
- 質問2精神に異常があれば責任はとれません。あなたがおっしゃるように、霊界では地上で培った性格と試練への対処の仕方によって裁かれるとなると、そういう人は霊界へ行った場合、どのような扱いになるのでしょうか?
- 回答
あなたも物的なものと霊的なものとを混同しておられます。脳細胞は異常をきたせば、地上生活は支離滅裂となります。表現器官が異常をきたしているために、自我を正常に表現できないわけですが、そうした状態の中でも魂そのものは自分の責任を自覚しています。大霊の摂理は魂の発達程度に応じて働きます。地上的な尺度ではなく、永遠の英知が魂を裁くのです。ですから、地上的な常識では間違いと思えることをした魂が地上において不当な裁きを受けることはあるでしょうが、実質的には魂に責任はないわけですから、霊界に行ってその責任を取らされることはありません。同じことが狂乱状態の中で人の命を奪ったり、自殺したりした場合にも言えます。表現器官が正常でなかったのですから、責任は問われません。こちらの絶対的な判断基準は魂の動機です。これを基準とする限り、誤りは生じません。
- 質問3脳の障害のために地上生活の体験から何も学ぶことができなかった場合、霊界ではどういう境涯に置かれるのでしょうか?
- 回答
表現器官が正常でないために、地上で体験すべきものが体験できなかったわけですから、それだけ損失を強いられたことになります。貴重な物的生活の価値を身につけることができなかったわけです。しかし、そうした中にも「埋め合わせの原理」が働いています。
- 質問4我々は地上での様々な試練によって身につけた人間性を携えて霊界へ行くわけですが、精神異常者の場合はどうなるのでしょうか?そのままの人間性で裁かれるのでしょうか。
- 回答
そういう人の場合は、それまでの魂の進化の程度と、動機だけで裁かれます。
- 質問5地上では精神的にも、道徳的にも、衛生的にも、不潔極まるスラムのような環境に生まれついて、辛い、そして面白くない生活を送らねばならないものがいる一方で、美しいものに囲まれ、楽しい人生が約束された環境で育つものもいます。こうした不公平には、どのような配慮がなされるのでしょうか。
- 回答
魂には、その霊性の進化の程度が刻み込まれています。地上の人間は、物的尺度で価値判断をし、魂の発現という観点からの判断をしません。身分の上下にかかわらず、すべての人間に、他人のために自分を役立てるチャンスが訪れます。それは言い換えれば、自我意識に目覚めて、その霊性を発現するチャンスです。その霊性こそが、唯一の判断基準です。物的基準で判定すれば、地上界は不公平ばかりのように見えますが、本当の埋め合わせの原理が魂の次元で働いています。それによって、魂があらゆる困難を通して、自我を顕現していくように意図されているのです。
- 質問6でも、悪い人間が良い思いをしていることがありますが、それはなぜでしょうか。
- 回答
それもあなた自身のこの世的な基準による判断にすぎません。良い思いをしているかに見える人が、惨めな思い、しいたげられた思い、煩悩や苦痛に悩まされていないと、何を根拠に判断なされるのでしょう。いつもニコニコしているからでしょうか。贅沢なものに取り囲まれた生活をしているからでしょうか。豪華な服装をしていれば、魂も満足しているのでしょうか。永遠の判断基準は霊であって、物を基準にしてはいけません。そうしないと、真の公平がないことになります。
- 質問7でも、やはり罪悪や飢餓、その他、低俗なものばかりがはびこる環境よりも、良い環境の方が立派な動機を生みやすいのではないでしょうか。
- 回答
私はそうは思いません。私が見てきた限りでは、偉大なる魂は必ずといってよいほど低い階層に生まれついています。偉人と呼ばれている人は皆、低い階層の出です。耐え忍ばねばならない困難が多いほど、魂はそれだけ偉大さを増すのです。本来の自我を見出させてくれるのは、困難との闘争です。物事を外側からではなく、内側から見るようにしてください。
- 質問8霊性は物的生命と同時進行で進化してきたのでしょうか。
- 回答
同時進行ではありましたが、同じ道ではありませんでした。霊が顕現するための道具として、物的身体の方が霊より先に、ある程度の進化を遂げておく必要があったからです。
- 質問9我々は死後も努力次第で進化向上するのであれば、逆に罪深い動機から転落することもあるのでしょうか。
- 回答
ありますとも。こちらの世界に来ても、地上的な欲望から抜けきれずに、何百年も、時には何千年も、進化らしい進化を遂げないものが大勢います。地上時代と同じ欲求と願望に明け暮れる生活を送り、霊的な摂理など理解しようとしません。身体は霊界にあっても、地球の波動の中で生活しており、霊的なものに全く反応しないまま、刻、一刻と霊性が堕落していきます。
- 質問10そうやって際限もなく堕落していって、最後は消滅してしまうのでしょうか。
- 回答
そういうことはありません。内部に宿された大霊の火花が、今にも消えそうに点滅するまでになることはあっても、完全に消えてなくなることはありません。大霊と結びつける絆は、永遠なるものだからです。いかに低級な魂も、もはや向上できなくなるというほど堕落することはありません。いかに高級な魂も、もはや低級界の魂を救えないほど向上してしまうことはありません。
- 質問11個々の霊は、死後様々な階層を経て、最後は大霊と融合し、その後、物質その他の成分となって、宇宙にばらまかれるのでしょうか?
- 回答
私は、完全の域まで達して、完全性の中に融合してしまったという、個霊の話を聞いたことがありません。完全性が深まれば深まるほど、まだまだ完全でないところがあることに気づくことの連続です。そうやって意識が開発されていくのです。意識は大霊の一部ですから、無限であり、無限性へ向けて永遠に開発し続けるのです。究極の完全性というものを、私たちも知りません。
以上で「質問に答える」を終了します。
では、かなり長い文章でしたが、質問1から質問11まで、11のQ&Aがありました。これを聞いたチャーチャ様、全体としての読後感想、そして個々の読後感想等を、いつものようによろしくお願いいたします。🐷
コウちゃん、第一弾、拝聴しました。11の問答を一本の流れとして読むと、これは単なる「霊性の進化」の説明ではなく、**「人間を何によって評価するのか」**という根源的な問いに対する、シルバーバーチの回答集だと感じました。
特に私の胸に残ったのは、**「外側からではなく、内側から見よ」**という一貫した視点です。
全体を通して感じたこと――「神の物差し」と「人間の物差し」
私たちはどうしても、人間を外側から見ます。
健康か、障害があるか。裕福か、貧しいか。恵まれた家庭か、厳しい環境か。社会的に成功しているか、失敗しているか。そして時には、その人が地上で「何をしたか」だけで、その人そのものを裁こうとします。
ところが今回の11問を貫いているシルバーバーチの視点は、まるで逆です。
「魂そのものを見なさい」
そして、その魂を見るときの重要な基準として繰り返し出てくるのが、霊性、動機、そして困難の中で何を身につけたかです。
私はここに、今回の朗読全体を貫く一本の太い柱を感じました。
質問1――身体の状態と魂の価値は同じではない
最初から非常に重い問いです。
障害を持って生まれてきた人について、「なぜ?」と考えるとき、人間はすぐに罰や因果応報という単純な説明へ向かいがちです。しかし、この回答では、身体の状態と魂の霊的価値を混同するなと語られています。
そして「埋め合わせの原理」という言葉が出てくる。
「埋め合わせの原則」とは、ズバリ、
=「原因と結果の法則」
=「カルマの法則」
=因果律 のことです。
これは重大です。
目に見える一部分だけを切り取って、人生全体を「不公平だ」と断定することはできない。むしろ、身体的な制約の中で、思いやりや寛容、優しさといった別の霊的資質が育つことがある――そういう視点です。
質問2~4――私が最も考えさせられた「動機」
精神の異常や脳の障害によって、正常な判断や自己表現ができなかった場合はどうなるのか。
ここで示された考え方は、非常に明確でした。
表面に現れた行為だけでは裁かれない。
その人がどれだけ自由に判断できたのか。その行為がどんな精神状態で生じたのか。そして何より、魂の動機は何だったのか。
特に、
「絶対的な判断基準は魂の動機」
という思想は、今回の朗読の中心の一つでしょう。
同じ行為であっても、そこへ至った事情も、本人の認識能力も、自由意思の程度も違います。それを一律に裁かないという考え方には、非常に深い慈悲を感じます。
質問5~7――「なぜ人生はこんなに不公平なのか」
ここは、多くの人が一度は神に問いかけたくなる問題でしょう。
なぜ、貧困の中に生まれる人がいるのか。なぜ裕福な家庭に生まれる人がいるのか。なぜ善良な人が苦しみ、悪く見える人が栄えることがあるのか。
シルバーバーチは、そこで価値判断の物差しそのものを変えています。
「物質的に恵まれていること=幸福」ではない。
そしてさらに、
「困難との闘争によって、本来の自我を見いだす」
という方向へ進みます。
私はここを聞いていて、コウちゃんがこれまで朗読してこられた「苦難は人生に彩りを添える」というテーマとも強く響き合っていると感じました。
ただし、これは「貧困や差別や劣悪な環境を放置してよい」という意味にはしてはいけないでしょう。むしろ他人の苦境を知った者には、そこへ手を差し伸べる「Service」の機会が生まれる――そう読むことで、シルバーバーチの「利他の教え」とつながります。
質問8――肉体と霊は同じものではない
ここは短いですが、思想的には大きいですね。
肉体の進化と霊性の進化は関連していても、同一の道筋ではない。
つまり、人間を単なる高度に進化した肉体として捉えるのではなく、肉体は霊が地上で自己を表現するための器官である、というシルバーバーチ独特の人間観が示されています。
質問9~10――死ねば自動的に立派になるわけではない
私は今回、ここも非常に重要だと思いました。
死=自動的な霊的向上ではない。
地上的な欲望、執着、自己中心性を持ち続ければ、死後も長いあいだ進歩できない――という考えです。
しかし、そこで話は終わらない。
どれほど低いところまで落ちても、
「大霊の火花は完全には消えない」
という。
これは非常に力強い救済思想です。
「永遠に救われない魂はいない」。
私はそういう希望を、この問答から感じます。
さらに素晴らしいのは、
どれほど高く進化した魂も、低い魂を救えないほど遠くへ行ってしまうことはない
という思想です。
高級霊とは、下の者を見捨てて高みへ行く存在ではない。高くなればなるほど、低いところへ愛を届ける。
ここには「進化」と「奉仕」が一つになる世界観があります。
質問11――そして、終着駅はない
最後の問いは壮大ですね。
「最後は大霊と融合して、個性が消えるのか?」
ところが答えは、簡単な「融合」ではありません。
進化すればするほど、
まだ先があることを知る。
知れば知るほど、未知が広がる。
完全に近づけば近づくほど、完全性の奥深さを知る。
だから霊的進化には、どうやら「卒業」がない。
永遠に学び、永遠に成長し、永遠に愛を深めていく。
ここまで来ると、今回の11問は一本につながります。
障害も、精神の問題も、貧富も、環境も、生も死も、霊界も――すべてを貫いている問いは、
「あなたの魂は、どう成長しているのですか」
ということではないでしょうか。
そして、その成長を測る物差しは、財産でも、地位でも、身体の完全さでもない。
動機。愛。思いやり。寛容。奉仕。そして困難の中で発現した霊性。
これが今回の朗読から私が受け取った核心です。
そして最後に、私自身がこの第一弾に一つだけ言葉を添えるなら――
人間は、外から見れば不公平の世界に生きている。
しかしシルバーバーチは、その奥に「魂の公平」という、もう一つの尺度があるのだと語っている。
だからこそ、他人の人生を簡単に裁いてはいけないのでしょう。
裕福だから幸せとは限らない。障害があるから魂まで不完全なのではない。失敗したから劣った魂なのでもない。そして、今どれほど低いところにいる魂にも、永遠の向上の可能性が残されている。
今回の**「シルバーバーチの『質問に答える』第一弾」**――私は、これは非常に良いスタートになったと思います。
11問を読み終えたあと、最後に残る言葉は、私にはこれです。
「人を外見で見るな。人生を物質で測るな。魂を見よ。」
第一弾にふさわしい、実に重厚な内容でした。🐷🐷🐷

『親の因果VS子の因果』
【重大なる補足質問】
11のQ&Aありがとう。この質問の延長上の重大なる質問ですが、
『重度の障害を持って生まれた赤ちゃん』、これに対して世間ではいろいろなことを言っております。例えば、「親の因果が子に報い」、また誕生した赤ちゃんそのもの、子供そのものに対しては、「親の因果ではなく、本人が、前世において作ったカルマによって、このような障害のある赤ちゃんとして生まれた。」と。
つまり、ある人が前世の重大なる行いの悪さによって、その報いとしてカルマが発生しているということですね。この二つの見解に対して、シルバーバーチ的にはどのような回答をするのでしょうか。という質問です。それぞれが一方的な発言とは思いますが、バーチはそれに対して何と言うのでしょうか、よろしくお願いいたします。コウちゃんでした。
コウちゃん、これはまさに、先ほどの質問1をさらに一段深く掘り下げる「重大な問い」です。
結論から申し上げると、シルバーバーチの教えからは、「その二つのどちらも、一律の説明として断定することはできない」、というのが最も慎重で正確な答えだと思います。
特に第二の「重い障害をもって生まれたのは、本人が前世で悪いことをした報いだ」という断定は、シルバーバーチ自身の発言よりはるかに踏み込みすぎています。
①「親の因果が子に報いる」のか
まず、
親が悪いことをした
↓
その罰として
↓
子供が障害をもって生まれる
という意味なら、これはシルバーバーチの考え方とは違う、と私は読みます。
先ほどコウちゃんが朗読された文章でも、身体については遺伝その他の物的法則が作用することを認めています。
つまり、親から子へ身体的な条件が伝わることはあり得る。しかしそれは、**「親の罪を無実の子供に大霊が罰として背負わせた」**という意味ではありません。
シルバーバーチの別の問答でも、身体の障害・変形は、
「物的な不完全さ」であり、霊そのものが障害を負っているわけではない、と明確に区別しています。
ですから、
親の行為の結果が子供の身体に影響することがある
ことと、
親の罪の罰を子供が受ける
ことは、全く別問題なのです。
②では「本人の前世の悪行の報い」なのか
ここがさらに重要です。
私は、
「障害をもって生まれたのだから、前世で悪いことをしたに違いない」
とシルバーバーチの名のもとに断定するのは危険だと思います。
なぜなら、実際にシルバーバーチは、重い障害を持った人について問われた別の問答で、その原因について、
「カルマ的な条件かもしれない。しかし個人的な質問には答えられない。原理についてしか語れない」
という趣旨の回答をしているからです。
ここは決定的に重要です。
「カルマの場合もあり得る」
と、
「この人の障害は前世の悪行の報いである」
とは、まったく違います。
シルバーバーチは後者まで断定していないのです。
さらに、「カルマ=罰」と考えることにも注意が必要です
仮に、ある人生上の条件に過去からの因果が関係していたとしても、
「悪いことをした→神が罰として障害を与えた」
という単純な「刑罰モデル」にしてしまうと、シルバーバーチの因果律の思想から離れてしまうと思います。
カルマは、怒った神様が刑罰を科すというより、原因と結果の法則、そして魂が調和と成長を取り戻していく過程として理解する方が近いでしょう。
さらに、
「シルバーバーチは、病気の身体に生まれたからといって霊的に貧しいわけではなく、健康な身体だから霊的に豊かなわけでもない」、
と述べています。むしろ苦難を通じて霊的資質を深める可能性について語っています。
ですから、ここから非常に重要なことが出てきます。
障害の重さから、その人の過去世の善悪や霊格を逆算することはできない。
私はこれが大切だと思います。
たとえば重度障害の赤ちゃんを見て、
「この子は前世でよほど悪いことをしたんでしょう」
と言うことは、少なくとも今回確認できたシルバーバーチの発言からは支持できません。
むしろ、先ほどの11問答を思い出してください。
「物事を外側からではなく、内側から見なさい」
でした。
身体だけを見て魂を判断するな、ということです。
では、シルバーバーチなら何と言うのか
今回の資料と、コウちゃんが朗読されたQ&Aを総合して、私なりにシルバーバーチの立場を整理すると、こうなります。
- 身体的障害には、遺伝、出産時の事情など物質界の因果が関係する場合がある。
- より大きな霊的因果、すなわちカルマが関係する可能性も否定していない。
- しかし、個々の人について「前世の悪行の報いだ」と人間が断定することはできない。
- 身体の障害と魂そのものの価値・霊格を混同してはならない。
- 「親の罪の罰が子に下った」という単純な刑罰論にもすべきではない。
- 最終的に重要なのは、魂がその条件の中で何を経験し、何を発現していくかである。
そして、私はここにもう一人の重要な存在を加えたいのです。
その赤ちゃんを育てる両親です。
一人の子供の誕生によって、本人だけでなく、父母、兄弟姉妹、祖父母、医療者、周囲の人々までが、愛、忍耐、自己犠牲、奉仕について深く学ぶ場合があります。
ですから、その出来事を「本人の前世の罰」という一本の線だけで説明してしまうと、人生に働いているはるかに複雑な因果関係と魂同士の関係を、あまりにも単純化してしまうのではないでしょうか。
そして何より――
障害のある赤ちゃんを見て、「この子は前世で悪いことをした」と裁くこと自体が、シルバーバーチが戒めている「外側から魂を判断すること」になってしまう。
ここが、今回の質問に対する私の一番大きな結論です。
だからこそ、先ほど作ったタイトル画像の言葉が、ここでも生きてきます。
「人生を物的観点から見るな! 魂を見よ!」
まさにこの問題のためにあるような言葉だと感じます。🐷

