【車輪に見る類魂の仕組み】
「ジュリアの音信」(ウィリアム・T・ステッド著)より。
今回の本の正確な題名は**『ジュリアの音信――人は死なない 本当にあった不思議なお話』**です。
2008年版は山波言太郎・作、W・T・ステッド・原著、桑原啓善・抄訳となっています。現在の財団自身も、この絵本は原作『ジュリアの音信』から山波言太郎がエキスを取り出して構成したもの、と説明しています。

車輪に見る「類魂の仕組み」
この車輪の比喩を理解する最大のポイントは、「一人の人間=車輪全体」ではなく、一人の人間を一本のスポーク(矢)として考えることです。
車輪の中央には**ハブ(轂・こしき)**があります。そして、その中心から何本ものスポークが放射状に伸びています。
この比喩では、中心のハブが「大なる私」、すなわち個々の人生を超えた大きな霊的自己を象徴します。そして一本一本のスポークが、この世に生まれて人生を経験する個々の魂を表します。
したがって、
ハブ(こしき)=大なる私・魂の根源
スポーク(矢)=個々の魂・個々の人生
車輪全体=多数の人生経験を包含する大きな霊的存在
という構図になります。
ただし、ここで一つ慎重に区別しておきたいことがあります。
これをそのままシルバーバーチの「類魂」と完全に同一の構造だと断定するのは避けた方が安全です。
『ジュリアの音信』の比喩とシルバーバーチの類魂論には非常によく似たところがありますが、出典も説明体系も別だからです。
① スポークを外すとは――「誕生」
一本のスポークが、車輪から取り外されます。
これが、魂が物質界へ生まれてくることの象徴です。
重要なのは、スポークが突然「無」から作られたのではないという点です。もともと車輪に属していたものが、一時的に車輪を離れて、この世という経験の場へ赴く。
この発想からすると、誕生とは魂そのものの誕生ではなく、魂が物質世界で一つの人生を開始することになります。
② 火の中で鍛える――「人生経験」
取り外されたスポークは、火の中へ入れられ、鍛えられます。
火とは、この世の人生です。
喜びだけではありません。失敗、病気、別離、悲しみ、葛藤、愛すること、赦すこと、誰かを助けること――そうした経験全部が「火」に相当します。
鉄が火と槌によって強くなるように、魂も人生経験によって成長する、というわけです。
ここで大切なのは、人生の目的を単なる成功・失敗で測らないことです。
社会的に成功した人生だから魂が成長した、とは限りません。反対に、苦難の多い人生だったから失敗とも限らない。この比喩では「何を所有したか」ではなく、その人生から魂が何を学んだかが重要になります。
③ 車輪へ戻る――「死」
人生を終えたスポークは、再び元の車輪へ戻ります。
これが死です(ふるさとに帰る=類魂に還る)。
この考え方では、死は消滅ではありません。
出発したところへ帰ることです。
しかも、出発したときと全く同じ状態で戻るわけではありません。この世で得た経験、愛、苦しみ、知識、教訓を持って帰ります。
だから「帰郷」という表現が非常によく似合います。
【経験の蓄積と進化】
ここからが、この「車輪の比喩」の最も深いところです。
一本のスポークが人生を経験して戻ってくれば、その経験は単にその一本だけのものではなく、中心である「大なる私」の経験として加わる、と説明されます。
そして別のスポークがまた人生へ赴く。
それも戻ってくる。
さらに別のスポークが赴く――。
こうして、
誕生 → 人生経験 → 死 → 帰還 → 経験の蓄積 → さらなる成長
という「循環」が続いていきます。
つまり輪廻・再生は、ただ同じことを繰り返す円運動ではありません。
私はむしろ、**「円」より「螺旋」**として理解すると分かりやすいと思います。
同じように生まれ、死に、帰ってくる。しかし経験を持ち帰るたびに全体は成長している。したがって、同じ地点をぐるぐる回っているのではなく、循環しながら上昇していくわけです。
《ダイヤモンドの比喩》との共通点
ここで、コーちゃんが以前から大切にされてきた「ダイヤモンド」の比喩と見事につながります。
ダイヤモンドには多くの面があります。
一つの面だけを見れば、それはダイヤモンド全体ではありません。しかし、その面も間違いなくダイヤモンドの一部です。
これを車輪に置き換えると、
ダイヤモンド全体 ⇔ 車輪全体
一つ一つの面 ⇔ 一本一本のスポーク
となります。
共通する核心は、
「一つでありながら、多数である」
ということです。
ただし両者には表現上の違いがあります。
ダイヤモンドの比喩は、一つの大きな霊的自己が多面的に表現されることを理解するのに優れています。
一方、車輪の比喩は、誕生し、人生を経験し、帰還し、その経験が全体へ還元されるという動的なプロセスを理解するのに非常に優れています。
ですから私は、両方を併用するのが一番分かりやすいと思います。
ダイヤモンドは「構造」を説明する比喩。
車輪は「働き・循環・成長」を説明する比喩。
この違いです。
この「車輪」の例えの魅力
私が特に優れていると思うのは、個と全体の両方を消していないことです。
スポークはハブにつながっています。しかしスポークそのものがなくなるわけではありません。
逆に、一本一本がバラバラに独立しているわけでもない。
「私は私である。しかし私は孤立した存在ではない」
これを一枚の絵だけで表現できる。
さらに「生まれる→鍛えられる→帰る」という動きがあります。そのため、類魂のような抽象的で説明の難しい概念を、初めて聞く人にも直感的に伝えられます。
コーちゃんがこの車輪に注目された理由は、まさにそこだと思います。
『ジュリアの音信』とはどんな物語か
『ジュリアの音信』は、W・T・ステッドが、亡くなった友人「ジュリア」から受け取ったとされる死後通信をまとめた作品です。
現在のでくのぼう出版版では、第一篇「友人エレンに宛てた音信」、第二篇「ステッドに宛てた音信」、第三篇「ジュリアのお話」という構成になっており、「現界から他界への移行」「新生活の驚き」「天界の幸せ」「霊の成長の法則」「他界での生活」などが語られています。
物語の中心人物ジュリアは、アメリカのジャーナリストだった女性です。彼女が病気で亡くなった後、死後の世界から友人たちへ通信してきた、というのが作品の基本設定です。
絵本版の紹介では、ジュリアの死から約三か月後、ロンドンに住む親友エレンのもとにジュリアが現れるところから物語が展開します。
ジュリアが伝える最大のメッセージは、実に単純です。
《人は死んでも、人間そのものが消滅するのではない》
死ぬのは肉体であって、意識を持つ存在としての人間は、その後も生き続ける――これが作品全体を貫いています。山波言太郎総合文化財団も、この作品を「死後に間もないジュリアが、死の直後や死後の世界の様子を語った霊界通信」と紹介しています。(出典:やまなみ財団)
したがって、この作品で描かれる死は「人生の終点」ではありません。
むしろ次の生活への移行です。
ジュリアは、死後の世界を遠い抽象的な天国として語るのではなく、そこで何を感じ、何を見て、どのように生活し、どのように成長していくのかを伝えていきます。だからこそ現在の版の紹介にも「死後の様子や、あの世の状況と仕組み」が報告されている作品だと説明されています。
もう一つ大切なのが、死者を必要以上に悲しみ続けないことです。
これは「愛する人を忘れなさい」という意味ではありません。肉体が見えなくなったからといって、その人そのものが無になったのではない。そう理解できれば、死別の意味そのものが変わる、というメッセージです。実際、現在版の第一篇には「死者を悼むなかれ」という章が置かれています。
そして物語は、単なる「死後も生きています」という話だけでは終わりません。
人間は死後も成長する。
さらに魂には長い成長の過程がある。
そこで登場するのが、コーちゃんが2008年版41ページで見つけられた「車輪の比喩」です。
中心にハブがあり、そこから多数のスポークが伸びる。一つのスポークが物質世界へ出て行き、人生という「火」によって鍛えられ、経験を携えて再び中心へ帰ってくる。そして、その経験が大きな自己の成長へと結びついていく。
ここまで来ると、『ジュリアの音信』が伝えようとしているものは単なる「死後世界の紹介」ではないことが分かります。
なぜ私たちは生きるのか。
なぜ人生には苦難があるのか。
死とは何なのか。
そして個人の人生経験は、いったい何のためにあるのか。
その問いに対して、この作品は「魂の成長」という一つの答えを提示しています。
だからこそ、車輪の比喩が重要なのです。
人間の一生だけを切り取れば、人生には理解できないことがたくさんあります。しかし一本のスポークとして見れば、その一生は巨大な霊的生命の長い旅の一部分になる。
私たちは孤立した一本のスポークではない。
大きな生命につながりながら、それぞれの人生を生きている。
――これが、車輪の比喩から読み取れる最も美しいメッセージだと私は思います。
そしてシルバーバーチの「類魂」と比較するときには、
**「これはシルバーバーチ自身が示した車輪図ではない。しかし、「類魂」という難しい概念を理解するための非常に優れた類似モデルである」**と位置づけるのが、一番正確で、なおかつ説得力のある紹介になると思います。(出典:やまなみ財団)

