黄輝光一公式サイトへようこそ。

【約束は、来世へ】―敏男さんとひろみの物語―

この記事は約3分で読めます。

【約束は、来世へ】  <ノンフィクション>

―敏男さんとひろみの物語― 松山ひろみ

22歳のある日、お買い物に行くので歩いていると、風呂桶を手に持って、「僕のお家はどこでしょう?昨日引っ越してきて、道に迷ってしまいました。一緒に探してほしいんです。」という人がいました。

敏男さんです。彼は24歳。初めての出会いでした。一緒に探して、見つかったのですが、なんと、私が通っている調金教室のアパートでした。私はその時、世田谷区代田一丁目でスナックをやっていました。そのスナックは、大学のサークルのような感覚で、野球好きなお客さんは野球部。兄はピッチャー、敏男さんはキャッチャー、私はスコアラー。また、テニスの好きなお客さんはテニス部、私は後衛。その他マリンスポーツ部、スキー部、競馬同好会、囲碁、将棋、オセロゲーム、トランプ、エトセトラ。総勢50人ぐらいのお客様、すなわち仲間が集まりました。

そんなこんなで、みんなで楽しく遊んでいました。仲間たちが自分の彼女、彼氏を連れてきたり、仲間の中でペアになったり、ある時、気がつくと、残っているのは私と敏男さんだけになってしまいました。私は27歳。敏男さんは29歳の時です。

「私たち、余っちゃったね。余っちゃったから、結婚しようか。」と敏男さん、結婚することにしました。

敏男さんがご両親にお会いしたい。私も敏男さんを両親に紹介したかったので、家に連れて行くと、めちゃくちゃ不良の父は、「どこの馬の骨だ、お前は!」と、どやされ、投げ飛ばされ、3度も追い返されました。

父親は敏男さんに、「条件がある。ヒロミは歩けない。お前は一生車椅子を押して、ヒロミの介護ができるのか。」「はい、できます。車椅子を押します。大丈夫です。」とはっきり答えてくれました。

私たちは結婚して幸せになりました。

男の子が生まれました。野球の荒木大輔のファンだったので、大輔と名付けました。次に女の子が生まれました。広く好かれる、祥子と名つけました。

敏男さんは、嬉しくて嬉しくて、産院の廊下を「万歳!女の子だ!万歳!」と言いながら、走り回って、看護婦さんに叱られてしまいました。

私は料理が下手くそで、敏男さんは料理上手。いつも料理を作ってくれて、美味しかったです。

そんなある日、

「僕は会社に行かない」、と言い出し、私が、敏男さんの代わりに働くことになりました。敏男さんは心の病でした。そんな中でも二人の子供たちは成人し、それぞれの道を力強く歩んでくれています。

【余命3ヶ月】

敏男さん47歳の時の宣告でした。病名は膵臓癌の一種です。敏男さんは3年間、精一杯生きました。その間、二人でたくさん旅行に行き、思い出がいっぱい増え、お墓の相談もできました。

敏男さんは、死期迫るベッドの中「今度生まれ変わったら、もっと丈夫な体で、健康で、長生きするから、また一緒になろうね」、と言ってくれました。私も約束しました。

生まれ変わったら、敏男さんと一緒になって、楽しい思い出をたくさん作ろうと思っています。夫に会えるその日まで、寿命も全うし、自分のできる範囲で、「世の中の人のお役に立ちたい」と思っています。ちなみに、父親と敏男さんは同じ墓に入っています。今頃、二人で思い出話をしているかもしれません。