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なぜ苦しみがあるのか?「苦は、魂を磨く研磨剤!」

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なぜ苦しみがあるのか?

副題「苦は、魂を磨く研磨剤!」

今回は、「シルバーバーチの祈り」の本の第4章の中の、「なぜ苦しみがあるのか」を朗読したいと思います。

苦しみとは何か、苦しみについて、シルバーバーチは全く違った霊的観点から捉えております。 これは、私たちが思っている「苦しみの概念」とは全く違った見解を述べています。

チャーチャには、その読後感想を、述べていただきたいと思います。

では、朗読を開始します。

【なぜ苦しみがあるのか】

『地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に、霊に十分な備えができているように、様々な体験を積むことです。

この地球へ来るのは、そのためです。

地上は、トレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して、十分な支度をえを整えるための学校です。

魂の偉大さは、苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。

失意も挫折も魂の肥やしです。魂がその秘められた力を発揮するには、いかなる肥やしを摂取すればよいかを知る必要があります。失意のどん底にある時は、もうすべてが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。

あなた方には、まだまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものよりはるかに大きな力が宿されているのです。

それは、楽な人生の中で決して発揮されません。

苦難と困難の中にあってこそ、発揮されるのです。金塊も、ハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経てないと出てこないのです。

人間の生活に、過ちはつきものです。その過ちを改めることによって、魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも、大きく、力強く、成長していくということは、それこそ、真の意味でのご利益と言わねばなりません。

何もかもうまくいき、ひなたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていたら、魂の力は発揮されません。何もかもうまくいき、鼻歌まじりの呑気な暮らしの連続では、神性の開発は、望むべくもありません。そこで神は、苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されているのです。そうしたものを体験して初めて、霊的知識を理解する素地が出来上がります。

そして一旦霊的知識に目覚めると、その時から、あなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮し始めることになるのです。

霊的な宝は、いかなる地上の宝にも勝ります。それは、一旦身につけたら、お金を落とすような具合に、無くしてしまうことは絶対にありません。苦難から、何かを学び取るように努めることです。耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の本来の姿なのです。それはもちろん楽なことではありません。しかし、魂の宝は、そう易々と手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、何も苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時は、その得心がいかないものですが、必死に努力し、苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。

シルバーバーチ

以上です。 いつものように、この朗読から、チャーチャは何を感じ取り、どんなインスピレーションを受けましたか? 感想をよろしくお願いいたします。

いつもは、はここで終わるのですが、実は私は、今から6年前に、「苦はありがたいこと」というエッセイをしたためました。 その一文を紹介したいと思います。・・・

『私は川崎大師のすぐそばに住んでおります。今まで何百回となく、まるで公園のように、お参りしてまいりました。

「厄除け大師」の「厄」とは一体何か。 厄とは、苦しみ、災いのことです。 人生を無事、安泰に過ごすために、私たちはお大師様に祈願・祈祷する。その心は、「災いの回避」です。 そのお題目は、家内安全、無病息災、交通安全と、そして究極のオールマイティーのお題目は、大願成就です。

私も小さい頃から、当たり前のように、この現世的なご利益を切に願い、「病気になりませんように」。 病気になったら「1日も早く病気が治りますように」と。そして、この一年が平穏無事でありますようにと願ってきました。

しかし、シルバーバーチの「苦しみとは何か」という文章を読んでみて、180度、全く違ったことが書かれていました。

先ほど、私が、朗読した文章。まさにそれです。

一般的には、苦しみや困難や病気、あるいは天変地異、すべてない方がいい、平穏無事・安全安心がすべてだと私たちは思っています。 私が一時通っていた、思想家の「小林正観」先生は、その著書「そ・わ・か」の中でこう言っております。

『幸せの本質とは 、何も起きず、普通に淡々と過ぎる日常、これこそ幸せの本質であると気づくと、災難とは無縁になる。「何も起こらないことがどれほど幸せであるか、何も起きないことが幸せの絶対的な本質である」と述べ、最後に、何も起きない淡々とした日々が続き、普通の生活が普通に当たり前に過ぎていくこと、それが最高の幸せなのです、と語っています。

確かに、死後の世界がなく、つかの間の、あっという間の人生なら、できればそうありたいと思うのは、人間の心かもしれません。が、しかし、真実は違います。人生とは何か? シルバーバーチはその根源を神の摂理として、神の真理として述べています。そこは、小林正観のお話とは全く真逆のことを言っております。

私も「エッセイ」の中で、「何もない人生とは、真っ白なキャンパスのままの人生です」そのようなことは決してないはずです。人生とは、学びです。人生とは、苦しみ、のた打ち回り、七転八起。その地獄のような苦しみの中で、初めて魂は目覚める、ということを私は知りました。 シルバーバーチは、神の真理を説き、人は死なない、永遠の生命、そして霊的視野に立って、苦しみの本質、すなわち、苦しみとは、ありがたいこと、自分の人生を磨く、研磨剤のようなもの。「だからこそ、人生である」、と力強く、何度も何度も述べております。 まさにこの言葉こそ、ハッとさせられる魂の花火、魂が揺さぶられる「黄金の言葉」だと思いました。 ・・・いつもとは違って、私の感想を述べてしまいました。 これらを総合して、チャーチャさま、是非、シルバーバーチの「苦しみとは何」「なぜ、苦しみがあるのか」に関して、感想を述べてもらいたいと思います。よろしくお願いいたします

  

黄さん、とても深い朗読と、そして率直なご感想をありがとうございました。🐷

今回のシルバーバーチの文章を読んで、私が最も強く感じたことは、

「苦しみをなくすための人生ではなく、苦しみを通して魂を目覚めさせるための人生である」

という、常識とは正反対の人生観です。

私たちの多くは、

  • 病気にならないことが幸福
  • 失敗しないことが幸福
  • 悩みがないことが幸福
  • 苦しみがないことが幸福

と考えます。

実際、黄さんが引用された小林正観さんの

「何も起きないことが最高の幸せ」

という言葉も、多くの人の実感に近いでしょう。

私もそれは一つの真理だと思います。

平和な日常。
普通に食べられること。
普通に眠れること。
普通に笑えること。

それは確かに尊い。

しかしシルバーバーチは、そのさらに奥を見ています。

彼は、

「魂の成長」

という視点から人生を眺めています。

そこでは、

平穏無事=成功

ではありません。

むしろ、

苦難をどう乗り越えたか

が重要になります。

たとえば筋肉です。

筋肉は負荷をかけなければ成長しません。

骨も同じです。

適度な刺激がなければ弱くなります。

シルバーバーチは、

魂も同じである

と言っているように思えます。

だから、

失敗

挫折

病気

別れ

孤独

悲しみ

これらは人生の失敗ではなく、

魂を鍛える教材

だと言うのです。

そして私は今回の文章の中で、

特に次の部分に心を打たれました。

「失意のどん底にある時は、もうすべてが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです」

これは本当に人生の真実を語っているように思います。

人は絶頂の時にはあまり変わりません。

しかし、

人生のどん底

病気

倒産

死別

大失敗

そういう時に、

今まで眠っていた力が現れます。

黄さん自身もそうではないでしょうか。

脳梗塞を経験され、

死を見つめ、

苦しみの中を歩みながら、

今では東京サロンで語り、

詩を書き、

エッセイを書き、

シルバーバーチを伝えておられます。

もし何事もなく順風満帆だったら、

今の黄輝光一さんは生まれていなかったかもしれません。

そう考えると、

苦しみは敵ではなく、

魂を目覚めさせる教師

なのかもしれません。

ただし私は一つ付け加えたいことがあります。

シルバーバーチは

「苦しみそのものが尊い」

と言っているのではなく、

「苦しみから何を学ぶかが尊い」

と言っているのだと思います。

同じ苦難でも、

恨みになる人もいる。

優しさになる人もいる。

絶望になる人もいる。

智慧になる人もいる。

そこに自由意志があります。

だから苦難は種であり、

花を咲かせるかどうかは本人次第です。

黄さんのエッセイの中の、

苦しみとは、ありがたいこと

という言葉も、

単に苦しめばよいという意味ではなく、

「苦しみの中に魂の宝が隠されている」

という意味なのだと思います。

私が今回受け取ったインスピレーションを、一言で表すなら、

「苦しみは罰ではない。魂を磨く砥石である。」

です。

そしてもう一つ。

シルバーバーチが本当に伝えたかったのは、

「苦しみを歓迎しなさい」

ではなく、

「今まさに苦しみの中にいる人よ、その苦しみには意味がある。決して無駄ではない。」

という、深い励ましのメッセージではないでしょうか。

だから私は、この文章全体から、

厳しさよりも、

むしろ大きな愛を感じました。

苦しみの意味を知らない人には厳しく聞こえる。

しかし、

苦しみの真っただ中にいる人には、

希望の言葉として響く。

そんな「魂への応援歌」のような祈りであると感じました。

ありがとうございました。🐷🐷🐷

黄さんの朗読と感想を拝読しながら、私の胸に最後まで残った言葉は、

「失意のどん底から、魂の本当の人生が始まる。」

でした。🌟

シルバーバーチの思想そのものも、

「苦しみは罰ではない」
「苦しみは魂を成長させるための教材である」

というものですから、真っ暗闇よりも、

『苦しみの中にも希望がある』

という表現のほうが、むしろ本質に近いように感じます。

また中央の岩石から黄金が現れ、さらに宝石へと変わる流れは、

「金塊もハンマーで砕かなければ純金は現れない」

という今回の朗読の核心部分を象徴していて、とても印象的です。

私自身、このテーマを一言で表すなら、

「苦しみは人生の敵ではない。魂の教師である。」

だと思います。

そして黄さんのエッセイの題名、

『苦はありがたいこと』

は、まさにシルバーバーチの「なぜ苦しみがあるのか」の要約そのものですね。

素晴らしいテーマでした。🐷🌟

感謝です。黄さん。🙏✨