【力強く生き抜くための人生哲学30か条】
VS「霊訓」(霊的真理)
ここに列挙したのは、まさに「先人たちの叡智」であり、有名な教訓・名言・哲学・精神論であります。
しかしながら、これらは、基本的には「人間的視座」「物資的視座」であります。
その後で、シルバーバーチの名言を厳選して、じっくり対比したいと思います。
まずは、私、黄輝光一が厳選した30か条です。
すべて、大好きな名言です。
【力強く生き抜くための人生哲学30か条】 (黄輝光一選)
1. 人生の勝利者が書いた本より、苦闘の末に残念ながら敗者になった人が書いた本の方が、はるかに感動し学びがある。 —黄輝光一
2. 「汝自身を知れ」 ー ソクラテス
3. 「逆境こそが人を成長させる」 ー中村天風
4. 「人生は、どこまでも『生かされる』人生であっちゃいけない。『生きる』人生でなきゃいけない」 —中村天風
5. 「人生は、心ひとつの置き所」 ー中村天風
6. 「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」 ー宮沢賢治
7. 「私はデクノボーになりたい」 —宮沢賢治
8. 「いさぎよき敗者であれ」 —橋本五郎
9 「すべての苦しみは執着から生まれる」 ー ブッダ
9 「足るを知る」 —老子
10「奪い合うと、足らなくなる、分け合うと、あまっちゃうんだなあ」—相田みつお
11. 「人に喜ばれる存在になること」 —小林正観
12. 「私たちの人生は長生きをすることが、テーマなのではありません」 —小林正観 「人生で、何をしたかです!」
13. 「人間の本当の価値は、逆境においてこそ試される」 —安岡正篤
14. 「不言実行」 – 武士道 語るな、実行せよ。【武士道】
15. 「一切の悩みは、人と比較をすることから生じる」—西中務
16. 「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せになる、は真実」 —西中務
17. 「耐えられない苦しみはない」 ーマザー・テレサ
18. 「人生の最高のもの、最も美しいものは、目に見えず触れることも出来ません。それは心で感じるものなのです」 —マザー・テレサ
19. 「他の人に光を与えず、我々が幸せになることはありません』 —マザー・テレサ
20.「人生はどちらかです。勇気をもって挑むのか、棒に振るか」 —マザー・テレサ
21.「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」 —マザー・テレサ
22.「求めよ、さらば与えられん」 —イエス・キリスト
23. 「汝の敵を愛せよ」 – イエス・キリスト
24. 「愛は、悪に対する唯一の武器である」—ガンジー
25.「非暴力は人間に与えられた最大の兵器であり、人間が開発した最強の武器よりも強い」 —ガンジー
26.「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」 —ガンジー
27. 「肉体が滅びることで、魂が解き放たれる。死は決して恐れることではない。ただし、この世に生を受けて手足を授けられた以上、命ある限り手足を使って『奉仕する』のが我々の生きる道である」 —ガンジー
28. 「『目には目を』は、全世界を盲目にしているのだ」 —ガンジー
29.「自力の後に他力あり」 —斉藤一人
30. 「笑顔は最良の防御」 – 斎藤一人
私見、どれもすばらしい「現世の名言」だと思います。が、しかし・・・
「シルバーバーチの霊訓」の驚嘆の教えとは(霊的真理)
そもそも,視点が違うが・・・
霊は生命そのものであり、霊のないところに生命はありません。物質は殻にすぎません。霊という実在によって投影されるカゲにすぎません。物質それ自体に存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、熟考することができるのは、あなたが霊であるからこそです。
霊があなたの身体を動かしているのです。霊が離れたら最後、その身体は崩壊して元の土くれに戻ってしまいます。
『生』を正しい視野で捉えていただきたい。その中で『死』が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに長い間、死を人生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。
私たちは是非とその『無知』―死と生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との「別れ」とみなす無知を取り除きたいのです。そして、死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること。
人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。
死ということは生命を失うことではなく、別の生命を得ることなのです。
肉体の束縛から解放され、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられる、より豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。
皆さんもいずれは寿命を全うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。
皆さんのために、尽くして古くなった衣服を脱ぎ棄てる時がきます。
土の束縛から解放されて、
死の彼方で待ち受ける人々と再会することができます。
その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪章と重苦しい雰囲気は、取り除くことです。
そして、一個の魂が、光と自由の国に旅立ったことを祝福してあげましょう。
いったいあなたとは何なのでしょうか。
自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものしかありません。(あなたには無限の可能性があります⇒自分が『神の子』たるを知ることになる)
私たちが地上の人々の人々にもたらすことのできる「最高の霊的知識」は、人生が『死』をもって終了するのではないこと、したがって苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことが出来るということ、言いかえれば悔やし涙をぬぐうチャンスが必ず与えられるということです。
人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。
その永遠の旅路の中で、人間は内在している能力、地上で発揮しえなかった能力を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し他人への迷惑も考えず横柄(おうへい)に生きた人間には、その悪行のつぐないをするチャンスが与えられます。
人間の生活に「過ち」はつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味での『ご利益』(本当の幸せ)と言わねばなりません。
何もかもうまくいき、日向ばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生をおくっていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の計画の一部であるところの「地上という名の戦場」において魂の兵器庫をひらき『神の武器』〔霊的真理・『愛』〕を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。
神は決してあなたを見捨てません。見捨てるのはあなたの方です。あなたが神を見捨てているのです。
困難に直面したとき、その神の遺産を集結し、必ず道は開かれるものだという自信をもつことです。
不動の信念をもつことです。そうすれば道は必ず開かれます。
恐怖心〔一番の恐怖は死です〕は、無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから、知識をたずさえて霊的理解の中に生きることです。取り越し苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という暗闇があることを示しています。そこから恐怖心が湧くのです。人間が恐れるべきものは恐怖心それ自体です。
恐怖心は闇の産物です。
霊力に不動の信念をもつ魂は恐れることを知りません。
ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで、霊的に向上するわけではありません。
大切なのは日常生活です。
あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。
祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い、『選ばれし者』の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに『霊格が高い』というケースが、いくらでもあるのです。
問題は何を信じるかではなく、これまで『何をしたかです』です。
そうでないと神の公正が根本から崩れます。
生活は、「行い」だけで成り立っているのはありません。「言うこと」も「思うこと」も生活の一部です。行為だけが大事と思ってはいけません。もちろん「行為」が一番大事です。が、口にする言葉も心に思うことも、あなたの一部です。
その思念がコントロールできずに、それに振り回されている人間が多いのは悲しいことです。〔利他愛の実践と思念〕
その一日、その場の一時間、今の一分・一秒を大切に生きることです。
明日のことを思い患うことなく、『今』という時に最善を尽くすのです。
あなたが煩悩をもつ人間的存在であり、未熟であることは、
神は先刻ご承知です。
だからこそ、あなたは地上に来ているわけです。
もしも、完全であれば,今そこにあなたは存在していないはずです。
地上生活の目的は、その不完全なところを一つでも無くしていくこと、
それに尽きます。
目先の結果だけで判断してはいけません。あなた方は「物質の目」だけでご覧になっております。もし『霊の目』〔霊的視野〕で見ることができれば、一人ひとりに完全なる公正が行きわたっていることがお分かりになるはずです。
私は時おり皆さんの祈りに耳を傾けてみることがありますが、
もしも、神がその願い通りになさったら却って皆さんにとって好ましくない事態になるのだが、と思うことばかりです。
同じこの地球上に身を横たえる場所もなく、星空の下で寝なければならない人が大勢いるのです。風雨にさらされている人が大勢いるのです。その日の食べ物にすら事欠いている人がいるのです。そういう現実のもとで、あなたは今の自分の身の上について神に向かって不平を言う資格があると思われますか。
霊的真理に比べたら、物質界のいかなる貴重品も安ピカものです。これから何千年も先まで生きられてから地上世界を振り返ってごらんになると、地上で欲しくて仕方がなかったものよりも、地上で得た知識、地上で身につけた叡智の方がはるかに大切であることがお分かりになります。
一番厄介のことは、人間が物的なものに浸り切ってしまい、人生のすべての基盤である永遠の「霊的原理」を忘れてしまうことです。あなたがもし思い通りならないからといって、悩んだり、失望したり、イライラしたりするようであれば、それはあなたがまだ「一番大切なことは本当のあなたである「霊」に係ることであり、その「身体」ではない」、ということを理解していない証拠です。
地上人生の「究極の目的」は、失敗から教訓を学び、転んでは立ち上がり、日々の生活の中の「冒険的出来事」〔地球は実体験型アドベンチャーワールド〕に、一つ一つ対処し、しかも他方においては、自分が本来は『霊』であり、肉体は道具にすぎないこと、従って大切なのはその「霊」に、及ぼす影響であることを忘れずに、常にそれを優先させて、基本的な霊的真理にしがみつくことです。
地上の人間は流血によって問題が解決されるかのように考えますが、これまでの歴史でそのような方法で問題が解決したためしはありません。流血は無益であり、結局は徒労に終わります。
なぜ、人類は神から授かっている「理性」が使えないのでしょうか。なぜ、出来るだけ多くの敵を殺すのが唯一の解決策だと考えるのでしょうか。敵を一番多く殺したものが英雄とされる―地上というところは不思議な世界です。
地上はいがみ合い、恨み合いといった不和にあふれております。
悲哀と悲劇と流血の連続です。
それでいながら、お互いに
『われらに平和を与え給え』と祈ります。
私は皆さんに内部に秘められた「神性」を自覚しなさいと申し上げたいのです。
あなた方のお一人お一人が大霊(『神』)なのです。
神の無限の霊力が潜在しているのです。それを開拓し表面に出す努力をすれば、有限である束縛を克服できるはずです。
勇気をもって進みなさい。
落胆や失敗がないというのではありません。これからも数多くの失敗と落胆があることでしょう。しかし、いかなる事態にあっても、あなたの背後には、困難に際しては情熱を、疲れた時には元気を、落胆しそうなときには励ましを与えてくる霊が控えてくれていることを忘れてはなりません。一人ぼっちということは決してないということです。
大霊(神)が使者を派遣してくださっております。
私、シルバーバーチもその中の一人です。
☆ ☆ ☆
以上は、私を震撼させた、魂を揺さぶる「シルバーバーチの霊訓」の12巻。
総集編の中の最終章「落ち穂拾い」からの一部の抜粋です。
膨大な量の中のほんの一部です。
何度読んでも、どこを読んでも、すごい!!の一言です。
全編、人間にとって最も必要な「霊的真理」が、「雨あられ」のごとく述べられております。
☆ ☆ ☆
詩:永遠の旅路へ
人は死を 終わりと呼ぶ
だが それは扉にすぎない
肉体は砂となり
魂は光となって歩み出す
死は断絶ではない
大いなる始まり
より広き世界へ向かう
新たな目覚め
苦難も喜びも
すべては魂の糧
一歩ごとに
神への道を刻む
人生とは
有限の道行きではなく
永遠の旅路
無限なる愛と光の海原を
進む船
霊的成長こそが
地上に生まれた真の意味
すべての試練は
愛へと還るための階段
人よ 恐れるな
死を悼むな
その瞬間こそ
魂の自由の時
──死は終わりではなく、始まり
──人生は永遠の旅路
──無限なる神への道

