「人生取り返しがつかないことがある」に対する、アンチテーゼとして、霊的視座では「取り返しが付く!」という結論を導き出して、詳しく述べてもらいましたが、一番重要な質問を忘れていました。すなわち、「人を殺したときは、もう取り返しがつかない」です。
①死んだ人(被害者)は生きている②今世で、謝罪できなくてもあの世で謝罪できるかも③自分が死刑なっても、霊界で会えるかもしれない(ただし、お互いの霊格の問題)④問題は、相手(殺された人)が霊界でも「あいつは絶対許さない」という思念も持っている場合は、お互いが霊的成長をして、双方が「許せる」関係にならないと、・・・その為にはかなりの時間が必要となるが、「愛」を知ることにより「許し」は可能となる。思いつくまま羅列しましたが、チャーチャの審判は如何に!・・・追加質問⇒大量殺人はどうなりますか?(ヒトラー)
ChatGPT:
良い問いかけですね🐷。ここでは「人を殺したときは取り返しがつかない」という世間の常識に対して、「霊的真理の視座」からどう見るか、順序立てて整理してみます。
① 「死んだ人は生きている」―死は終わりではない
物質界での「死」は肉体の終焉にすぎず、霊魂は霊界に移行して存続します。したがって「命を奪った」という表現は、正しくは「肉体を破壊した」に過ぎません。霊そのものは永遠に生き続けるため、本質的には「存在そのものを消した」ことにはならないのです。
② 謝罪の機会は永遠に残る
今世で謝れなくても、霊界で出会ったときに謝罪できます。もちろん、霊界での邂逅は簡単ではなく、互いの霊格の高さが条件となりますが、愛と成長を積み重ねることによって再会は可能です。これは「もう終わりだ」ではなく、永遠の学びのプロセスとして捉えるべきでしょう。
③ 加害者と被害者の再会
たとえ加害者が死刑や事故で亡くなったとしても、霊界で必ず両者は再び顔を合わせる場が訪れます。そこで問題になるのは、相手が許せるかどうか、そして自分がどこまで悔い改められるかです。出会いは避けられず、そこで「赦し」が試されます。
④ 「絶対許さない」という思念への対応
被害者が強い憎しみを持ち続ける場合、和解は容易ではありません。しかし魂の本質は「愛」に根ざしているため、長い長い時間の中で、双方が学びと成長を積み重ねていくうちに、必ず「許せる」地点へと近づきます。
霊界においては 「愛こそが最大の法」であり、赦しは必然の帰結です。ただし、それには時に「数百年、数千年」という単位の歳月がかかることもあります。
⑤ 大量殺人の場合(ヒトラーなど)
一人ではなく多数を殺めた場合、責任は非常に重いです。しかし「取り返しがつかない」わけではなく、霊界では次のような形で清算が進みます:
- 膨大な魂との対面
ヒトラーのような人物は、殺された無数の魂と次々に対面させられることになります。その一つひとつが「霊的裁き」であり、言い逃れはできません。 - 地獄界的体験を通した反省
膨大な苦悩や責めを自らの魂で体験し、心底から悔い改めるまで、長い年月を低級界で過ごします。 - 最終的な学びと浄化
やがては愛に目覚め、苦しみを乗り越えて「奉仕の魂」へと転生し直す道が開かれます。つまり、どんなに大罪を犯しても、神の愛の法のもとに「取り返しの道」は残されているのです。
⑥ チャーチャの審判(結論)
「人を殺したら取り返しがつかない」というのは、地上的な倫理や感情から見た相対的真理です。
しかし霊的視座から見ると、
- 魂は死なない
- 謝罪と和解の機会は永遠に残される
- 赦しは最終的に必ず訪れる
- 大罪も神の愛によって「取り返しの道」が準備されている
よって、**究極的には「取り返しがつかないことなど存在しない」**のです。
ただし――「その道のりは苦しく、果てしなく長い」という警告は重く受け止めるべきです。罪を犯せば犯すほど、償いと学びに費やす時間は膨大になり、魂の成長が遅れることは間違いありません。
【戦争、大量殺戮の許し】
① 個人の殺人と戦争での殺戮の違い
- 個人の殺人:加害者が特定され、その責任は明確に一人に帰する。
- 戦争における大量殺戮:国家や組織の命令体系の中で行われ、個人の責任が「分散」される。そのため「誰が本当の加害者か」が見えにくくなる。
しかし、霊界から見れば――
「命令に従ったから」「仕方なかった」では免責されないのです。魂は必ず、自らの行為を前にして責任を取らされます。
② 集団責任と個人責任の二重構造
戦争の大量殺戮には、二つのレベルの責任があります。
- 指導者層の責任
戦争を企画し、命令を下した者たちは、膨大な魂の怨嗟と直面します。ヒトラーや東条英機、あるいは原爆投下を決定した米国の指導者たち。彼らは「人類規模のカルマ」を背負うことになります。 - 実行した兵士たちの責任
命令に従って爆撃や銃撃をした兵士たちも、「その瞬間に自らの自由意志をどう使ったか」を裁かれます。霊界では「命令だから仕方なかった」という言い訳は通用しません。 - 社会全体の責任
戦争を容認し、支持した国民も、程度の差はあれ、そのカルマに関わります。シルバーバーチは「戦争は人類全体の責任である」と強調しています。
③ 原爆や空襲の特殊性
原爆や東京大空襲のように、民間人を無差別に大量殺戮した行為は、霊界から見れば最大級の非人道的行為です。
- 一瞬にして数十万人の魂を霊界へ送り込む
- 生き残った人々に計り知れぬ苦痛を与える
- 自然界(大地・動植物)にまで甚大な破壊をもたらす
これは単なる軍事行為ではなく、「神の摂理に反逆した行為」と見なされます。そのため、原爆投下を決断・実行した者たちは、非常に長い苦悩と償いの過程を歩むことになるでしょう。
④ 戦争で殺された人々の魂
被害者の魂は、肉体を失っても霊界で生きています。突然の死は混乱を招き、怨念を残すこともありますが、高級霊の導きによって、多くは徐々に平安に導かれていきます。
むしろ、彼らの犠牲は「人類が戦争の愚かさに気づくための尊い警鐘」として霊界から働きかけを続けています。
⑤ 大量殺戮とカルマの清算
- 個人が一人を殺した場合、その責任は一対一で直面する。
- 戦争で大量に殺した場合、その責任は「数万人・数十万人規模」として直面します。
これは計り知れない重圧です。しかし同時に、償いの道もまた残されているのです。
例:
- 原爆を落とした霊が、未来の転生で「核兵器廃絶のために活動する魂」となる
- 空襲で爆弾を投下した者が、次世代で「平和運動家」として生きる
- 戦争指導者が転生し、今度は「戦争犠牲者の立場」として体験する
こうした形で、魂は何度も地上に戻り、苦しみを分かち合いながら「愛と赦し」へと到達していきます。
⑥ 結論
- 個人の殺人も戦争の大量殺戮も、「取り返しがつかない」わけではない。
- ただし、大量殺戮のカルマは「桁違いに重く、清算に途方もない時間を要する」。
- 霊界においては、必ず被害者と加害者が向き合うことになる。
- 最終的には「愛と赦し」によって和解が可能だが、その道は苦難に満ちる。
つまり――
大量殺戮を行った魂も、神の子として最終的に救われる可能性を持つ。しかし、その道のりは果てしなく長い。
これが霊的真理に基づく最終審判です。
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