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黄輝光一著【告白~よみがえれ魂~】増補新装版を、読んで。

shohyou-sam2 エッセイ
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末原正彦

         季刊誌『コールサック』110号(2022年6月発行)

短編小説集である。初版の在庫が尽きたので、新作「いつもの人」を加え、増補版として再販したということで。なるほど。さもありなん。どの作品も面白いのだ。軽妙で飄逸だが、底が深い。そこらに転がっている日常のようだが、ひと味違うのだ。

ここまで「時の流れ」を肯定的に捉える作家は少ないのではないか。

望めば叶えられるという強い精神が作品を書かせているように思える。

物語の筋書きを詳細に述べるのは、これから読む人にはお節介と言われそうなので、ほどほどにするが、収録された十作品について触る程度に触れてみたい。

まず巻頭作品は「白樺のハイジ」。長野県白樺湖の近くにある喫茶店の雰囲気に惹かれ、私という青年がふらりと入ってきた所から物語は始まるのだが、〈あなたは正しい〉をキーワードとして、当時社会問題化した新興宗教を軸に物語は展開し、結局、白樺湖の自然の中の物語として、美しくまとまるのである。〈あなたは正しい〉については、昔、映画の鈴木清純監督の奥さんがママをしていたバーに脚本家の山田信夫さんに連れて行ってもらった時、唐十郎などが先客がいて、論議が始まり、ついには殴り合いに発展したことを思い出した。〈あなたが正しい〉とお互いに思えば、殴り合うことも無かったろうにと。

次は「踊り子」という作品。これは二話からなる物語。34歳の奥手の僕が或る一人にのストリッパーの追っかけとなり、その彼女が小学校の同窓生だった。偶然は運命的な出会いでもあるのだ。そして二話は、70代の私の告白は、やはり偶然の運命的出会いを呼び、物語は必然から宿命へ、一話の〈僕〉へと導かれてゆくのである。ここでもしっかりと時間の流れを肯定しているのだ。この短編を読んで思い出したのは、麻雀の弟にマネ―ジャーの真似事で付いて行ったとき、楽屋に舞台から戻ってきたストリッパー嬢が観客に馬鹿にされたと泣き喚き〈くそ!バカにしやがって〉と叫んでいたことだった。この物語のストリッパー嬢も大変な生活をしてきたに違いない。

三編目は「動物たちに愛を!」(ベジタリアン部長)。菜食主義者が肉食販商事の部長に昇進したことによる悲劇とも喜劇ともいえる展開、結局この部長は3か月で更迭され、退職する。それが彼にとっては良かったのだ。ところで人間は生きて目前にいる動物たちには愛しさや可愛らしさを感じるが、肉になると食欲を感じる動物で、その矛盾を突いて面白く仕上がっている。この主人公は豚の屠殺現場を見て以来、鶏肉を好むことはなくなった。それにしても、吊るされる前に籠から逃げ出した鶏が、どこへ逃げるでもなく、その場で地べたをつつき餌を探し始め、結局すぐ捕まって吊るされるのを見て、妙な絶望感を味わったことを思い出した。

四篇目は「青年の苦悩」(もし十億円当たったら)。

ある新人社員のお話。もし十億円当たったら―誰でも考えることである。買うことは当たることを夢見るが、外れると、当たれば碌な人生にはなるまい、と諦めるのである。確かに私の身近な人で、当たったおかげで人生を狂わせた人がいた。しかし、この話は苦労を掛けた母と息子のめでたい話にまとまるのである。

五編目は「守護霊の涙」(ハリウッドスターの大罪)。これはハリウッドの大スターに着いた守護霊の話である。肉体が消滅したあと残るのは魂であり、死後の世界は魂の進化、向上のための新たな旅立ちであり、そのサポートをするのが守護霊という。ここでもそうだが、作品全編を通して、相互扶助、利他の心、奉仕の心が歌われている。

六篇目は「占い師銀子」。占い師が占い師を評価し、格付けするという展開で、占い雑誌の新編集長(女性)と評価し,格付けの記事を書く私との企画で、銀座の銀子なる評判高い占い師と対決するという流れになるのだがー。ここでは深層心理と宇宙的な愛が呼応して男女が魅かれ合う姿を軽妙洒脱に描いている。

七編目は「いつもの人」。主人公は喫茶店でアルバイトをしている私。気になるのは

いつも同じ時間に来て、同じ時間に座り、同じものを注文するお客。そのいつもが時々いつもでなくなる。すると、私の心理もいつもでなくなる。時空間で人は人と繋がっている。

八篇目は「夏のセミ」(ピンコロ地蔵)。同年の65歳の友人の葬儀帰りに、ぴんころ地蔵を訪ねることになり、道中、人の死に方を考える掌編。確かに苦しまずにぴんぴんころりと死ぬのは大方の望みだが、心の準備も死に支度もできないのは嫌だ、と言われれば、それもそうかなと思う。〈自然死〉がいいと言われれば成程と思う。

九篇目は「人類への警告」(十万年後の世界)。これは小説の体裁をとってはいない。今までの八編の小説にちりばめてきたテーマをストレートに語り、詩に表している。過大ノルマ、過当競争、命令と服従、弱肉強食、物質至上主義。毎年二万人以上が自殺、三組に一組が離婚。こんな社会を誰が求めているのか、自己中心の欲をなくし、利他の心、慈悲の心、奉仕の心を育てようと語り掛け、最後の十篇に入る。

第十篇「告白」(本人)。これは〈死ぬ死ぬ詐欺師〉という前振りがある。医師が手術をするといういうのに、患者がしないという。それは一般常識に逆らった詐欺だというのだ。私という患者は夢の中で警察に逮捕され、最終章の「告白」に頁は進む。さて、何か告白されているのか。それは自分、つまり作者は医学界のゾンビである、と告白しているのである。三度脳梗塞で倒れ、三度とも手術を断り、瞑想と祈りでバランスを保ってというのだ。脳血管は重要な動脈が三本も詰まっている重大症状で緊急手術が必要という医者に、手術はしないと明言する。却って脳が壊れ、命を懸けている大好きな囲碁が出来なるなることが危ぶむのだ。〈死〉は恐れない。生物は病によって死に至るのであれば,その自然死を受け入れよう、というのだ。他にも潰瘍性大腸炎、糖尿病、血管年齢90歳以上、高血圧など病気のデパートといった死と隣り合わせの日々を送り、医師界から生きているのが不思議といわれるゾンビが、死と向き合って書き始めたファンタジックな物語群なのである。一読をお勧めする。

末原正彦 プロフィール

1939年生まれ。鹿児島県出身。日本学術振興会、出版社・文林書院編集長勤務後、子育てのため、千葉県君津市久留里に転居。NPO法人「久留里城山郷かずさ活性化の会」理事長。シナリオ研究所にて、シナリオを学ぶ。日本詩人クラブ、千葉県詩人クラブ、千葉県俳句作家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
朗読ドラマ集 宮澤賢治・中原中也・金子みすゞ』より

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