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【霊界の驚くべき真実を、5000字以内で述べなさい】〔テーマ 神の愛〕 

エッセイ
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解答者 黄輝光一

2023.9.7

私たちの世界は、「霊」の世界であり、その本体があの世である。

〔あの世が、私たちのふるさとです〕

私たちは、この地球という物質世界に生まれてきました。

その理由は、神が、神を認識しうる高度なる意識体、すなわち、神の子たち(私たちを含めたすべての宇宙人)を、神の認識者として全宇宙に誕生させるためです。それは、永遠に絶え間なく行われる神のいとなみである。

〔神とは、全世界の創造主です。大宇宙、大自然のありとあらゆる物が神の創造物です。その根本たる原則が、「神の摂理」であります〕

私たちは、神の分霊〔わけみたま〕であります。もっとも、的確な言葉は、「神の子」であります。よって、その「人生の目的」は、限りなく、親である神に近づくことです。その進化を「霊的成長」といい、別の言葉で言い換えれば、「霊性の進化」「魂の進化・向上」「魂の成長」であります。

その現実人生で、人間が、やるべきこととは何かを、一言で言えば「人の為に尽くす」「愛と奉仕」「利他愛」です。これが、実践的な、現世そしてあの世での共通の「人生の目的」です

シンプルすぎて、これが回答ですかと唖然とするかもしれませんが、なんと、これが大宇宙で我々すべての「知的生命体」が共存共栄して生きていくため、霊的に成長するための「最大のキーワード」なのです。

「神は、たった一枚の枯れ葉が落ちるのも見逃さない」

「すべての、神の子らは、つながっている」

なぜなら、神の子は神の体内にあり、だれ一人として孤立するものはなく、すべての人は、「神の愛」によってつながっている。すべてが、霊的家族、霊的兄弟、霊的同胞なのです。

〔争っている場合ではありません〕

その根源は、絶対的な「神の摂理(法則)」です。

その最大法則のひとつが「神の愛」であります。

「神の愛」とは、我々が、考える「愛」とは、根本的に違います。「無私・滅私・そして自己犠牲の愛」です。分かりやすく言えば、神は、見返りを求めない、全宇宙の隅々に行きわたる、霊力・光(愛)の無限大放出です。決して、人間的なエゴの愛ではありません。よって、私たちはが「神の子」であるということは、「愛の子」でもありますから、私たちは「愛の人」としての実践者にならなければならないということです。

あの世には、戦争はありません。物質世界ではないので、すべての物的「兵器」はありません。人を殺すこともできません。霊界は、「絶対愛」「絶対善」の世界です。魂は、不滅です。ズバリ、あの世とは、完全なる「精神世界」です。「心が実在」の世界です。「思考が実在」となる世界です。隠し事がまったくできない世界、心が丸見えの世界です。ある意味、360度違う異次元の世界です。

が、しかし、この私たち物質世界も、実は、「霊の世界」なのです。神は、この霊世界において、物質世界を創りました。その理由はいったいなぜなのか。私たちは、物質世界(地球)で、真理を「学ぶ」ために、肉体を持って生まれてきたということです。この世界は「学校」です。魂の訓練所です。「実体験型アドベンチャーワールド」が地球です。

地上人生は、ふるさとである霊界へ帰還するための、準備の場所です。

生老病死、すべての苦から、悪戦苦闘、四苦八苦。あらゆる困難から、真理・真実を学ぶためです。

苦とは、克服すべきありがたい苦です。地上世界で、過去カルマを含めて、体験した学びを携えて、死後、「あなた」は、あなたに最もふさわしい所に行くことになります〔親和性の法則〕。霊界〔あの世〕は、総合的な名称で、大きく幽界・霊界・神界に分かれています、実際には、更に細分化されており、グラデーション的区分、バームクーヘンのような多重構造で、かつ上下からなる「ピラミッド構造」です、頂点が「神界」です。

あなたは、死後あなたの霊格〔霊的なレベル〕によって、その霊格にふさわしい場所に行く〔具体的には、幽界の中間あたりとか〕。そこには、あなたのこころ、人格に近い方がたくさんいます。きわめて居心地のいい安心できる場所です。

この地上界では、すべての人は、「新参者」(この世界に初めて生まれた人。個別意識としての新たなる誕生)と、「再生者」とに分かれます。再生者とは「生まれ変わりの人」です。

何度も、生まれ変わることによって、「霊的成長」していきます。

☆  ☆  ☆

ここで、突然ですが、「すばらしい喜びと歓喜のご報告をお伝えしたい」と思います。

最大の誤解は、あの世は、地獄があり、恐ろしい世界であるという誤解です。

「恐怖」ですね。サタン・エンマ大王・地獄の番人。そのような悪の統治者は、おりません。

確かに、こころの世界ゆえに「地獄的」なところがありますが、全体がそのような世界では決してありません。「神の愛の世界」なのです。

シルバーバーチの霊訓より

『死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ、地上で生きている方が悲劇です。死は、肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が、自由の喜びを満喫するようになることです。苦しみから解放されて「霊本来」の姿に戻ることが、本当に悲劇でしょうか。天上的色彩を眺め、物質的表現を超越した天上の音楽を聴けるようになることが悲劇でしょうか。痛みのない身体で、自己を表現し、一瞬のうちに世界中を駆け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたは悲劇と呼ぶのでしょうか。

赤ちゃんが地上へ誕生した時、私たちの世界では泣いているものがいるのです。反対に、死んでこちらの世界に戻ってくるのを大喜びして出迎えている者がいるのです。死は罰ではなく、報酬です

地上というのは、実にこっけいな世界です。生命にとって最も重要な体験である「死」をみんな怖がります。牢から解き放たれることを怖がります。自由の身になることを怖がります。小鳥は、鳥かごから出るのを怖がるでしょうか。なぜ、人間はその肉体というカゴから出るのを怖がるのでしょうか。後に残された家族にとっては、悲劇となることはあっても、死んだ本人にとっては、少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。「死」は自由をもたらすものであること、新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮する「チャンス」に満ちた霊界という世界での生活が始まったことを知って、喜んでおります。

死とは、魂が本来の自我を見出すために仕組まれた、大自然の生命活動の一環とみるべきです。死は、「ふるさと」への喜びの帰還です。

あなた方はまだ、霊の世界の本当のすばらしさを知りません。望む所へは自由に行け、心で考えたことが形をとって眼前に現れ、好きなことにいくらでも専念でき、お金の心配がない・・・こうした霊界の生活と比べることが出来るものは、地上には存在しません。あなた方はまだ霊的世界の喜びを味わったことがないのです。私の世界は、光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真に生きる喜びがみなぎり、人々は適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神にあふれ、お互いに自分の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です

〔全人類の死者たちの総意「シルバーバーチ」の言葉〕

実際のあの世とは、私たちが想像をこえた大自然、目を見張る極彩色のすばらしい世界であります。現世には見当たらない、あらゆるものがあり、あらゆる芸術、美しい音楽も・絵画もあります。そして、そこは、困っている人に救済の手を差し伸べ、すべての人の幸福を願う「美しい心の世界です」。

「死」とは、喜びの「帰還」です。ふるさとへ帰るということです。多くの人達に、祝福されての帰還です。魂は不滅です。無限の命が与えられています。そして私たちには「無限の可能性」があり、そこは「無限の喜びの世界」です。

しかしながら、この地球という「現実の世界」、物質世界では、「肉体」があるが故に、苦に翻弄され、病に冒され、更には、過当なる競争社会の中にあって、自己中心主義が蔓延し、こころを病み、「無明の闇」の中で世をはかなみ、「永遠の生命なんていらない!」「早く、楽になりたい」という人が大勢います。が、しかしそれは「霊的真実」を全く知らないということです。「霊的無知」の状態です。

〔しかし、いつか気が付きます〕

さて、原点に戻って、「神の子」とは何か。

物理的行為、すなわち、1億度で焼かれようが、マイナス273度であろうが、死なない。神様が、あなたの行動が意に添わない、悪行の数々が目に余り、消滅させようとしても、あなたの本質は神〔霊〕であるから、絶対に死なない。しかも、無限の可能性を秘めた、本来の自分(神の子・大我・真我・ハイヤーセルフ・サムシンググレート)を知れば、必ず「本当に、生まれてきてよかった」と大歓喜することでしょう。

これを、「神の火花」あるいは「魂の覚醒」といいます。私の好きな童話から引用すれば、自分は『みにくいアヒルの子』だと思っていたら、実は、白鳥(神)だった、はかなくも、あわれな土塊ではなかったということです。

それ故、シルバーバーチの言葉「何も、恐れることはありません。悲しまないでください、取り越し苦労は、やめてください」とは、そういう霊的「真実」から来ています。

地球が、本当は丸かったことに気付いたように、

すべての人は、いずれ目覚め霊的真実を知ることになる。

すべてのエネルギーとは、科学的、物理的エネルギーではなく、「霊エネルギー」です。「霊の力」です。霊力です。あまねく全宇宙に霊力がいきわたっております。霊力とは「生命力」であり、すべての生命活動の根源です。神とは大霊です。無限の生命エネルギー体です。

現世は、ある意味一瞬です。「つかの間の世界」です。しかし、生命活動は無限です。

そして、

神は、絶対的「愛」です。

未来は、希望しかありません。

すばらしい輝く未来です。

そのために、

今、この時を、せいいっぱい生きるのです。

☆  ☆  ☆

テレビ東京の『やりすぎ都市伝説』での、「関暁夫」氏の、有名な言葉。

信じるか信じないか、それはあなた次第です

ノホホンとして、一生を終えてはいけません。

人生において、「生」と「死」をどのように捉えるか、

「あなたの死生観」が、まさに問われています。

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