この物質文明社会。経済至上主義社会の中にあって、
今、最も失われているのは、いったい何か。
これは人間の本来あるべき「こころ」です。
それは、具体的には何か。
この競争社会、弱肉強食の世の中で、「自分さえ良ければいい」という、自己中心主義、
すなわち「エゴ」が、蔓延しております。
それは、こころの「がん」だと思います。
それは、更に、社会エゴになり、国家エゴになり、人類を大きく蝕んでおります。
今、多くの人が、翻弄され、自分自身を見失っています。
こころが、病んでおります。
自殺者は、毎年2万人を越え、44年連続であります(警視庁の自殺統計、厚生労働省発表)。自殺未遂は80万人。毎日3人の人が電車に飛び込んでおります。それは、あってはならない、驚くべき状況です。
まさに「無明の闇」です。
今や、世界は、第三次世界大戦さえ懸念されているという危機的状況です。
「人の為に尽くす」「愛と奉仕」この当たり前のことが、遠くに追いやられ、
他国の領土を、資源を、人様のお金を、他人の物を、大切な命を「奪い合う社会」になり果てております。
賢治は、多くの童話で、はっきりと人類の未来へ警鐘を鳴らしています。
それは、大自然との共存共栄です。
そして、お互いが助け合う、分かち合う、「愛と奉仕」の世界です。
宮沢賢治は、私たちに、
「本当の幸せとは、何ですか?」と問いかけております。
自分だけが、幸せになってはいけないと・・・。
まさに「雨にも負けず・・・」のこころ。時として自己犠牲さえいとわない、
「みんな、木偶の坊にな~れ!」と。
慈悲のこころ、困った人に手を差し伸べる。よるべない人に援助の手を差し伸べる、人間として当たり前のこころです。
それは、人類の希望ある未来を約束する、「利他」の精神です。
それこそ、まさに、宮沢賢治の「こころ」です。
宮沢賢治のその驚くべき「死生観」
賢治は、農学校の教師時代、生徒たちに、
「人間は、なぜ生まれて来たか?ということを知らなければならない。そのために、この世に生まれてきたのです。そして、この問題を本気になって考えるか、考えないかによって、その人の存在価値が決定すると思います。」
と述べた。
本当に、震撼されられる言葉です。
「生きる目的は、一体何か」と、問うているのです。
「死に対して、ノホホンとしていてはいけない」と断じております。
まさに、求道です。
そして、その強い強い思いが、「法華経」との出会いであります。
「私の全生涯の仕事は、この法華経をあなたのお手元に届けることでした」と、明言したのであります。
では、その「法華経の教え」とはいったい何か。
それは「菩薩行(ぼさつぎょう)」
その実践的行いとは、まさに「雨にも負けず・・・」の詩の内容そのものです。
愛と奉仕です。
「でくのぼう」思想であります。 私は、これが宮沢賢治の「死生観」の原点神髄だと思います。
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