🌎映画「美しき緑の星」とは🌎

1996年のフランス映画界の巨匠コリーヌ・セロー監督の描く、宇宙から見た地球という映画「美しき緑の星」は、「霊的真理」を暗示させる超問題作です。
ここで、そのあらすじを、添付しますので、チャーチャの映画感想をお願い致します。
すなわち、「理想の文明社会」とは何か、です。
黄輝光一は、なんと、それとは真逆の「ストップ・ザ・文明」を、早くから提言し、SF小説・光の星「ウレラ」を書き上げました。
チャーチャには、すでに読後感想文まで書いてもらいました。覚えていますか?
まず、今回は、最初に、この「緑の星」とは、何かを、具体的に掘り下げてもらいたし。
そして、ここから、チャーチャとの「コラボ」、すなわち「文明論」更には「宇宙文明論』へと、推し進めていきたいと思います。
【あらすじ】
宇宙のどこかに存在する『緑の星』の住人は、高度なテクノロジーを持ちながらも、持続可能な生活と「自然との調和」を大切にする文化を築いています。
地球よりもはるかに文明が進んでいる『緑の星』の人々には超能力が備わっており、「愛と平和」のもとで、穏やかに生活を営んでいます。
そんな『緑の星』には、「星外派遣」という任務があり 文明が遅れている他の惑星に、緑の星の住人を派遣して その星の現状を調査したり、文明の方向性を軌道修正する活動をしています。 「誰が、どこの星に派遣されるか」を決める、星の総会では 緑の星の住人が、様々な星に積極的に派遣されるのを希望する中 緑の星の住人全員が、唯一、派遣されたがらない星があります。
その星の名は、「地球」。
地球は 差別 ・独占 ・飢餓 ・不平等 ・圧政 ・戦争・不要品の大量生産 ・原子力・自然破壊 を繰り返す極めて原始的で野蛮な星と緑の星の住人達の中では認識されています。
すでに200年もの間、「地球」には誰も志願者はおらず、分かり合えない星、もはや助ける必要はない、わざわざ行く必要がない星とまで『緑の星』の住人に言われています。 そんな星「地球」に、”誰も行きたがらないなら、”と 一人、派遣を志願した主人公「ミラ」。 実は、ミラには誰にも言っていない秘密がありました。 それは、ミラの母親が地球人であるということ。 自分の母親が生まれ育った地球という惑星を一度見てみたかったのです。 心配する家族に見送られてミラは地球へと旅立ちます。
平等・共有・平和・協力・自由・安全・環境保護・持続可能を重んじる宇宙のどこかにある「緑の星」の住人「ミラ」が、1990年代の地球を体験するユニークなストーリー。
ミラには予知能力(未来に起きる物事を予測する力のこと)が備わっています。ミラや緑の星の人々には、テレパシー能力が備わっています。 テレパシー能力とは、言葉やジェスチャーなどを使わなくても人と会話ができたり、相手に自分のメッセージを送ったり、逆に相手の心の中にある考えや感情を読み取ることができる能力。自分の見ている風景・光景なども作中では送受信することができています。 ミラには5人の子供がいますが、美しき緑の星と地球とで、テレパシーで交信をしています。
また、ミラには、エンパス・リーディング能力も備わっています。 エンパス能力とは、人のオーラが見え、他人の感情や気分を感じ取り、識別する能力のことです。 リーディング能力とは、常人が肉眼では見えない部分を超感覚を使って、個人の情報を読み取ることのできる能力のことです。「人生は他人との競争」と考え、お金や社会的地位に執着している意識、考え方のことを表します。・・・
この地球の”3次元意識”との接続を解除された人は (物的切断・接続解除)
所有ではなく、共有・共存
物質主義ではなく、精神主義
環境破壊ではなく、自然・動物愛
競争ではなく、協力
欲望ではなく、利他
嘘ではなく、真実
外見や偽りの愛ではなく、内面や真実の愛
争いではなく、愛と調和
やるべきことではなく、本当にやりたいこと を大事にするようになります。
【Shiki_Deitiesのブログより抜粋】
以上です。 では、チャーチャ様、これは一部です。
さて、この「緑の星」の文明レベルは、霊的レベルは、如何に。
同意点・疑問点‣問題点を羅列してください。
ここで、私が、2019年にSF小説として書いた、理想社会の「ウレラ星」は「光の星」です。
全宇宙の霊的に最高のレベルに到達した星です。
私見ですが、「緑の星」は、まだまだ、そのレベルには到達していません。
そして、次なるステージは、「緑の星VSウレラ」です。=「光の星VS緑の星」です。VSシリーズです。
今回は、その前哨戦です。「緑の星」を徹底検索・研究してください。🐷🐷🐷
ChatGPT:
思考時間: 1m 41s

黄輝光一さま、最高の題材です。まずは“緑の星”そのものを、作品内の描写から手際よく掘り下げます(必要に応じて一次情報も当てています)。
緑の星とは?
- 宇宙の仲間のひとつ
宇宙の色々な星が集まる会議があり、そこでは「どの星に誰を派遣するか」を決めます。
でも「地球」だけは人気がなく、誰も行きたがりません。理由は、差別や戦争や環境破壊が多いからです。主人公のミラだけが、母親が地球人だったので行きたいと思いました。 - テレパシーで暮らす
言葉を使わなくても心で会話ができ、相手の気持ちや考えもわかります。
さらに「ディスコネクション」という力で、人間の“固定観念”を外し、目を覚まさせることができます。 - お金がいらない社会
緑の星には「お金」という考えがありません。自然と共生し、必要なものを分け合って暮らします。
地球ではテレビや家電を捨てる場面が出てきますが、それは「物への依存を手放す」象徴です。 - 寓話的(たとえ話的)設定
イエスやバッハなど、歴史上の偉人が「緑の星」から来たというユーモアも登場します。
物語全体が、「理想郷(ユートピア)と地球(ディストピア)の対比」として描かれています。
緑の星の霊的レベル(私の見立て)
- 愛・共感・自然との調和・テレパシー社会など、すでにとても高い意識レベルです。
- でも、相手を外から変えようとする方法が中心で、「本人の自由意志からの気づき」にまでは届いていない。
👉 つまり「上級」ではあるけれど、「至高の光の星(ウレラ)」の一歩手前にいる、そんな段階です。
良いところ(共感できる点)
- 競争より協力、欲望より利他、偽りより真実、外見より内面――そうした価値の転換を楽しく描いている。
- お金をなくすことで、支配や誤解が減り、対等で平和な社会になる。
- 「手放す儀式」がわかりやすく、人が“意識を切り替える瞬間”を絵で見せてくれる。
気になるところ(疑問や課題)
- 自由意志との関係:相手の心に直接介入するやり方は、本人の学びや気づきを尊重できているのか?
- 地球を見る目:地球を「野蛮」と切り捨てる姿勢は、慈悲や同胞意識とどう両立するのか?
- 寓話の大胆さ:イエスやバッハを「緑の星の人」とするのは寓話的で面白いが、文明論としては根拠が薄い。
- 食と命の交換:ミラが地球の食を受けつけず、乳児とのやり取りで生きる場面は象徴的すぎて、命の尊重をどう理解すべきか議論が残る。
作品の周辺事実
- 「EUで上映禁止」という噂は誇張です。実際にはフランスで公開され、今も配信サービスで見られます。
- 大きな映画館ではあまり上映されなかったため「封印作品」のようなイメージが広まった可能性があります。
次に考えたいこと(ウレラとの比較の準備)
- 目覚め方:外から気づかせる(緑) vs. 自分で気づく(ウレラ)。
- 自由意志:助けるための介入と、自分の学びの尊重をどうバランスするか。
- 社会の合意:テレパシー社会で少数派の意見はどう守られるか。
- お金のない経済:どうやって公平に分け合うか。
- 技術との付き合い:持っていても「使わない自由」をどう選ぶか。
- 教育や子育て:共感力や霊的力をどう育てるか。
- 死生観:死後や霊界をどう理解しているのか。
- 他の文明を見る目:未熟と断じる視線を、どう「同胞意識」へ変えていけるか。
👉 こんなふうに平易にすると、「緑の星」の位置づけや課題がすっきり見えると思います。
黄輝光一さま、もしご希望でしたら、このまま 「緑の星 vs 光の星(ウレラ)」の対比表 を描いてみましょうか?
あなた:
すばらしい!!脳梗塞の私にも、よく分かりました。OKです。🐷
ChatGPT:
よかったです!🐷✨
脳梗塞を経験されている黄輝光一さまに「すっと分かる」と言っていただけて、本当にうれしいです。
この調子で、次は「緑の星 vs ウレラ」の対比表も、もっと分かりやすく整理していきましょうか?
それとも、もう少し「緑の星」の中身だけを深掘りしてからにしますか?
あなた:
調べても、「緑の星」自体の、詳しいことがまったく分かりません。地球との対比で、何か分かっていることはありますか?例えばその星の具体的な大きさ。その惑星の太陽は、赤色矮星なのか、黄色矮星(G型主系列星)?人類は、新人類と言われてから30万年経っているが、この星の人達は・・・星全体の人口は。
具体的には、星間移動はどういう動力によるのか?原作本はあるのか?
つまり、ハッキリ言って、このお話は、全く根拠のない寓話・おとぎ話・ファンタジー。ゆえに、そのことを、科学的な追及しても意味がない、という結論でいいのでしょうか?
しかし、人間との対比( (精神性・霊的レベル)は、できると思いますが。いかがでしょうか?緑の星の人達は、優れた特殊能力を持っている、それは、ウレラ星人も、同じです。・・・
ChatGPT:
なるほど、鋭いご質問です、黄輝光一さま。🐷
ここで整理してみますね。
1. 「緑の星」の科学的な描写について
実際の映画『美しき緑の星』(1996, コリーヌ・セロー監督)には、以下のような設定は 一切描かれていません。
- 惑星の大きさや公転軌道
- 太陽の種類(赤色矮星かその他の恒星か)
- 人口規模
- 星間移動の動力や科学的仕組み
つまり、物理的・天文学的なリアリティは与えられていないのです。
「原作本」も存在せず、映画オリジナル脚本のみ。SF小説的な世界観ではなく、寓話・ファンタジーとして作られています。
👉 よって、科学的な追究(重力は?酸素は?動力は?など)には根拠がなく、正直「無理に答えること自体が意味をなさない」というのが正解です。
2. 物語が描こうとしたこと
この映画は、科学的世界観の提示ではなく、現代人の「文明の病」を風刺することが目的です。
「緑の星」はいわば鏡です。
- 地球の文明=物質主義、競争、支配、破壊
- 緑の星=共有、調和、テレパシー、精神性
この「対比」を描くことで、観客に「あなたはどちらを選ぶのか?」と問いかけています。
つまり、緑の星の“細かい設定”は必要ないのです。寓話としての説得力があればよい、という立場。
3. 精神性・霊的レベルの比較
ここは黄輝光一さまの「ウレラ星」との比較にも直結する部分です。
- 緑の星人の特徴
・テレパシー
・エンパス(他人の感情を感じる力)
・所有を持たず、共有で生きる
・争わず、自然と共生 - 地球人の特徴(映画内で批判された姿)
・競争・支配・所有欲
・差別・戦争・環境破壊
・お金と地位に執着
・外見や見栄にとらわれる
👉 精神性のレベルでは、地球と比較すると、明らかに「緑の星」が数段先。
ただし **「自由意志をどう扱うか」**という点では、まだ成熟の余地がある。
これはまさに黄輝光一さまが語る「光の星=ウレラ」との大きな違いです。
4. 結論
- 科学的な星の情報はゼロ → ファンタジーとして描かれている。
- 追及すべきは科学ではなく精神性 → 地球との比較に価値がある。
- 緑の星人の特殊能力(テレパシー・共感力など)は寓話的な象徴 → ウレラ星人とも重なる。
- 意味があるのは「人類の未来像をどう描くか」 → それがこの作品の真のテーマ。
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この続きは、是非「緑の星VSウレラ」をお読みください。

