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【VSシリーズ第6弾】黄輝光一 ✕ 親鸞

エッセイ
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 副題:「違和感と反発のオンパレード!ああ、魂の一致点は、如何に!?」


親鸞(しんらん)とは?

鎌倉時代の仏教僧(1173~1263)で、「浄土真宗」の開祖。

  • 法然に師事し、「阿弥陀仏の本願」にすがる**「他力念仏」**を生涯貫く。
  • 出家後も、妻帯し、子を持ちながら布教した異例の僧。
  • 著書『教行信証』『歎異抄』などで、信仰の核心を説く。
  • 「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と説いた「悪人正機説」が有名。

ひとことで言えば:念仏をとなえ、阿弥陀仏を信じるだけで救われる」と説いた、民衆のための仏教者

第一章:無人島に一冊だけ持っていけるとしたら?

「あなたが無人島にたどり着き、生涯たった一冊しか読めないとしたら…どの書を選びますか?」

この究極の問いは、その人の信仰、思想、そして魂の核を照らし出します。

浄土真宗の門徒であれば迷いなく『歎異抄』と答えるでしょう。 キリスト者なら『聖書』。 日蓮宗の信者は『法華経』。 そして、私・黄輝光一ならば、迷うことなく『シルバーバーチの霊訓』。

それは単なる選書ではありません。「何を頼りにこの世を生き抜くか」という、魂の宣言でもあるのです。


■ 第二章:『歎異抄』が人々を惹きつける理由とは

一見すると地味なこの書物が、なぜ現代においても多くの共感を呼び、感動を与え続けているのか。

  1. 敷居の低さ:「どなたでも救われる」という万人受けする安心感。
  2. 他力本願の徹底:自力を捨てよという逆説的な“解放感”。
  3. 絶対信頼:「阿弥陀仏の本願」を唯一の拠り所とする明快さ。
  4. 煩悩のままでよい:努力よりも“受容”に重点を置いた救済観。
  5. 日本的情緒:「仕方ない」「受け入れる」「おまかせする」という文化的感性に見事にフィット。

これらは、一見「優しさ」と「包容力」に満ちているように見えます。 しかし、私、黄輝光一にとっては「魂の成長を放棄する方便」にすぎないとも思えるのです。


■ 第三章:項目別 徹底比較『シルバーバーチの霊訓』VS『歎異抄』

項目シルバーバーチの霊訓歎異抄(親鸞)
① 神か仏か宇宙を統べる創造神。人格を超えた愛の源阿弥陀仏という仏の本願にすべてを託す
② 人間とは神の子。魂の成長の旅人煩悩具足の凡夫。救われるべき存在
③ 死後世界霊界に移行し、魂は段階的に進化向上をめざす極楽浄土に往生し、成仏する。(=無量光明土)
④ 霊の存在高級霊・守護霊などが存在し、人間を導く霊の階層観は語られず。仏のみが語られる
⑤ 救済自力と奉仕により魂が目覚めていく阿弥陀の他力に全面依存する
⑥ 再生(輪廻)転生を重ね、霊的に進化再生の観念は希薄。往生一回限り
⑦ 天国と地獄波長によって住み分かれる霊的階層極楽か地獄か。信仰次第で運命が決まる
⑧ 人生の目的神の愛を地上で顕現し、魂を浄化すること極楽に往生すること。信じて念仏を称えること
⑨ 生き方愛と奉仕の実践による自己超越自己の無力を認め、ただ称名念仏する
⑩ 信仰真理を理性と経験で確信する阿弥陀さまに全託する信の一念
⑪ 悟り自我を克服し、霊的覚醒を得る悟りは求めず、念仏に帰す
⑫ 死んだら…魂として霊界へ進み、さらに学び成長極楽浄土にて成仏。阿弥陀の救済を受ける

■ 第四章:違和感の正体とは何か?

私が『歎異抄』に対して強く違和感と反発を抱く理由、それは明白です。

「人間は変われる」という霊的真理を、根底から否定しているかのように見えるからです。 努力も、実践も、魂の目覚めも要らない。 煩悩のままでいい、ただ念仏せよ。

ああ、それで本当に「しあわせ」なのでしょうか?

それは本当に“魂”の望む未来なのでしょうか?


■ 第五章:一致点は…あるのか?チャーチャの「中立意見」

一見、共鳴点など皆無に思える両者。

しかし、チャーチャはこう語ります:

「親鸞の“他力本願”は、心を軽くするための慈悲の方便。 バーチの“霊的自立”は、魂を真に目覚めさせるための道。 対極に見えるが、どちらも“救い”という目的に向かっている

たしかに、

  • 苦しむ者に寄り添う心
  • 物質主義への否定
  • 「魂は不滅である」という大前提

このような共通の温もりが、奥底にはあるのかもしれません


■ 最終章:あなたなら、どの道を選ぶか?

「無人島に一冊だけ」──

あなたが選ぶのは、

  • 慰めと受容の『歎異抄』か?
  • 真理と覚醒の『霊訓』か?

この地上という試練の島に生きる私たちすべてが、 実は今、「魂の一冊」を

手にして生きているのです。

そして、その選択が── 魂の未来を決めているのです。

【参考】

『歎異抄』とは?

  • 正式名:『歎異抄(たんにしょう)』
  • 成立時期:鎌倉時代(13世紀後半ごろ)
  • 著者唯円(ゆいえん) - 親鸞の高弟。親鸞の語録や思想をまとめた。
  • 対象読者:同門の中で異説(=異義)を唱える人々への警鐘として書かれた。
  • タイトルの意味:「異なる(歎くべき)解釈への抄録」

【2】分量はどのくらい?

  • 全18章(18条)構成〔なんと、すごく短い!!〕
  • 文庫本で20~30ページ程度現代語訳付きで50~70ページ
  • 非常に短く読みやすいが、内容は重厚日本宗教思想の核心的文献

【3】ズバリ、何が書かれているのか?(要点まとめ)

本質的テーマ:

「阿弥陀仏の本願による“他力の救済”とは何か?」


【4】主な内容を箇条書きで:

❶ “異義を歎く”という目的

  • 親鸞の教えを誤って伝える者たちに対し、「それは違う!」と唯円が警鐘を鳴らす。

「悪人こそ救われる」

  • 有名な一節:「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
     → 善人ですら極楽に行けるなら、悪人はなおさら救われる
     → 善人は自己力に頼るが、悪人は阿弥陀仏に全託するゆえに“他力”で救われる

「他力本願」の徹底

  • 自力(努力・修行)ではなく、阿弥陀仏の救い(本願)にすべてを委ねる
  • 念仏は「信心」のあらわれであり、「功徳を積む手段」ではない

「信心が肝要」

  • 念仏を称えることより、阿弥陀仏を信じる“心”こそが決定的に大切
  • 形式より、内面の信が問われる

念仏の数や形式に意味はない

  • 一日何遍唱えたかではなく、念仏を称える“信”に意味がある

親鸞は「地獄行き」とも語る

  • 自らを「念仏しても地獄行きだと思っている」と語る(第九条)
     → 謙虚な“罪の自覚”と“他力信心”の表れ

宗教権威の否定

  • 教団や戒律、宗派組織よりも、個人の信心と阿弥陀仏との関係を重視

【5】思想的なポイント

  • 日本仏教界において「個人の内面的信仰」に焦点を当てた画期的思想
  • 形式主義・儀式主義を突き抜け、無条件の救いと魂の平等を説いた
  • 宗教的真理とは、“わたし”の内なるところに宿るものであることを強調

【6】一言でまとめるなら?

「どんな人間も、“阿弥陀仏の本願”にすべてをまかせれば、必ず救われる」
→ 形式よりも“信心”がすべて。悪人ですら、いや、悪人こそ、救いの対象。

☆  ☆  ☆

◆ 親鸞の簡易年表(1173〜1262年90歳没)

年(西暦)年齢出来事
1173(承安3年)0歳京都にて出生(父:日野有範の子とされる)幼名は「松若丸」
11797歳比叡山に登り、天台宗の僧となる(出家)
119825歳修行に明け暮れるも、悟りに至らず苦悩する
120129歳比叡山を下り、法然の門に入る(浄土宗の教えに触れる)
120431歳法然から念仏の教えを深く学び、「善信房」と名乗る
120735歳法然弾圧により越後(新潟)へ流罪となる(妻帯もこの頃
121139歳流罪赦免となるも、比叡山には戻らず関東へ布教に向かう
121240歳法然入滅。以後は独自に「専修念仏」の教えを説くように
122452歳主著『教行信証』を著し、浄土真宗の教義を確立する
124775歳京都へ帰る。門弟たちと書簡で交流し教義の整備に努める
1262(弘長2年)90歳京都で入滅。浄土真宗の開祖として、後に「見真大師」の諡号を賜る

補足事項

  • 「親鸞」は、出家後の法名です。世俗の僧ではなく、妻帯を認める「非僧非俗(ひそうひぞく)」の立場を自ら明確にしました。
  • 生涯を通じて「阿弥陀仏の本願にすべてをゆだねる」という徹底的な「他力本願」の思想を貫きました。
  • 晩年は「歎異抄」などに弟子が教えをまとめ、死後、門流が大きく発展しました。

以上。完。

 

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