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私の「ブループリント」を書いてみました

エッセイ
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黄輝光一
黄輝光一

自分のブループリントを書いてみたので公開させていただきます。

「ブループリント」とは

あなたが、地上に生まれる前に、霊の世界で計画した「人生の設計書」

「アカシックレコード」とは

あなたを含めた、全宇宙のすべての情報が記憶されている図書館・データーバンク

私のブループリント

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原案の構図作成者 K.I氏

私のインナーチャイルド (誕生から、10代)

なぜ、この父母を選んできたのか・・・

シベリア抑留を生き延びた父、同じく満州で、命からがら帰ってきた母。

二人が結婚。

それは、運命的か、奇跡的か、それとも必然なのか。

二人の元、私は、長男として昭和26年2月16日に生まれる。

元祖、教育ママ」と「私」

小学校5年の時、家庭教師をつけてもらい、母の言うことをよく聞く従順な子供でした。

小・中・高は、毎日、勉強、べんきょうの日々でした。

本当に、素直なわたしでした。

はっきり言えば、「なぜこんなに勉強をしなければならないのか」という大いなる疑問を持ちました。

また、同時に、大宇宙への強い関心をもつ。

また、大自然への大いなる疑問点。すべてが、なぜ、なぜ、なぜの、分からないことばかりです!好奇心が尽きない私でした。

飛躍しますが、人間に関して言えば、

「人はいつか死ぬのに、なぜ生きるの」ということですね。13歳で、そう強く思いました。

⇒私の原点思想。

最終的には、私は大学に受かれば、私は、母から解放されると思った。つまり勉強からの解放です。

そして、現実にそれを実行した。

法学部において、法律ではなく、囲碁部に入って、囲碁にのめり込み、

あまりにのめり込んだために、「勘当」同然の境遇となる。

母曰く「いったい、どういうことなの。囲碁ばかりやってて、弁護士はどうなったの!」

私にとっては、いい意味でも、悪い意味でも「母との闘い」の日々だったかもしれませんでした。

もう、両親が望むようには、いきませんよ。好きなことをやらせてください。という思いです。

詰め込み式のつまらない授業(勉強)は、〔今でも、そう思います〕もう結構です!ということですね。

それからの人生においても、

避けては通れない、私の「自立へのもがき・自立への格闘」の日々がつづいていく・・・

追伸 

母は、大変ポジティブな人でした。弱音を履くのを、見たことがありません。前向きな、社交的な人でした。

我の40代

「人生最大の大ピンチ」

① 会社が倒産(合併)

② 妻が病気になる

③ 初めての転職。保険会社アフラックへ、

【まさに、第二の人生のはじまり】

バブル崩壊!!金融崩壊がおとずれる。

倒産しないはずの、金融機関が倒産!

正確には、勤めていた信用金庫が、4社合併。

「いるも、地獄。やめるも地獄」の状況

⇒私は、「退職」を決断(1998年。平成10年12月)する。

「40歳以上の職員、退職金は既定の2倍。先着200名⇒期限内に申し出てくださいと」その時の私の年齢は47歳。

どう思ったか

人生は、想定外のことが、本当に色々なことが起こるんだな。

まさか、金融機関が・・・

子育ての真っ最中のなか、完全無職となる。(長女13歳中学1年生、次女9歳小学3年生)

そして、1年後、絶対に行きたくなかった保険会社(同様の競争・ノルマ社会)に行くことになる。   

〔再就職〕

人生振り出しだ。しばらくは、年収700万円はとても無理。

妻の為、子供たちの為、「とにかく、お金を稼ぐ、死に物狂いで頑張らないといけない」の思いです。

私は、中央信用金庫の22年間で、競争社会、ノルマ社会、企業戦士としての生活に、疲れ果てておりました。

私は「こんな、会社、もうやめてやる!」の心境。もう一つは「疲れ果てました。しばらく休ませてください」の心境です。

しかし、意外と悲壮感はなく、解放された喜びの方が、はるかに大きかった!!

はっきり言って、「なんとかなるさ」という目に見えない確信があった。

「超、ポジティブ」の思考回路でした。

ナンクルナイサ(沖縄の言葉)です。

一年間の充電後、

一番行きたくなかった、「保険会社」に就職することになる。

これも必然的な運命です!

2000年4月。49歳。アフラックの保険代理店の店主として、実質的には「保険のセールスマン」として、この日から16年間。2016年の三回目の脳梗塞で倒れ、退職するまで〔その時65歳〕、この仕事をつづけることになります。

そして、50代へと・・・

私の50代

【保険セールスマン時代の絶好調から・・・】

転職先の保険会社アフラックで、好成績。人生で、一番頑張りました。

子供も、まだまだ小さい。(中1と小3)

人生「今やらなければ、いつやるんだ!」の決死の思い

入社時の2000年には、新人部門で、トップとなり、ラスベカスにて表彰される。

誇れる唯一の出来事です。

が、そんな順調な日々も、6年後の2006年(平成18年)の4月、第1回目の脳梗塞で倒れました。大きな後遺症はなかったももの、私の人生の大いなる方向転換を迫られる。

このままでは、ダメだ!!と。

ノルマからの解放。命令と服従の世界からの解放。もう、ニンジンをぶら下げても、食い付きませんよ、と。〔働きすぎへの神からの警告〕

ズバリ、営業の仕事を2分1以下にへらし、これからは無理をせず、マイぺースで。

自分のできる範囲内で仕事をしよう。

そして、この療養期間中(仕事をセーブ中)に、すこし、自分の時間が持てる状況下で、

ついに、ついに、運命の書「シルバーバーチの霊訓」に出会う。

その内容のすごさに私は驚嘆する。

保険の仕事は、人との信頼関係の構築。

そう簡単には「保険」は取れません。個人情報等の問題もあり、まさに保険業界は「冬の時代」です。そして、60代へと続く・・・・・

60代については、私の著書「告白~よみがえれ魂~」に続きます。

具体的には、65歳のとき三度目の脳梗塞になり最大のピンチになります。

その時の思いを書いたのが、拙著「告白~よみがえれ魂~」です。

その後に関しては、省略します。

続いては、「私の、めざめへの経緯です」

【我が、魂の覚醒への道】

八幡俊「自分を強くする本」 〔昭和39年私が小学6年生。私の最大の原点図書〕

     ↓

陽明学 〔知行合一〕との出会い ⇒知って行わざるは知らざるに同じ〔高校1年生の頃〕

     ↓

色々な道徳本・自己啓発本(加藤諦三著等) ⇒中学1年生から、20代の頃。

     ↓

宮澤賢治「雨にもまけず」に出会う⇒愛と奉仕⇒利他の精神⇒デクノボウになりたい

     ↓

中村天風「すべてこころの拠り所」・「超ポジティブ」の大家

     ↓

「精神世界」のたくさんの本(いわゆるニューエイジ本)

     ↓

美輪明宏「人生相談」・斉藤一人・小林正観

    ↓

ついにめぐり合う「シルバーバーチの霊訓12巻〔2008年〕

あなたも、是非「ブループリント」にチャレンジしてみてください!

下記にひな型を載せておきます。

ダウンロードや印刷をして、ぜひチャレンジしてみてください。

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原案の構図作成者 K.I氏

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