黄輝光一著『告白~よみがえれ魂~』(増補新装版)を読んでの書評 ①
~きれいな水を飲んだような~
猪爪 知子
表紙をめくり、爽やかな白樺の小道の写真に誘われるように 足を踏み入れると、「白樺のハイジ」と書かれたページがあり、 そっと開けてみました。
そこは長野県、白樺湖のほとりから登った林の中に「哲学」 という風変わりな名前の喫茶店。…そしてそこからひも解かれ ていく物語。
「白樺のハイジ」「踊り子」、これらの物語の要所要所には、 いつも、喫茶店が登場します。 懐かしい響き。
今も昔も、喫茶店と言うところは、人と人とが出会ったり、 別れたり、喧嘩したり、愛を語らったり、誰かを待ったり、一 人ぼっちであっても、きっと誰かの事を思っていたり。
つまりいつも人間同士が心を通わせる、時には人生の大きな ターニングポイントともなる、不思議な場所。
人生にはこんな場所がいつもあってほしい。無ければ寂しす ぎるじゃないか。そしてそこには色んな人生が交錯して、たく さんの物語が生まれる。そんな星の数ほどある人生のひとつを、 話し上手のおじさんから、バーのカウンターで、美味しいお 酒を頂きながら聴いているような、楽しく、 ほろ苦く、そして なんだか胸にグッとくるような・・・そんな読後感でした。
そんなうまい話、ないでしょ、と思いながら、ムダのない文 章が、テンポよくストーリーを展開させて、飽きさせません。
「守護霊の涙」「占い師銀子」
経験豊かな作者の、パラレルワールドを覗くように、楽しく もあり、ホロリとさせられたり、作者は人生のさまざまな場面 で出逢ったあれこれを、面白おかしく語って見せてくれます。 悲劇の中に喜劇を、偶然の中に必然を、内包し、内包されて いる、矛盾に満ちたこの世界を。
細かい描写を省略して、やや粗削りにテンポよくストーリー を進めていく作者のスタイルは、メッセージ性をより強く伝え る効果を生んでいると感じます。
「夏のセミ(ぴんころ地蔵)」
この作品から、作者は、生と死の境目にだんだんと踏み込ん でいきます。
年を取るに従い、誰しもが、病気なり老化なりで、意識の中 に否応なしに死をにむかえる気持ちが芽生えをす。人間とはそ のようにプログラムされているのでしょうか。
エッセイ風の軽妙な書き方ですが、重いものが残ります。 「人類への警告」「死ぬ死ぬ詐欺師」そして「最終章告白」 へと。
ここまで読んできで、流れに導かれるように、ダイレクトな メッセージの渦の中に自然に巻き込まれで行きました。
いつ崩壊するか明日をも知れないこの危うい世界の現実。 天災、自殺、疫病、戦争によって、人間に限らず、 多くの命 が奪われている、そして何より「自己中」が蔓延し地球自体も 危ういこの世界で、どんな希望があるのか。
SF映画「マトリックス」が夢物語でもなく、人間が考える
白樺の林の持つ、独特の美しさと淋しさ・・・
北国にもよく白樺の林がありををが、 こんな喫茶店があった ら素敵でしょうね。きっと何処かにあると思います。 そして「いつもの人」
まさに喫茶店を舞台とした、楽しい話。
「喫茶フローレンス」 「焙煎喫茶・木戸口珈琲」
いつもの人、いつも、というフレーズが数行ごとに繰り返さ れる。いつも繰り返さねる毎日、いつも来る人、いつもの同じ メニュー、いつもの平凡な毎日は、でも決して同じではない。 人と人とが交錯をるところに必ずドラマが生まねる。 他の存在を通して、自分を知る。人と人との関係の中にいる 自分、その中で喜怒哀楽が生まれる。
そんな輪の中で、生きていて良かった!という喜びを味わ おうよ。という強いメッセージを感じました。
いつもの人、は自ずと作者自身をほうふつとさせますが、そ うであってもなくても、作者がそんな空間の中に自分の身を そっと置いてみた。まさに大人のファンタジー。
毎日繰り返される日々の中には、ちょっとした行き違いで苦 しんでみたり、悲しんでみたり、でも、曇り空に時折光が射す ように喜びがあり、癒しがある…そんな光に支えられて今日 を懸命に生きる。誰もが。 でもそれはいつも、不意に与えられ るもので、探し回っているときにはみつからないものですよ ね。
珈琲一杯を楽しむ小さな幸せは、人間のささやかな権利です。 「動物たちに愛を!」「青年の苦悩」
力を機械に委にねて、仮想空間の中で生きることに満足する未 来が来ないとも限りません。
考え続けなければ!と作者は迫ってきます。
そして最終章「告白(本人)」
自分自身の事を、このように客観的に描写し、表現すること は、自分だったらできるだろうか…
とても困難な事だと思います。痛い、苦しい、どうしよう、 ・・・・・・位しか頭に浮かびません。
「ユーモアは、苦しいときの友」という忘れがたい言葉があ ります。誰の言葉か忘れましたが。
「動物の中で笑うものは人だけである」というのは、アリス トテレスの言葉です。ユーモアやジョークは、自分が笑うだけ でなく、人を笑わせようともするものです。
でも、ジョークとユーモアが違うのは、
「ユーモアは、『心』から発する思いやりである」
と、ドイツの司祭で哲学者のアルフォンスーデーケンが述べ ているそうです。(無知な私は初めて知りました) また、 「自分なりの生死観を身に着けるためにもユーモア感覚は大 切である」
「死の瞬間まで楽しく生きましよう」とも。 彼に出会えたことも、この本からの大きな収穫でした。
☆ ☆ ☆
黄輝光一著『告白~よみがえれ魂~』(増補新装版)を読んでの書評 ②
奇跡の人の書いた奇跡の出会いの物語
向井 千代子
本書は「増補新装版」とあるように、第一版が好評で、新た に一編を加えて再版したものである。軽快な語り口で、読者を ハッピーにする長短合わせて十一編が収録されている。 全作品 を取り上げることは無理なので、最後の「告白」から始めて、 比較的長い作品を紹介する。
「最終章 告白 (本人)」を読んだ人はみな吃驚するはずであ る。作者はこれまでに三度の脳梗塞の発作に倒れ、脳の大きな 動脈三本が詰まって危険な状態にありながら、いくら勧められ ても手術を拒否し、生き延びて、このような作品を世に問うて いるのである。最初の発作のとき、スペクト検査(脳の血流検 査)の結果、大きな血管は閉鎖していても他の血管の血流が あって脳が機能していると言われた。しかし三度目の発作の後 のスペクト検査では血流があることが確かめられなかった。 に もかかわらず生きているということは、機械には映らない血流 があるということだろうか。 摩訶不思議な状態で生きている奇 跡の人である。「最終章」の中の驚くべき告白を引用する。
私は、現在、24時間体制で、休むことなく、 「瞑想」と 「祈り」を繰り返しております。 場所は問いません。(中略) 最近始めたわけではありません。10歳頃から、ずっと、 ずっと、です。 (中略) 宗教ですか?
いた、「白樺のハイジ」と呼びたいような、清楚な、地元の女 子大生と恋に落ちる。しかし彼はある宗教団体のメンバーで彼 女をその宗派に勧誘する。彼女は言われるままにその宗教に入 るが、一〇歳年上の兄に反対され、二人は別れざるを得なく なった。
先代はその事件から二年後、心筋梗塞で突然亡くなり、喫茶 店は十数年間閉店となる。その後で今のマスターが喫茶店を買 い取り、復活させた。実は、そのマスターこそ彼女と恋仲に なったあの青年だった。青年は後に、あれほど信じていた宗教 を脱会し、「白樺のハイジ」 とめでたく結婚したのである。
この物語が感動的なのは、青年が娘の兄の説得もあって、真 剣に自分の属している宗派を観察し、そこから脱却できたこと である。
次の「踊り子」は二人の語り手によって語られる。第一部は 生真面目なサラリーマンがストリップ劇場で踊る、小柄な踊り 子に魅了され、通い詰めるが、突然彼女の姿が消える。しかし 二年後、たまたま出張で訪れた松山で彼女に偶然出会う。出 会って話しているうちに、実は彼女は同じ埼玉の学校の同級生 であったことがわかる。 彼女は二〇歳代に見えたが、実は三六 歳で、親の離婚により生活に困り、ダンサーになった。しかし 彼女を働かせて金を一人占めにしている男に反発して、男の 持っていたお金を持ち逃げして松山まで来たのであった。彼女 に結婚を迫られたサラリーマンは驚きのあまり逃げ出す。
第二部は彼女の父親の視点で語られる。彼は大きな会社に勤 めていたが、アフリカ赴任の仕事を引き受けたことがもとで妻
違います。教祖なんておりません。 偽りの神は、この世 に必要ありません。(中略)
人はそれを神と言います。 あなた自身です。 遠い宇宙の果 てにいるわけではありません。まったく、気が付いていない、 ただそれだけです。全宇宙のパワーをすでにあなたが持って いるということです。
(235-236頁)
作者が生き続けていることは「奇跡」であって、「奇跡」で はない。その奇跡を支えるだけの「瞑想」と「祈り」があって の不思議な現象である。そのことを踏まえた上で黄輝氏の作品 に目を通して行こう。
最初に置かれた「白樺のハイジ」は二〇代と思しき青年の語 りによって紹介される。彼は二〇歳の時、白樺湖近くの丘の、 白樺の小道の奥まったところにある喫茶店を訪れる。五〇代く らいのマスターがいて、数々の哲学書や心理学書、精神書、文 学書が並んだ「哲学」 喫茶であった。そこでは短冊に「神はい ますか」 「あなたは正しい」 などと書いてある。 「神はいます か」と言う短冊は前オーナーの時代の五〇年前からかかったま まであるという話を聞き、マスターの思い出話を聞くことにな る。
前オーナーは、ある哲学書で「すべての議論や論争は、むし ろ『相手が正しい』という謙虚な心から始まる」という言葉に 出会い 「あなたが正しい」と言う短冊を掲示した。そこに東 京の大学生がやってきて、同じ喫茶店に一ヶ月ほど通い詰めて
と別れ、娘には養育費を仕送りしてきた。しかし二年後、妻が 病死し、娘は行方知れずになる。彼は海外赴任から15年後日本 に帰ってきて、定年後に妻の残した家で暮らすようになる。そ こへ娘が帰ってきて、しばらくは一緒に暮らすが、娘が一千万 円を隠し持っていることを知る。その後娘が失踪。さらに一〇 年後、ある喫茶店で彼は娘に再会。 娘は第一部に出てきたサラ リーマンと結婚する予定である。複雑なお話で、二度読みして やっと事情が分かったが、踊り子は白竜という男の手助けで持 ち逃げの罪を問われることなく、代わりに刑務所に入れられた 白竜の出所を待って、愛するサラリーマンと結ばれることに なったという話である。ちょっと筋立てに無理な所もあるが、 思う人同士が結ばれたということで読後感は良い。
最後に、短い「守護霊の涙(ハリウッドスターの大罪)」の 一節を紹介する。ここには作者の一番言いたいことが含まれる。
この世界はすべての人が神の無限の愛でつながっておりま す。一人として孤立している人はいません。 彼の人生の最大 の目的はこころ(魂)の進化、向上です。いいかえれば、人 のために尽くす、利他の心、奉仕の心です。(111頁) このような考えを胸に秘めながら、全体にユーモア感覚が旺 盛で、語り口は軽快、話の展開はスピーディーである。人生経 験豊富な人のみが語ることのできる物語と言えよう。

