黄輝光一著『告白~よみがえれ魂~』(増補新装版)を読んでの書評 ①
~きれいな水を飲んだような~
猪爪 知子
〔詩人・北海道在住。詩集『私のいる場所』他〕
表紙をめくり、爽やかな白樺の小道の写真に誘われるように足を踏み入れると、「白樺のハイジ」と書かれたページがありそっと開けてみました。
そこは長野県、白樺湖のほとりから登った林の中に「哲学」という風変わりな名前の喫茶店。…そしてそこからひも解かれていく物語。
「白樺のハイジ」「踊り子」、これらの物語の要所要所には、 いつも喫茶店が登場します。 懐かしい響き。
今も昔も、喫茶店と言うところは、人と人とが出会ったり、 別れたり喧嘩したり愛を語らったり、誰かを待ったり、一 人ぼっちであっても、きっと誰かの事を思っていたり。
つまりいつも人間同士が心を通わせる、時には人生の大きなターニングポイントともなる、不思議な場所。
人生にはこんな場所がいつもあってほしい。無ければ寂しすぎるじゃないか。そしてそこには色んな人生が交錯して、たくさんの物語が生まれる。そんな星の数ほどある人生のひとつを、 話し上手のおじさんから、バーのカウンターで、美味しいお酒を頂きながら聴いているような、楽しくほろ苦くそしてなんだか胸にグッとくるような・・・そんな読後感でした。
そんなうまい話、ないでしょ、と思いながら、ムダのない文章がテンポよくストーリーを展開させて飽きさせません。白樺の林の持つ、独特の美しさと淋しさ・・・
北国にもよく白樺の林がありますが、 こんな喫茶店があったら素敵でしょうね。きっと何処かにあると思います。
そして「いつもの人」
まさに喫茶店を舞台とした、楽しい話。
「喫茶フローレンス」 「焙煎喫茶・木戸口珈琲」
いつもの人、いつも、というフレーズが数行ごとに繰り返される。いつも繰り返さねる毎日、いつも来る人、いつもの同じメニュー、いつもの平凡な毎日は、でも決して同じではない。 人と人とが交錯するところに必ずドラマが生まれる。 他の存在を通して自分を知る。人と人との関係の中にいる自分、その中で喜怒哀楽が生まれる。そんな輪の中で、生きていて良かった!という喜びを味わおうよ!という強いメッセージを感じました。
いつもの人は、自ずと作者自身をほうふつとさせますが、そうであってもなくても、作者がそんな空間の中に自分の身をそっと置いてみた。まさに大人のファンタジー。
毎日繰り返される日々の中には、ちょっとした行き違いで苦しんでみたり、悲しんでみたり、でも、曇り空に時折光が射すように喜びがあり、癒しがある…そんな光に支えられて今日を懸命に生きる。誰もが。 でもそれはいつも、不意に与えられるもので、探し回っているときにはみつからないものですよね。
珈琲一杯を楽しむ小さな幸せは、人間のささやかな権利です。
「動物たちに愛を」「青年の苦悩」
「守護霊の涙」「占い師銀子」
経験豊かな作者の、パラレルワールドを覗くように、楽しくもあり、ホロリとさせられたり、作者は人生のさまざまな場面で出逢ったあれこれを、面白おかしく語って見せてくれます。 悲劇の中に喜劇を、偶然の中に必然を、内包し、内包されている、矛盾に満ちたこの世界を。
細かい描写を省略して、やや粗削りにテンポよくストーリーを進めていく作者のスタイルは、メッセージ性をより強く伝える効果を生んでいると感じます。
「夏のセミ(ぴんころ地蔵)」
この作品から、作者は生と死の境目にだんだんと踏み込んでいきます。
年を取るに従い、誰しもが病気なり老化なりで、意識の中 に否応なしに死をにむかえる気持ちが芽生えます。人間とはそのようにプログラムされているのでしょうか。
エッセイ風の軽妙な書き方ですが、重いものが残ります。
「人類への警告」「死ぬ死ぬ詐欺師」そして「最終章告白」 へと。
ここまで読んできで、流れに導かれるように、ダイレクトなメッセージの渦の中に自然に巻き込まれで行きました。
いつ崩壊するか明日をも知れないこの危うい世界の現実。 天災、自殺、疫病、戦争によって、人間に限らず多くの命が奪われている、そして何より「自己中」が蔓延し地球自体も危ういこの世界で、どんな希望があるのか。
SF映画「マトリックス」が夢物語でもなく、人間が考える力を機械に委ねて、仮想空間の中で生きることに満足する未来が来ないとも限りません。
考え続けなければ!と作者は迫ってきます。
そして最終章「告白(本人)」
自分自身の事を、このように客観的に描写し表現することは、自分だったらできるだろうか…
とても困難な事だと思います。痛い、苦しい、どうしよう、 ・・・位しか頭に浮かびません。
「ユーモアは、苦しいときの友」という忘れがたい言葉があります。誰の言葉か忘れましたが。
「動物の中で笑うものは人だけである」というのは、アリストテレスの言葉です。ユーモアやジョークは、自分が笑うだけでなく、人を笑わせようともするものです。
でも、ジョークとユーモアが違うのは、
「ユーモアは、『心』から発する思いやりである」
と、ドイツの司祭で哲学者のアルフォンス・デーケンが述べているそうです。(無知な私は初めて知りました)また、「自分なりの生死観を身に着けるためにもユーモア感覚は大切である」
「死の瞬間まで楽しく生きましょう」とも。
彼に出会えたことも、この本からの大きな収穫でした。
☆ ☆ ☆
黄輝光一著『告白~よみがえれ魂~』(増補新装版)を読んでの書評 ②
奇跡の人の書いた、奇跡の出会いの物語
向井 千代子
〔白鴎大学名誉教授。日本詩人クラブ、埼玉詩人会、新英米文学会会、「晨」同人、「つむぐ」編集長、他〕
本書は「増補新装版」とあるように、第一版が好評で、新たに一編を加えて再版したものである。
軽快な語り口で、読者をハッピーにする長短合せて11編が収録されている。 全作品を取り上げることは無理なので、最後の「告白」から始めて、 比較的長い作品を紹介する。
「最終章 告白 (本人)」を読んだ人はみな吃驚するはずである。作者はこれまでに三度の脳梗塞の発作に倒れ、脳の大きな動脈三本が詰まって危険な状態にありながら、いくら勧められても手術を拒否し、生き延びて、このような作品を世に問うているのである。最初の発病のときは、スペクト検査(脳の血流検査)の結果、小さな血管は閉鎖していても他の血管の血流があって脳が機能していると言われた。しかし三度目の発病(今回)の後のスペクト検査では右脳の血流が十分でない(約半分)ことが確かめられた。 にもかかわらず生きているということは、機械には映らない血流があるということだろうか。 摩訶不思議な状態で生きている奇跡の人である。「最終章」の中の驚くべき告白を引用する。
私は、現在、24時間体制で、休むことなく「瞑想」と「祈り」を繰り返しております。 場所は問いません。(中略) 最近始めたわけではありません。10歳頃から、ずっと、 ずっとです。(中略) 宗教ですか?違います。・・・教祖なんておりません。偽りの神はこの世に必要ありません。(中略)
人はそれを神と言います。あなた自身です。遠い宇宙の果てにいるわけではありません。まったく、気が付いていない、ただそれだけです。全宇宙のパワーをすでにあなたが持っているということです。(235-236頁)
作者が生き続けていることは「奇跡」であって「奇跡」ではない。その奇跡を支えるだけの「瞑想」と「祈り」があっての不思議な現象である。このことをふまえた上で黄輝氏の作品に目を通して行こう。
最初に置かれた「白樺のハイジ」は20代と思しき青年の語りによって紹介される。彼は20歳の時、白樺湖近くの丘の、白樺の小道の奥まったところにある喫茶店を訪れる。50代くらいのマスターがいて、数々の哲学書や心理学書、精神書、文学書が並んだ「哲学」喫茶であった。そこでは短冊に「神はいますか」「あなたは正しい」などと書いてある。「神はいますか」という短冊は前オーナーの時代の50年前から掛かった、「あなたが正しい」という短冊を掲示した。そこに東京の大学生がやって来て、同じ喫茶店に一カ月ほど通い詰めていた、「白樺のハイジ」と呼びたいような、清楚な、地元の女子大生と恋に落ちる。しかし彼はある宗教団体のメンバーで彼女をその宗派に勧誘する。彼女は言われるままにその宗教に入るが10歳年上の兄に反対され、二人は別れざるを得なくなった。
先代はその事件から二年後、心筋梗塞で突然亡くなり、喫茶店は10数年間閉店となる。その後に今のマスターが喫茶店を買い取り、復活させた。実は、そのマスターこそ彼女と恋仲になったあの青年だった。青年は後に、あれほど信じていた宗教を脱会し、「白樺のハイジ」とめでたく結婚したのである。この物語が感動的なのは、青年が娘の兄の説得もあって、真剣に自分の属している宗派を観察し、そこから脱却できたことである。
次の「踊り子」は二人の語り手によって語られる。第一部は生真面目なサラリーマンがストリップ劇場で踊る小柄な踊り子に魅了され、通い詰めるが、突然彼女の姿が消える。しかし2年後、たまたま出張で訪れた松山で彼女に偶然出会う。出会って話しているうちに、実は彼女は同じ埼玉の小学校の同級生であったことがわかる。 彼女は20歳代に見えたが、実は36歳で、親の離婚により生活に困りダンサーになった。しかし彼女を働かせて金を一人占めにしている男に反発して、男の持っていたお金を持ち逃げして松山まで来たのであった。彼女に結婚を迫られたサラリーマン(主人公)は驚きのあまり逃げ出す。
第二部は彼女の父親の視点で語られる。彼は大きな会社に勤めていたが、アフリカ赴任の仕事を引き受けたことがもとで妻と別れ、娘には養育費を仕送りしてきた。しかし2年後妻が病死し、娘は行方知れずになる。彼は海外赴任から15年後日本に帰ってきて、定年後に妻の残した家で暮らすようになる。そこへ娘が帰ってきて、しばらくは一緒に暮らすが、娘が一千万円を隠し持っていることを知る。その後娘が失踪。さらに10年後、ある喫茶店で彼は娘に再会。 娘は第一部に出てきたサラリーマンと結婚する予定である。複雑なお話で、二度読みして やっと事情が分かったが、踊り子は白竜という男の手助けで持ち逃げの罪を問われることなく、代わりに刑務所に入れられた白竜の出所を待って、愛するサラリーマンと結ばれることになったという話である。ちょっと筋立てに無理な所もあるが、 思う人同士が結ばれたということで読後感は良い。
最後に、短い「守護霊の涙(ハリウッドスターの大罪)」の一節を紹介する。ここには作者の一番言いたいことが含まれる。
この世界はすべての人が神の無限の愛でつながっております。一人として孤立している人はいません。 彼の人生の最大の目的はこころ(魂)の進化、向上です。いいかえれば、人のために尽くす、利他の心、奉仕の心です。(111頁)
このような考えを胸に秘めながら、全体にユーモア感覚が旺盛で、語り口は軽快、話の展開はスピーディーである。人生経験豊富な人のみが語ることのできる物語と言えよう。
向井 千代子 プロフィール

白鴎大学名誉教授。日本詩人クラブ、埼玉詩人会、新英米文学会会、「晨」同人、「つむぐ」編集長

