黄輝光一
(副題。私の履歴書。たましいの遍歴)
【世界的には】
発端は、1848年3月31日に起きたアメリカ、ニューヨーク州ハイズビル(地名)で起きたホルターガイスト現象。フォックス家事件。スピリチュアリズムの発祥の原点的事件。
【世界三大霊訓】
① シルバーバーチの霊訓(霊媒 バーバネル) ② モーゼスの『霊訓』 ③ アランカルディック(フランス)の『霊の書』
【英国三大霊訓】
① シルバーバーチの霊訓 ② ベールの彼方の生活(G・V・オーエン)③ モーゼスの霊訓
【三大霊訓】(別の視点で)
① シルバーバーチの霊訓 ② インペレーターの霊訓(モーゼス)=「続霊訓」
③ ホワイトイーグルの霊訓 (英国の霊媒 グレース・クック)
〔歴史的系譜〕スエーデンボルグ・ハリーエドワーズ・エドガーケーシー
その他、ニューエイジ系、多数あり。
以上の中でも、「シルバーバーチの霊訓」は、その量、その質と共に、まさにバイブル的存在です。(私見)
☆ ☆ ☆
【日本における】 スピリチュアルリズムの150年の歴史。
【日本における心霊主義の元祖は、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)】
【出口王仁三郎】 (1871年〈明治4年〉~1948年 76歳没)
新宗教「大本(おおもと)」教の「二大教祖」のうちの一人。(もう一人は、開祖、出口なお〔1837~1918年81歳没〕
出口王仁三郎は、日本の〔カリスマ的教祖の元祖〕ともいえます。
【黙示禄的な預言者】
「常識では計り知れない人物」「計測・予測不能な人物」。「怪物」とも称される。
そのカリスマ性により、敵も多い。
教義の集大成、「霊界物語」(口述 81巻83冊)は圧巻なり。(スエーデン・ボルクの影響?)
〔大本の2つの根本経典は、①『大本神論』と②『霊界物語』です〕
広義における、日本のスピリチャアルリズムの原点的人物。(系譜的には古神道に属する)
彼は、危険思想の持ち主として、政府の激しい弾圧を受ける。
第一次大本事件・第二次大本事件。
〔信者30万人。強烈な終末論・黙示禄的予言・反文明論・国家神道とは食い違う神話解釈・天皇制の否定。当時としては、まさに革命的・狂信的ともいえる思想〕
【その結果、「大本」教は、分派、分裂していく】
その分派の多さから、「大本は、教祖づくりの教団」ともいわれる。
後の多くの心霊主義者に多大なる影響を与える。
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【浅野和三郎】(1874~1937年62歳没)
「大本」の筆頭幹部。英文学者。
その他の大本の支援者は、谷口雅春(後の「生長の家」の教祖となる)
【日本のスピリチュアリズムの生みの親、浅野和三郎】
スピリチュアリズムの先駆者
二大著作「新樹の通信」「小桜姫物語」
浅野和三郎の継承者が、「脇長生」なり。
その脇長生が、「日本神霊主義」を更に発展させる。
☆ ☆ ☆
当時(大本の頃)の大きな影響力のあった「宗教団体」には、
VS 黒住教〔くろずみきょう〕 (1814年設立~)
VS 天理教〔てんりきょう〕 (1838年設立~教祖は、中山みき89歳没)
VS 金光教〔こんこうきょう〕 (1859年設立~神道)
以上3宗教は、幕末、三大新宗教といわれる。
☆ ☆ ☆
【大本からの系譜・分派・流れ】
⇒日本心霊科学協会(浅野和三郎が設立)その後継者が、脇長生。
創設者の「浅野和三郎」は、日本の「心霊主義運動の父」ともいわれる。
⇒生長の家(教祖 谷口雅春)
⇒世界救世教(教祖 岡田茂吉)
⇒高橋信次(1927年~1976年 47歳没) G LAの祖。霊能者。
⇒現在のGLA(代表 高橋佳子)〔佳子の父が、高橋信次〕
⇒幸福の科学(大川隆法)
その他、多くの宗教団体が派出している。
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【現代の心霊主義者】 (私が、今まで学んできた人たち・私の履歴書)
① 高橋信次 (1927~1976年48歳没)「心の発見」「愛は憎しみを越えて」他。
② 「近藤千雄」と「桑原啓善」(くわはらひろよし)⇒「シルバーバーチ」を世に広める。
⇒2008年。今から15年前。まさに、私との、運命的、必然的邂逅。
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江原啓之(えはらひろゆき)⇒日本スピリチュアル協会の代表理事。
えはらひろゆきの「ひろ(啓)」は、当時、師と慕う「桑原啓善(ひろよし)」氏からもらい受ける。
彼は「人類救済」ではなく、「個人相談」を主とした心霊主義者となる。
① 美輪明宏⇒上記の江原氏と共に、テレビ朝日「オーラの泉」(2005年~2009年の約4年間)。
⇒この番組は、いい意味でも、悪い意味でも、世に「スピリチュアルブーム」の火付け役となった番組。
2007年4月21日以降、番組の最後に、
【『前世』『守護霊』は、現代の科学で証明されたものではありません。人生をよりよく生きる、ひとつのヒントです】
というテロップを流すようになった。
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その他の重要人物 〔学者・霊能者・超能力者等〕
※勝五郎・鈴木大拙・三田光一・御船千鶴子・長南年恵・高橋貞子・福来友吉・岡本天明・中川昌蔵・藤田小乙姫・宜保愛子・木村藤子
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【私が13歳から18歳頃までに、学んだ最大の原点図書】
②「自分を強くする本」(著者 八幡俊)⇒まさに、我が、人生最大のこころの原点図書。
中学1年13歳の時。⇒この本が、後々の「中村天風」の出会いへと、繋がっていく。
③ 安岡正篤 陽明学「知行合一」を学ぶ。(高校1年頃~)
【以上2点が、私の幼少期、青春時代のこころの根源となる「人生の原点図書」です】
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【私のその後の人生における、感動した、たくさんの図書】
④ 山村幸夫(1962~2002年 39歳没) 「神からのギフト」スピリチュアルヒーラー。
⑤ 丹波哲郎 (1920~2006年84歳没) 〔自称、霊界の宣伝マン〕⇒著書「霊界問答」「大霊界」他。
⑥ 伊勢白山道 (釈尊・神道・神社「あなたにも幸せの神様がついている」他。精神世界のサイト部門のNO1ブログ。
⑦ ヨグマタ相川圭子
「死を見つめるたった1つの方法」⇒ヒマラヤ秘境の正当なる後継者。女性初のシッダーマスター(ヒマラヤ大聖者)
⑧ 飯田史彦 「生きがいの創造」ⅠとⅡ。精神世界。福島大学元教授。
⑨ 武本昌三 著書「天国からの手紙」⇒まさに圧巻、超感動のノンフィクショ
ン物語。「シルバーバーチとの出会いと目覚め」。霊界の真実とは。
⑩ 中村天風 (1876~1968年92歳没) 鉄人。超ポジティブの大家。
「君に成功を贈る」「運命を拓く」
軟弱なる自分自身への「喝!!」泰然自若。不動心。
「天風会」は、現在も全国で、活動しております。
〔中村天風の3つの教え〕
★ 心身統一法
★ 人生は、心一つの置き所
★ 安定打座(あんじょうだざ)
本当に多くの人が、彼を信奉している。〔現在も〕
大谷翔平・松下幸之助・稲盛和夫・双葉山・原敬・王貞治・宇野千代その他多数。もちろん、私も。
⑪ 稲盛和夫 (1932~2022年 90歳没) 著書「生き方」他。京セラ・第二電電及び日本航空の立て直しに尽力。「魂の死後存続の確信者」
⑫ 斉藤ひとり (1948年~)「絶対、よくなる」他多数。
⑬ 小林正観 (1948~2011年62歳没)「この世の悩みがゼロになる」
「100%しあわせな1%の人々」他多数。
⑭ 村上和雄 「サムシング・グレート」「アホは神の望み」他。日本の分子生物学者。
遺伝子研究。筑波大学名誉教授。天理教信者。
⑮ 矢作直樹 著書「人は死なない」)他多数。元東京大学医学部救急部集中治療室部長。
⑯ 佐藤愛子 著書「私の遺言」⇒驚嘆の内容。ポルターガイスト現象と、数多く
の日本の霊能者たちが登場する驚嘆のノンフィクション。
⑰ 刀根 健 著書「僕は死なない」。がん脳転移の「4B」からの軌跡の生還。
⑱ 【山川紘矢と山川亜希子】
⇒スピリチュアル系の翻訳家。 翻訳本は多数。
一例「アウト・オン・ア・リム」の著者は、米国女優のシャリ―・マクレーン。山川御夫婦は、ニューエージ思想を日本に広める。
⑲ 田坂広志 近著「死は存在しない」最先端量子力学が示す新たなる仮設。ゼロ・フィールド理論。
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〔日本には、本当に、多数の精神世界の本・スピリチュアル系の本があります〕
そして、2008年。
私の運命を変える、人生最大の出会いこそが、
「シルバーバーチの霊訓」です。
求め続けたからこそ出会った。
「霊界の真実」「人は死なない」「魂は不滅」
我が人生における、必然にして不滅の書です。





【重要参考】
「勝五郎」の物語の真実は。
いつ、どのような出来事か。また、平田篤胤との関係等、詳しく。
勝五郎(ほどくぼ小僧)の「生まれ変わり物語」の**“真実”**を、歴史資料として整理すると――
- **「転生が科学的に証明された」**という意味での真実ではなく
- **「江戸後期に、前世記憶を語った少年が実在し、その証言が複数の同時代記録(しかも公的性格を含む)として残った」**という意味での真実、です。
この点が、勝五郎事件の最大の強みです。
1) いつ・どこで起きた話か(出来事の骨格)
- 舞台は武蔵国多摩郡。勝五郎は**中野村(現在の八王子市東中野)**の農家の子。「疱瘡で死んだ」等を語り出した――と伝えられます。
- 日野市の公式説明でも、「多摩郡中野村の8歳の少年が『前世は程久保村の藤蔵』と語った」と要点がまとめられています。
2) 「真実味」を支える最大ポイント:同時代の“三つの一次級記録”
勝五郎の件は、短期間に、別々の立場の人物が、別々に記録したことが評価されます。京都芸術大学の評価報告でも、時系列が明確に整理されています。
A. 池田冠山(隠居大名・文人)による聞き書き(1823年2〜3月)
- 1823年2月、隠居大名の池田冠山が中野村へ出向き聴取。
- 勝五郎本人が緊張して話せず、祖母(つや)が代わりに語った内容をまとめた(とされる)記録が残る。
B. 領主側(上級武士)による調査・公式報告(1823年4月)
- 勝五郎の住む地域を管轄する上級武士が調べ、上司に提出する形の報告が作られた、とされます(公的性格が強い)。
平田篤(あつ)胤(たね)(国学者)による聴取と著作『勝五郎再生記聞』(1823年6月)
- 篤胤は噂を知り、1823年4月に勝五郎と父(源蔵)を学舎に呼んで面談・聴取。
- その内容をまとめ、1823年6月に『勝五郎再生記聞』として著す(と整理されるのが通説)。
重要:この“三系統”があるため、勝五郎の件は「伝承」よりも「ドキュメンタリー寄り」だ、と評価されやすいのです。
3) 平田篤胤との関係(何をした人か/なぜ重要か)
篤胤は「信じた」だけでなく、「学者として採録し、論じた」
- 平田篤胤は国学者で、死後世界・霊魂・異界への関心が強い人物として知られ、勝五郎の件を調査・記録の対象として扱いました(『勝五郎再生記聞』)。
- 日野市の説明でも、篤胤や池田冠山が「聞き取りをもとに詳細な記録をして、江戸から京まで広まった」とされています。
勝五郎は後に篤胤の門人にもなった
- 勝五郎は1825年(文政8年)に篤胤の塾「気吹舎」に入門し門人になった、という経歴が伝えられます。
4) では「物語の中身」は何が“検証できた”とされるのか
代表的に語られる骨子は次の通りです(ここは資料ごとに細部が違いますが、核は共通):
- 勝五郎は「前世は藤蔵(程久保村)だった」と名指しし、家族や村の事情など、現地に行かなければ分かりにくい具体を語ったとされる。
- そのため周囲が驚き、実地の照合(家・墓・親族など)を通じて「一致する点が多い」と受け止められ、評判が江戸へ拡大していった、という筋立てです。
5) 結論:勝五郎の「真実」とは何か
歴史的に固い言い方をすると、
- 1822〜1823年ごろ、多摩地域で“前世を語る少年”が実在し、社会的騒動になった
- 池田冠山・領主側の報告・平田篤胤の聴取記録という、性格の異なる複数記録が短期間に作成された
- 篤胤はそれを著作化し、勝五郎は後に門人にもなった
――ここまでが「史料で追える真実」です。
そして霊的観点(黄輝光一さんの関心の方向)に寄せて言えば、勝五郎は「奇談」ではなく、“人間は肉体で終わらない”ことを示唆する日本最古級の詳細ケースの一つとして、のちの研究者・文学者にも繰り返し参照されてきた、という位置づけになります(ただし“証明”と“示唆”は別、というのが学術的に安全な線引きです)。

