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「死んだらお終い」の生き方とは(煎じ詰めると)

魂と霊の画像 エッセイ
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① 日々の生活の喧騒の中で、神を意識することがほとんどない

② 神さま、神さまと願い事をすることは、ほとんどない

③ 神の存在を、考えることはない

④ 神の存在を否定する。

⑤ この世は、理不尽だと思っている。

⑥ 「諸行無常」だと思っている。

⑦ 人は老い、いつか死ぬ。「生老病死」、まさに人生とはこの言葉通りだと、確信している人。

⑧ 「死んだらお終いだ」と「潜在的に」思っている。

⑨ 生まれ変わりや、輪廻転生は、ないと確信している。

⑩ 「人生は、楽しむ為にある」と考えている。

⑪ 「人生とは、自分の夢をいかに実現するか」(短い人生ゆえに)

⑫ 好きな言葉。「人生を楽しむ」「信念を貫く」「やりたいことをやる」 

 「夢の実現のために全力投球する」

⑬ 嫌いな言葉。 「奉仕」「人の為に尽くす」⇒内在する意識下の心。死後消滅の確信が根底にあ    

る。

⑭ 他者への関心度が薄い。「人の言うことを、いちいち聞いていたら、やってられないよ」という内

在する心理。

  他者への「無関心」

⑮ 自己中心主義である。自己中。エゴ。

⑯ 自分の言いたいことを言う。それに対しての反対意見は、参考として聞く。又は、まったく意に介さない。聞く耳はもたない。

⑰ 根底にあるのは「自己愛」⇒一番大切なのは「自分」これは、当たり前だと確信している。

⑱ 短い人生ゆえに、「欲望」の実現をめざす。⇒三大欲(金欲・物欲・性欲)

⑲ 特に、老後は、「楽しむ為にある」と。残り少ない人生、趣味人間をめざす。

⑳ その死生観を、ズバリ言えば、

 「自己中心主義」「物質至上主義(唯物主義)」の生き方です。

例外的には、宗教学者の岸本英夫(1903~1964年60歳没)のように「死は無なり」と、確信しながらも、「よりよく生きる」という生き方を選択する人もいる。それは本当にすばらしい生き方です。しかし、それは、残念ながら稀です。そこには、根底には、悟りきれない、ぬぐいきれない死後世界への強い願望と恐怖が、内在している。

法則① その人の「人生行動」は、すべてその人の意識下にある「死生観」が決めている。

法則② 特に、70歳以上の老後は、迫りくる死に対して、それは顕著となる。

      【老後は、特に「人生楽しまなくっちゃ」と語る多くの人達】

法則③ 楽しみ度(快楽)は、その人の「死にだらお終い」の内在する深層心理の、確信度に正比例。

    

「死んだらお終い」という思いは、その人の心の奥底に潜む、長い人生体験から培わられ、導き出される、その人の意識下の「死生観」。

      ☆  ☆  ☆

【その死生観『死んだらお終い』が、更にエスカレートすると】

① 快楽主義的生き方により突き進む。

② 夢の実現のためには、時として、犯罪もいとわない(見つからなければ、良しとする思考)。

③ 行動は、過激。⇒何をするか分からないところがある。

④ 見た目は、冷静に見えても、その根底にある思想は、極端。

⑤ 自分の邪魔をする奴は、許せない。

⑥ 自分の命は「超、大切」。しかし、人の命は如何に・・・

⑦ 自分こそが正しい

⑧ 過剰なる自信家。

⑨ 地球は、自分のために回っている。

⑩ ついには、強欲の権化になり果てる。

「自分は、絶対君主(神)」だと言い出す」???新興宗教の教祖さま。(プーチン?)

 なぜか、とことん追いつめられると、一変して、(最後は)死を選ぶ。

その人の、死生観は「必ず行動に出る!」

その対極が、

「よく生きる」「よりよく生きる」「愛と奉仕」「人の為に尽くす」生き方です。

が、しかし、

『死んだらお終い』の確信者が、更に、「神の存在」を否定している確信者が、尚且つ、この様な「愛ある生き方」を選択することは、現代の欲望社会の中では、なかなか難しいことだと思います。

実は、「この世界の真実」を全く知らない故の、「人生観」なのです。

真実は、何か。人生の目的は何か。

〔参考 その回答が、拙著「告白~よみがえれ魂~」の中で短編小説「守護霊の涙」に書きました。更には、コールサック99号に掲載した、短編SF小説「ウレラ」での中で、その思いを書きました〕

      ☆  ☆  ☆

あなたの「死後の世界」での、最初の問いかけは、

「あなたは、生前、どのような人生を歩まれましたか」

「生前何をしましたか」、と問われるのです。

それは、誰が、誰に対してですか? 「神が、あなたに対してですか?」

それは、違います!「あなたが、あなたに対してです」

あなたは、死後にそう問われて、なんと答えるのでしょうか。

死後世界が、「ない」と確信しているので、そのような場面がくるはずもないし、答える必要もない。

死後世界は、ないのだから、当然です。

が、しかし、

あなたの人生観が、根底から覆される、大問題だと私は思います。

真実を知らないばかりに、間違った人生観のもとに、ただただ「楽しむ」だけの人生を無為に送って来たからです。

この大宇宙、すべての全宇宙人の共通の、死後の世界をひっくるめての「人生の目的」があるはずです。

「普遍的にして、絶対的人生の目的

「宇宙の根源的、生きる目的

「人類だけではありません。高度に発達した文明を持つ、宇宙人たちの共通の人生の目的

「現世でも、死後世界でも、共通の人生の目的

それは、何か?

そんな共通なる、普遍的なものは「ない」と、おっしゃるあなた。

あるというなら、是非聞いてみたい。というあなた。

それは何か、

「利他」です。

分かりやすいこと言葉でいうと、

「人のために尽くす」

「愛と奉仕」です。

これが、大宇宙のキーワードです。

現世とあの世(霊界)の共通のキーワードです。

ですから、死後に「あなたが、人生で何をしたか」が、問われるのです。

振り返って、あなたは、人生で何をしたか、饒舌に語れますか?

いったい、何を目的に一生懸命、生きてきましたか。

お金ですか、地位と名誉ですか。家族を支えるためですか。・・・

「なんとなく、生きてきました」ですか。

「気が付いたら、こうなっていました」ですか。

「いまさら、反省しても、無駄です」ですか・・・

「そんなこと、真剣に考えたことはありません」ですか

「死んだら分かる」のだから、分からないことを考えても意味はないですか

「死んだらお終い」なんだから、考えること自体が時間のムダですか

私は、小さいころから、神を意識し、晩年(55歳~70歳)は、特に、神をひしひしと感じております。

現在、毎日、守護霊様と会話をしております。時と場所を選ばずに、常にです。

「神の愛」です。この世界は、すべて愛が行きわたっている。

日々、あなたが、「神の愛」を全身で感じるからこそ、

導き出される「人生の目的」です。

人間の、あっという間の短い人生から導きだされた結論ではなく、霊的真理から導き出された「真実」です。「永遠」の人生からみた、真実です。

これを、「神の摂理」といいます。

が、しかし、

その対極にある、

「無」から導き出される結論は、

「人生の目的は、人によって違うと思います。私の死生観は『死んだらお終い。無に帰する』です。それ故にこの短い人生で「自分の好きなように生きる。やりたいことをやる」。これが、私の人生観です。これが、私の結論です」と・・・

最後に、

もう一度、

「あなたとは、いったい何者ですか?」                                                                

と、私は問いたい。

単なる原子の塊ですかと?

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