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「10億円当たったら」Ⅱ

エッセイ
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「世の中に寝るほど楽なことはなし、浮世のバカは起きて働く」

(江戸時代の太田蜀山人の『狂歌』です)

私の家は「川崎大師さま」から約4分。今年は昨年以上に、なんと約300万近くの人々が、三が日に、ある目的でやって来ます。たくさんの願い事をいっぱい袋に詰めて、しかし、さすがに神様には、全部は叶えてもらえそうもありません。何万人という人々が、後ろから、押せ押せやとせき立ててくるものですから、ゆっくり願い事をする暇はありません。

そこで彼(30歳独身男性)は、今回は、たった一言「どうぞ、年末ジャンボ宝くじ、10億円が当たりますように」と願った。彼の悲願です。今日は、元旦。きのうの12月31日には、すでに結果が出ている。今度こそ当たりますようにと。

はっきりと申しあげて、10億円を当たった人は、「神に見放された人」だと思います。更に言えば、「地獄行きの入場券をもらったようなもの」です。まあ、そう言ったところで、本人は、まったくそのことに気が付かず、「やった~!!」と雄たけびを上げて、「神様ありがとう!」と何度も言うことでしょう。しかし、思うにその後の人生は、惨憺たるものではないのでしょうか。

はっきり言えば、そこから、彼が、そのお金を何に使うかです。「世の為、人の為」にどう言う形で使うのか。

が、しかし、そういう人は、まずいないでしょう。彼の人生は、大きく狂うことになります。本来あるべき「人生の目的」が、大きくゆがめられることとなります。神様レベルでいうならば、その瞬間、神さまから「最高レベルの試練が与えられた」ということです。

「彼は、10億円をもって、人生で何をするか」です。

しかし、この話には、大前提があります。

「死生観」です。

神はいない。悪事を罰するような神はいない。神も仏もない。「死んだら、それでお終い」と確信しているならば、彼が、その後の人生で、超、快楽的な人生を選択してもまったく不思議ではありません。そのお金の使い道は自己責任ということですが、おそらく物的欲望を満たすため、享楽、快楽のために散財、浪費されることは間違いないでしょう。

しかし、私は死後世界の確信者なので、ある重大なことを知っております。

つまり、死んだ後に最初に問われることは、「あなたは、どのような人生を送ってきましたか」ということです。

これは、あの世の絶対、必須項目です。時間をかけてゆっくりと自分が生きて来た我が人生を思い出し振り返り(魂に刻まれたアカシックレコードという全人生の記憶)、人生という問題集の答え合わせをする作業です。ただし、神さまから、強要されるということでありません、自分自身が、自分自身に問いかけるということです。

あの世自体が、肉体という衣を脱ぎ捨てて、こころ(たましい)がさらけ出される世界なのです。見えないものが見えてきます。おのずから、「生きてきた現世での思念、行動、人生観が問われます」、つまりカルマ(原因結果)の法則です。その指針は「あなたは、現世で何をしたか。世の為、人の為にどのようなことをしたか」です。

もう一度、言います「あなたが、人生で何をしたか。愛と奉仕のために、何をしたかです。」

「そんなバカな、そんなことはありえない」と思う方もたくさんいると思いますが。もしも、何も問われないとしたら、死後世界がないなら、やりたい放題の快楽的人生を、否定することは難しいです。

短い人生を「とことん楽しむ」「やりたいことをやる」「自分の夢(この世的な物欲な夢)の実現」「他人は関係ない」「時として、法を犯すこともやぶさかではない」という自己中心的な考え方が、正解になってしまうかもしれません。というより、そういう人生観を否定できないと私は思います。

現実は、まったくちがいます。

この世が原因、あの世が結果の世界です。現世はコインの裏側、あの世が表です。

まさに、問われるのです。あなたの人生が。

現在72歳の私は、現在、守護霊さまに、頭脳明晰で頭が確かなうちにと、72年間の色々な出来事をすべて思い出し、反省し、あの世で、最初にお会いする大変お世話になっております守護霊さまに、「故郷に帰ってきました」という帰還報告をし、心からの感謝を伝え、以心伝心、テレパシーによる守護霊さまの「問いかけ」に、いつでも答えられるようにしておきたいと考えております。

ただし、もうすでに、相手は、私の人生のすべてを先刻ご承知です。知れ渡っております。求められるのは「魂の成長を促す反省」です。決して後悔と懺悔の叫びではありません。私は、毎日「守護霊さま」「守護霊さま」と感謝とお祈りを捧げております。(拙著「守護霊の涙」に掲載あり)

☆  ☆  ☆

さて、ここで、先ほどの10億円のお話にもどります。人生の最大の幸運に恵まれた彼は、しばらくして会社を辞めるでしょう、がむしゃらに働くことに、価値が見いだせなくなるでしょう。そして、何が人生で一番大切なのかを見失う可能性が大です。人生とは、快楽の追求ではありません。

人生とは、色々な体験を通して、「あることを学ぶため」に生まれてきました。艱難辛苦はこころの肥やしです。苦しみや悲しみは、それを乗り越えるためにあります。実は、生きるためには絶対に必要な「苦しみという試練」です。更に言えば「七転八倒」(しちてんばっとう)するような大艱難を経験し克服して、初めて「魂の花火」に点火される、まさにあなたの「目覚め」です。その日から、この世界の、この大宇宙の見えなかった真実が少しずつ見えてきます。魂の覚醒から魂の成長へと・・・

ここで、2022年8月24日に90歳で亡くなった稲盛和夫氏の「生き方」の本と講演から、彼の「死生観」を語る部分を引用したいと思います。

彼は、経営の指南役です。京セラを起こし、第二電電、そして日本航空の立て直しに尽力しました。日本経済に大きく貢献しました、まさに「経営の神様」。言葉を変えれば「お金の神様」と言えるかもしれません。が、しかし、その本に書かれていることは、真逆であり驚嘆であります。

「よみがえれ魂」(コールサック104号)でご紹介しましたが、稲盛さんへの敬愛と追悼の意味を込めて、再度掲載します。(抜粋編集)

「死によって私たちの肉体は滅びますが、心魂は、死なずに永世を保つ。私はそのことを信じていますから、現世での死とはあくまで、魂の新しい始まりを意味します。だからその旅立ちに向けて、周到な準備をすべく、最後の20年は人生とは何かを改めて学び、死への準備をしたい。そう考えて得度(とくど)を決意したわけです。

人生とは、良き経験を多く積んで行くことが『心を磨く』ことにつながり、おのずから悟りに近づくことになる。そうやって高められた魂は、現世だけでなく、来世にも継承されていくのです。人間という生命が最終的に目指すものは、ただ、心の訓練にあり、その魂の修行の場として、私たちの人生が与えられているということなのです。従って、その大目的の前では、この世で築いた財産、名誉、地位などは、いかほどの意味もありません。いくら出世しようが、一生かかっても使いきれないほどの財産を築こうが、こころを高めることの大切さに比せば、いっさいは塵芥(じんかい)のごとき些細なものでしかないのです」と。

そして、その心とは、「利他」です。「世のため、人のために尽くせ」と何度も述べ、それによって心は磨かれると。

この「生き方」の終わりには、「宇宙意志」「サムシンググレート」「魂」「真我」に多くのページがさかれております。

では、稲盛和夫氏の根底にある思想の原点、それは何か。それは「生長の家」の創始者である「谷口雅春」の教えです(稲盛氏の『ガキの自叙伝』より)。彼はその著書「生命の實相」に深い感銘を受け、更には仏教、臨済宗の「禅」へと繋がっていく。更には、氏の「盛和塾」の講和(CD)の中で、「シルバーバーチの霊言集」に言及しており、氏が説く内容は、まさにバーチの教えそのものであり、谷口雅春氏の教えと共に、多くの驚く程の共通項が見受けられます。

シルバーバーチとは、世界三大霊訓と言われており、3000年前に死んだ「高級霊」であります。約60年間(1920頃~1981年)に及ぶ霊界通信であり、稲盛氏はそれを読み、更なる死後世界の確信に至ったと思われます。

確かに、科学万能主義の時代に、にわかに信じられないお話だと思われますが、その膨大の量と内容の卓越さは読むものを震撼させます。バーチの言葉です。

苦はありがたいこと

「魂の偉大さは、苦難を乗り切るときにこそ発揮されます。失意も、落胆も、魂の肥やしです。魂が、その秘められた力を発揮するには、いかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上人生の目的なのです。失意のどん底にあるときは、もうすべてが終わったかの感じを抱くものですが、実は、そこから始まるのです。あなた方には、まだまだ発揮されない力―それまで発揮されたものよりはるかに、大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。

金塊もハンマーで砕かないと、その純金を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外にあるという人がもしいるとしても、私は知りません。」

皆さまは、どのような死生観をお持ちですか。

拙著「告白~よみがえれ魂~」の中の『青年の苦悩(もし10億円当たったら)』の続編として「現在の私の思い」を述べさせていただきました。

大当たり「10億円」

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