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白樺のハイジ

白樺林 小説
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黄輝光一
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この小説は、『告白~よみがえれ魂~』に掲載しているロマンチックなファンタジー小説です。

全ページを掲載いたします。

私が20才の時、長野県の郷里から「白樺湖」に行ってきました。車山高原のすがすがしい空気のなかを散策し、翌日は、白樺湖から小高い丘に登り、白樺の白いむき出しの木肌が太陽の光をあびて銀色に輝き、まさにシルバーバーチ(銀色のカバノキ)の様に、幻想的なメルヘンのような小路を散策しました。

その奥まったところに突然現れたのは琥珀(こはく)色の小さな喫茶店でした。驚いたのは入り口にかかっていた「哲学」の文字。扉を開けると誰もいませんでした。いや、いました。50代くらいのマスターが、私が一番遠い席に座ろうとすると、

「よかったら、カウンターで」

 私は一番上に書かれていた「白樺コーヒー」を頼みました。その隣の小皿には緑の白樺の葉に小さな二つのお菓子が並んでいました。

あたりを見渡すとたくさんの本が並んでいました。ゆうに500冊はあったでしょうか。

 ソクラテス、カント、ニーチェなどの哲学書 、フロイト、ユング、アドラーなどの心理学書、その他には「心を強くする本」「人生のレシピ」などの精神書。あれ?白樺派の志賀直哉の作品もあります。それらがきれいに整然と並んでいました。    

「観光ですか?」

「ええ、一人旅です。2泊3日、下の白樺ビューホテルに泊まっています」

 一気にコーヒーを二口飲みました。口の中にまろやかの苦みが広がりました。

「白樺の並木路、素敵でしょ、白樺伝説をご存知ですか?」

「いいえ」

「ドイツの伝説です。

ある秋の夜、働き者の羊飼いの少女が糸を紡いでいました。すると、そこに突然、銀色に輝く服をまとい、野の花の冠をいただいた、柔らかなまなざしの美しい娘が、目の前に立っているのに気づきました。

『私は、あなたと踊りたくて森から来たの、私と一緒に踊りましょうよ!』

少女がびっくりして迷っていると、『いらっしゃい!』と、美しい声でダンスに誘われました。森の中へとまるで夢見心地でついていきました。明るく輝く月に照らされながら、二人は陽気に楽しく時が経つのも忘れてダンスに興じました。娘のステップは軽やかで草を踏んでも曲がらないほどでした。

ふと、我に返ると、1日だと思っていたのがもう3日も過ぎていました。『あら、もうこんなにたってしまったわ、家に帰らないと』

すると、娘は黄色に色づいた白樺の葉を、少女のポケットにいっぱい詰め込んでくれました。家についてポケットから白樺の葉を出してみるとそれは全部眩(まぶ)しく輝く金貨にかわっていました」

「これが白樺伝説です」

「ロマンチックですね」

店内を見回してみると哲学喫茶だからでしょうか、ひとつは細長い短冊に「今月のお題目『神はいますか』」そして、私には意味不明の『あなたは正しい』、少し離れたところにはなぜか、真新しく見える「宗教の勧誘は固くお断りします」という但し書きが目に飛び込んできました。

「あれは何ですか?」

「あれですか『神はいますか』は、もう50年以上前からそのまま掛かったままなのですよ。もう色あせてボロボロですが、この喫茶店の前オーナーの直筆の思い出の品でもあります。もうとっくに、哲学ブームも去って若い人はゲームやスポーツに夢中ですからね」

「『あなたは正しい』って、どういうことですか?」

「聞きたいですか?話すと長くなるかもしれませんよ」

「……」

「では話しますよ。実は今から50年前、この店の前オーナーつまりこの店を最初にオープンさせた方ですが、哲学を語るうえで議論が白熱した挙句に、言い争いや喧嘩にならないように掲示したのですよ。もともとは、ある哲学者の本の一節で『あなたが正しい』を読んで、なるほどといたく感動したそうで、特に宗教や哲学、思想の論争や争いは結局のところ自分が信じていることが絶対的に『正しい』、自分が信じる『神』『宗教』『哲学』が絶対的に『正しい』という信念信仰から始まっている。すべての議論や論争は、むしろ『相手が正しい』かもしれないという謙虚な心、相手の立場を理解し敬意を払う。それなくしては有意義な論争とは言えないのではないか、この哲学喫茶で若者たちに大いに議論してください、ただし一方的に自分の正しさを主張するのではなく、相手はどうしてそんな結論に達したのか思い図る心も必要ではないかという思いから、ある意味逆説的な『あなたは正しい』と先代オーナーの思いで掲示したのですよ」

「なるほど、そうですか」

「ところがとんでもない青年が現れたのですよ。この『あなたが正しい』を『自分が正しい』と思ったのですよ。まったくオーナーの真意を取り違えたのですね。

当時、あの白樺伝説の中の美しい娘のような地元の女子大生、まるでアルプスのハイジのような高原の爽やかさを持った純粋な乙女が、この喫茶店に突然訪れたのです。彼女は、一か月の夏休みの間よほど気に入ったのでしょう、毎日のようにこの喫茶店に通いました。そう、あなたが今座っているカウンターの席に。哲学書ではありません、大好きな童話や詩集をいつもひたすら読んでいました」

「え?先代のマスターの話ですよね?」

「そうですよ」

「その娘は約一か月、白樺コーヒーと、ただ好きな本を読むためだけに訪れました。その清楚な佇まいは先代オーナーの心を動かし、まさに白樺の森に現れたハイジの様でした。もうすっかりマスターのお気に入りの常連となりました。

でもある日、突然、あの青年がやってきたのです。

彼は、東京の大学生で、郷里に戻り、この小高い丘の白樺の小径を散策して、偶然この喫茶を発見したのです。いつの間にか、同じカウンターに座りまるで運命の糸に導かれるように二人は恋に落ちました。マスターも似合いのカップルだと思いました。彼も一か月、彼女も一か月、それからふたりは揃って毎日来るようになりました。

ところがある日、彼がある話を始めたのです。神との出会い『神のお話し』を始めたのです。実はある有名な宗教団体でその神様を盲信するメンバーだったのです。純粋な彼女は、彼を愛するようにその話に心より耳を傾け『盲信』していきました。青年は純粋さ故にその神を信じ、彼女もその神が全てだと疑うことなく、二人の絆はどんどん深まっていきました。彼の話には説得力がありました。

「先代は、彼女に辞めるように説得しなかったのですか?」

「しましたよ、でももう手遅れでした。二人は『真実の神』に永遠の愛を誓ったのです。実はふたりはその間、何度も『神』について手紙のやり取りをしていたのです」

ところが翌年、この夏のシーズンに彼女は現れませんでした。来たのはあの青年だけでした。そして彼女の代わりに来たのは、彼女の10才年上の兄でした。理由は簡単です。お兄さんは、かわいい妹を、なんとか宗教から脱会させ、その青年との交際を断固、断ち切るためにこの喫茶店にやってきたのです。お兄さんもそのためにその宗教について相当勉強したようです。実は、彼女と彼は、兄の怒りで6か月以上音信がなかったのです。彼女を愛する青年は必死です!それと同じくらい、兄も必死です!高原の爽やかな白樺の喫茶店が、阿修羅のごとき罵倒と心の叫びがとどろきました。

兄は言いました『あなたの宗教は間違っています。カルトです!』

青年は二度とここには現れませんでした。というより、もう来ることができませんでした。

 ところがその先代が、その事件から2年後、75歳のとき心筋梗塞で突然亡くなってしまいました。白樺の並木に佇む小さな喫茶店は、主を失い、扉は固く閉ざされたまま十数年の歳月が流れました。

当時私は、この朽ち果てるままの喫茶店をなんとか再建したいと思い買い取りました。つまり私が二代目のオーナーです。私が開店してもう10年が経ちました。多いときは10名以上来ますが、ほとんど趣味のようなお店ですよ。今日もあなた一人だけかも」

「ところで、その二人はその後どうなったのでしょうかね・・・」

「その青年は、その宗教を続けているのですかね?」

「脱会しました」

「彼は今どうしてるのでしょう?」

「あなたの目の前にいます」

・・・・・・・・・

「えええ」

「ちょっと、待ってください!!今までのお話は、すべてあなたのことですか?」

「ええ・・・」

「ええ、あなたが、私に何が言いたいのか、さっぱり分かりません?」

「それは、私の取り返しがつかない過ちです、宗教の怖さです」

・・・・・

「私の東京、世田谷の家には、都会では珍しく50坪ぐらいの大きい庭がありました。もの心がついた、5才頃から、いつも大好きな『ありんこ』の動きをじ~っと見ていました、見れば見るほど不思議に思いました。5mmにも満たない小さな『ありんこ』が土の上を縦横無尽に歩き回り、当然のように餌をさがして来た道を迷うことなく巣に運んでいる。小さいながらも頭も手も足もあり、すべての機能を備え、その姿は小さくても完璧に思えました。そればかりではありません、庭にいるたくさんの種類の昆虫、草花、見上げれば、気持ちよさそうに空を飛びかう鳥たち、まぶしく閃光を放つ太陽、そして、夜になる姿を現すお月様、無限なる煌めく星たち、この世界はいったいどうなっているのだ!?

もう、不思議で、不思議で、仕方ありませんでした。そして最も大きな疑問は、この『わたし』『自分自身』です、いったい誰が、何のために私を創ったのか。そして、いったい私に何をさせたいのか、疑問は疑問を呼び、謎は謎を呼び、すべて分からないことばかりです。この世の中、大自然、大宇宙、すべてが、未知の世界、私は子供ながら驚愕し立ちすくみました。でも、すぐに、当然のごとく、直観的に、大自然、大宇宙、神羅万象、この世の中のすべてのものの創造主が、まさに『神』だと私は直感しました。私にはそうとしか思えませんでした。

神こそは、全知全能、完璧、『私のすべての疑問に答えられるはずだ!』と思いました。それならば私を創造した理由も、『私に何をさせたいのか、私に何を求めているのか』その回答を分かるはずだと。私は、それから母から望遠鏡を買ってもらい毎日のように満天の星を眺め、宇宙の本をむさぼり読み、真実の神、本物の神を求めて巡礼の旅に出ました。『神は、どこにいますか?』と。小学校6年生の頃のことです。それからずっと心のなかで思念思考の中で神をさがし求め続けてきました」

「それが、結局、神から宗教へとつながっていくのですか」

「そうですね」

「神から、宗教へ、徐々に関心を持つようになりました」

「しかし、私が満足できる納得できる神にはなかなか巡り合えませんでした。死後に恐ろしい地獄やサタンが待っている世界そんな世界があるはずはない。神は決してそんな恐ろしい世界は創らないと思いました。また『信じる者のみが救われる』というような偏狭な神様は、私にはありえないと思いました。そんな宗教にほとほと、ガッカリし、私の『本物の神』『真実の神』さがしは依然として続いていました。

しかし、大学一年生の時親友に誘われて行ったところはまさに宗教でした。大嫌いな宗教でした。しかしそこで聞かされたお話は、まさに『あの世には地獄はありません』『サタンは迷信です、ありえません』悩むことはまったくありません。わが神こそ、本物です、全知全能の神です、本当に誠実そうな多くの人たちが私の周りを取り囲みました。世間知らずの19才の未熟者の私は、どんどんのめり込んで行きました。『外界』がまったく見えなくなってしまいました。

そんな時、21才の夏、宗教書を右手に携えてこの白樺の喫茶に訪れました。そこで、偶然に出会ったのが当時19才の彼女でした。その時彼女が持っていたのは『童話集』でした。その純粋さにひと目で好きになりました。

それから郷里の諏訪から毎日車で通いました。

しかし、その後、私はとんでもない、反省してもしきれない大きな罪を犯しました。

何も知らない19才の純粋無垢の彼女に、童話のかわりにその宗教を進めました。私はその時、その宗教を本当にすばらしい!正しい!!と確信して話しをし続けました。

しかし、ついに運命の日がやって来ました。

彼女の兄と、対決したのです。

実は、彼は茅野市の高校の教師をしておりました。

彼に、罵倒され、カルトだと言われ、もう一度真剣に、教団の組織・教祖の実態、すばらしいと思った『経典』を何度も、熟慮再考をしてみました。おかしい所はないか本当に正しいのか完璧なのか・・・

まもなくその兄から長いお手紙をもらいました。

『先日は、あなたを一方的に侮辱し、申し訳ございませんでした。冷静さを失っていました。許してください。妹は、まったく口をきいてくれません。もはや、聞く耳を持っておりません。ふさぎ込み家から一歩も出ようとはしません。いつも泣いています。妹を助けられるのは、あなたしかいません。お願いです、妹を助けてやってください。今、あなたの信仰している宗教が、大きな社会問題となっていることをご存じでしょうか。自分たちの宗教が、絶対的に正しい。この世の中はおかしいと、攻撃的、反社会的になっております。完全に孤立しております。強引な洗脳ともいえる布教活動、お布施、あなた自身が、感じていることがあるはずです。もう一度、内部からではなく、外から、冷静に組織のありようを見て下さい。必ず、感じることがあるはずです。本当に、あなたの納得できる本物の宗教なのか?いくつかの告発本も出ております、2冊同封しました。是非、読んでもらいたいです。・・・・・』

そこには、なんとか私を助けたいと思いがひしひしと伝わってきました。君に『教団の真実を知ってもらいたい!』『目を覚ましてもらいたい!』と。その強い思いが紙面にみなぎっていました。妹の心を傷つけた私に、本当に、わが身のように親身になって心配してくれて・・・自然と頬に涙が伝わってきました。

教団の実態を調べれば調べるほど、組織の実態、神とは程遠い、偽りの神!とんでもない教祖、高額なお布施、強引な布教活動、改めて『自分の無知』を思い知らされました。

私は脱会しました!!何度も何度も引き留められましたが、もはや決意はゆるぎません。完全に決別しました。すべて、お兄さんのおかげです。感謝しても感謝しきれません。

しかし、もうひとつ、私の最大の罪、それはまだ終わっておりません。

私の心の中の取り返しのつかない悔恨!

彼女の大切な青春と時間を奪った罪

彼女の純粋な心を奪った罪

彼女に大粒の涙を流させた罪

是非、是非、もう一度会わせてもらえないかと。

心から謝りたいと、

手紙にしたためて送りました。

・・・・・

「それで、会えたんですか?」

「会えました」

・・・・・

「よかったですね・・・」

午後の長い沈黙が続きました。

この白樺の喫茶店に、おだやかな、ゆったりとした陽光が窓から差し込んでいるのが感じられました。

頭の中をさまざまな「思い」がぐるぐるとめぐりました。

そして、窓の外へ目を移すと、

銀色のシルバーバーチの小径を、軽やかなステップで草の葉を踏んで近づいてくる女性が見えました。

私は重くなった頭をゆっくりと左右に振りました。

ふう~と深呼吸をしました。

その時でした。

扉が開く音がしました。

中年の女性が、軽やかに入ってきました。

柔らかな笑顔でその女性は私に「いらっしゃい!」といいました。

マスターが、にっこりして言いました。

「彼女が、白樺のハイジだよ」

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