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僕って、なんですか?

宇宙の画像② エッセイ
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神谷光一
黄輝光一

私が高校1年生の終わりごろに書いたエッセイです。
1968年2月(昭和43年2月、16歳の時に執筆)

コールサック97号(3月号)に掲載。

始めに (昭和43年2月。16歳)

豊臣秀吉は、貧しい農民の子でありながら天下を取った。

  今でいえば、一国の乞食が大統領になること以上であろう。

  徳川一門は、その歴史的変遷に打ち勝って、見事に265年の間、天下を収めた。

  坂本龍馬は、己の才覚で歴史を変え、近代日本のとびらを開けた。

  西郷隆盛は、その偉大な功績に対して,歴史に残る『上野の銅像』が作られた。

  しかるに僕は、いったいなにをしたらいいのだろう。

地球に生まれ出ずること、16年、歴史的大人物にはそろそろ、その瞳の奥にどことなく他の子と違う異質の輝きがみられるころだ。歴史に残る人物には、小さい頃からどことなく変わったところがあるという。

しかるに、僕はいったいどんな変わったところがあるというのだろう。

せっかくこの世に生まれてきたのだ、たとえその理由が志賀直哉の言うように偶然の仕業であろうとも、武者小路実篤の言うように必然性によるものであろうとも、僕はやっとのことでこの世に生を受けたのだ。一生を棒に振ることはない。人間として生まれてきた以上、何かをやらなくてはならない。それがなんであるかは分からない。

生きることの悲しみを知った人間の、唯一の逃避は現実において何かをやることだ。悲しみに暮れているものは愚かだ。せっかくもらい受けた生の道を己の手で遮断する奴はなお愚かだ。彼らは、この世に生まれてきたことが根本的に誤っていたに違いない。しかるに、僕はいったいこの世で何をすればよいのだ。

現実

歴史が始まって以来、急激に進歩した人類、合理主義がめばえ科学に徹した20世紀は、まさに複雑怪奇な時代だ。社会は複雑化しそれに即応して人間の心も複雑になった。わざわざ遠い学校に通い、そのために乗り物を作り交通事故を巻き起こす現代、だがそれは人間自らが選んだ科学の道だ。そして人間はその科学に頼り、この世のすべての謎をそれによって解き明かそうとしている。

 しかし、その進歩的スピードに耐えられない人間は、自然に究極にたたされ微塵に化す。視野は広がり無限大の宇宙さえひと目で見渡せる今日、人間はより多くの人々と接し、その不完全な人間性からくる矛盾が「なやみ」となって、弱いこころを悩ます。ある者は憂鬱になり、またある者はノイローゼになる。現状にそぐわない者、その需要と供給のバランスより必然とこの世から去る。そして人間はまた未来へと進む。限りない楽天的未来を夢見て。しかるに、それゆえに現代はナンセンスだ。複雑なあまりに矛盾も多い。その矛盾を感じた時、人間は悲しい、やるせない気持ちになる。それ故に、『生の自我観』をしっかり意識していないと、現実から取り残される。 人間。千変万化の角度から見ても完成されているとは思えない。もともと『考える』という能力が不完全なものだからかもしれない。だが、『生』の持つ意義はすこぶる偉大で、かつ神秘的だ。そして、人間はその前代未聞の能力を使って、壮絶な疾風迅雷を繰り返す大宇宙に、新しい痕跡を残すかもしれない。人間の夢と希望は大きい、しかしその道は険しい。だが、人間はそれをも恐れない、ただひたすら未来に進む。

この世の誕生

しかし、未来を語る前に我々は今生きているこの現実を見つめるべきだ。

現在ここにいる僕、他人の心を読めない僕、無生物でもでも、岩石でもない、路傍に転がる小さい石ころでもない僕、でもそこには何かがある。

太陽系よりはるかに小さな坩堝(るつぼ)から宇宙が生まれ、実際には見ることのできない激しい怒涛を繰り返しつつこの世界は生まれた。超高温の中では原子核さえ破壊され、超微粒子となりそこに存在する。目を覆いたくなるような世界、超爆発的エネルギーを発散する粒子。

『あああ』そこには生なるものの吐く息はない。何かが頭をもたげてくる。大きな頭を

怪物か、それとも・・・

 宇宙は、激しい円運動を繰り返し、たくさんの銀河を作った。果たしてそこには『法則』があるのか、それは、人間の考えた単なる蛇足にすぎないのではないか・・・。しかし、現実は時を待たなかった。愛も生も真実も何もない、ただそれらは一見して一定の秩序の上に限りない形成を繰り返していた。万有引力、慣性、あらゆる法則にのっとり、ついに、ついに、地球は生まれた。それは太陽系だった。火を吹く太陽、猛烈な勢いで回る地球、回る回る、何回まわるというのだ。余りにも無意味のようにも見える、だれかが回しているのだろうか。考える能力が不完全なのか、人間が未熟なのか、どうしても結論が出ない。地球ゴマを回しているとてつもなく大きな巨人がいるのか、想像もつかない。しかし、地球は回った。

始めは、灼熱の色もそっけない地球だったが、余りに体が小さいため、いつまでも熱を発散していられなかった。二酸化炭素は舞い上がり高熱の厚い雲を作った。もし、それを見ることができたら、さぞかし驚くだろう。なぜなら、火の海からはボコボコという音をたてて蒸気があぶれ出て充満しているし、太陽は不気味なほどに青白く輝いているからだ。

 そして、また永い年月が過ぎた。いや時間がたったなどという言葉は我々生きるものが作った単なる蛇足だろう。なぜなら、生きる者だからこそ、時間を感じるのだ。時間を意識できるのだ。時間を知る者は知性あふれる者だけだ。ここにも、生の変則的存在がある。

 いつの日か大地が出来上がった。もちろん炭酸ガスのもと、豪快なスケールで雨が降りいつしか一面の海となった。しかし、熱い海、水蒸気が舞い上がり、気圧また高い、しかし、そのころから、早くも『生の芽生え』が始まった。

大地と海が出来上がったころには、すでに生命が!

はたしてこれは、前もって予期された出来事なのだろうか、それともまったくの偶然なのだろうか。神はそれを知っていたのだろうか。余りに偶然に『生』がうまれたとしたら、人間の存在は実に驚くべき行為をするだろう、宇宙の塵にも満たない原子のかたまりが、宇宙の秩序を乱すからだ。これは驚くべきことだ。しかし悲しいことだ。生の意義があまりにもむなしく儚く感じられる。偶然に生まれてきた自分、もちろんこの宇宙にも、そう多く高等生物はいないだろう。なぜなら偶然はそう多くはないからだ。千億の星の中で生物のいる星は地球だけ。生きるものの微妙な行為をするものは、地球生物だけ。もしそうだとすると、この地球という星はまさに宇宙の奇形児ということになる。

 地球の何が生を生んだのだろうか、磁場かそれとも……わからない……

しかしそうは考えられない。宇宙というものはそんな奇形を生むはずはない。生物は生まるべくして生まれたのだ。決して三次元の法則にそぐわないものではないだろう。宇宙は生の存在を歓迎し、花束を持って迎えるだろう。もしそうなら人間のなぐさめになる。もちろん宇宙の他の星にも、生物はいるだろう。変わった生物もいるかもしれない。一頭二足のヒューマニティなやつとはかぎらない。頭の三つあるやつ、目が八つあるやつ。液体状態の生物、鱗でおおわれた魚のようなやつ。そんな中でも人間のような高等生物、すなわち文明を持つ生物がいるかもしれない。人間の夢は大きい。宇宙に飛び立ち、はからずしも会話を営み楽天的いこいを楽しむ、前途洋々とした未来、限りない夢をたくして人間はまた進む、進む。

 始めのうちの生物は、雄雌のない一種のアメーバだった。単細胞生物だった。しかし、その前にも生物の前提とたるものはあったはずだ。有機物のかたまり、蛋白質のかたまり。しかし始めて生物が生まれた時、一体そこに何があったのだろうか、何が生物を生みだしたのだろうか、次の行動を予測できない生物、奇妙な生物、それは長い年月の間に無生物に徐々に作用した放射線の所為ではなかろうか。磁場の所為なのか、それとももっと複雑な影響を経て生まれたのか?

 生物は生まれたのだ。

生物は『生きる者はかならず死ぬ』というむなしい法則に守られ、また生殖作用により自らの種族を増やした。単細胞はやがて多細胞になり、そして雄雌ができた。男と女、神は何の意図をもってこんな原理にしたのか。わざわざ男と女を作らなくても、細胞分裂でもよいと思うが神は何かの意図をもって両性を作った。

 先カンブリア時代を経て、古生代、中生代そして新生代、いろいろの怪物が出た。両棲類、ハ虫類、そしてホ乳類……ついに人間は生まれた。

 人間は生まれたのだ。

あまりにも不思議な自然界、そこに他のものと全々ちがう、一見してひ弱で、するどい牙があるわけでもなければ、とりわけ大きいわけでもない人間、それがこの世を支配した。弱肉強食の世界の中で一番弱い人間が天下を取った。なぜ取れたのだろう。

 それは「考える能力」を持っていたからだ。脳細胞のちょっとした組合せの違いから限りない創造力が生まれる。人間は与えられた能力をみごとに発揮して自然を制覇した。他の動物は自然に制覇されるのに、人間はうまく能力を使った。 だが人間はむなしかった。彼らは死を意識した、まのあたりに死の無情に直面した。涙がポロポロ落ちて来た。『死を意識し理解したのは人間だけだ』そして自我にめざめ自分と他人の区別をした。

釈迦牟尼は言った

 始めて自我にめざめたのはインドで生まれた釈迦牟尼(しゃかむに)だった。彼は御釈迦様(おしゃかさま)といわれて多くの人に親しまれた。彼は菩提樹の下で真理を悟りそしてこう言った。

『我々は天地宇宙一切の関係にある。すべてのものは孤立しては存在できず、相互に依存しあっているものである。すなわち他のものから切り離れた自分というものはない。

 自分が両親から生まれたように、またその両親が、そのまた両親から生まれたように無数の両親をへて始めて自分というものが生まれて来た。このどの両親をとっても、自分は生まれない。その点でおいてさえ自分は天地宇宙一切の関係を受けている。

 気温・湿度・気圧・そういう一切の影響を受けて始めてここに自分があるのだ』

 東の巨頭オシャカ様はこう言った。しかしこんなことは、よく考えればだれでもわかる。別に論じることもなく現代人は『なるほど』と素直に受け入れられるだろう。

人生の意義

 私はつねづねこのシャカの言葉が気になっていた。そしてこの言葉にもう一つ付け加えたかった。現代病にかかったひよわな青年達にもっと「生きることのすばらしさ」を教えてやりたかった。

 ある日私は御釈迦様の墓の前へ立っておのれの超能力で、釈迦の霊魂を呼びおこし、日頃のわだかまり一挙に排出すべく、その執念を釈迦に向かってなげかけた。

「やい、おまえ、おまえの申したことは、どれを取ってもすばらしいことばかりだ。しかし、現代はおまえの考えを根本にして、それより一歩進んだ、『生の意義』を着実につかんだ、逆説的新理論を打ち出しているんだ!」

 釈迦は急に眠りから叩き起こされたものだから、さすがにビックリしていた。

釈迦の鼻先をチョコッと指で触り、その考えを釈迦に向かって言ってやった。

「私は天地宇宙一切に影響を与えている。私が小石を拾うことによって歴史は変わる。またそれをなげることによっても歴史は変わる。私が死ねば、この大宇宙は一瞬にして微塵の暗黒に化すだろう。

 すなわちこの点で、私は天地宇宙一切に影響を与えている。自分というものはそれほど重大な役割を果たしているのだ。わかるか釈迦、生の持つ意義が」

 釈迦はもちろん、これを聞いて目を丸くして驚いていた。内心ではずいぶん失礼なことを言ってしまったと後悔した。しかしさすがは釈迦、侮辱されたからと言って憤慨するどころか、目をつぶってその言葉の持つ意味を考えていた。

 普通の者なら、『無礼者』と叫んで、『おまえの意見は間違っとる、そんな考えを持つ現代人が心もとない』などと言い出すかもしれない、そこはそれ、東の巨頭、永遠の眠りからさめても決して慌てない。悟りきったように落ち着いているなんて、『にくいねえ』と思った。そして静かな静寂の中で、ただひたすら考えていた。

「わかった」釈迦が静かにつぶやいた。

「汝の意見、はっきりと読めたぞ。まったくすばらしい……。

逆説どころか、私の考えにたのもしい肉付けをなさったも同然、あなたの時代に、このような考えをお持ちになっている方がいるとは、頼もしや、これで私も、また長い眠りにつけます」

 釈迦は始めて笑みを浮かべた。「モナリザの微笑」というのは見たことがあったが、「シャカの微笑」というのは始めてだった。

 釈迦は墓の上に腰掛けてはいたものの、やはり風格のある人物だった。しかも決して人間離れしていない、子供のように素直で好感のもてる老人だった。

「御釈迦様、釈迦牟尼殿、ゴータマ・シッダルタ王子、さきほどの無礼の数々お許しください、私はこのことを、言い伝えたいために遥々海をわたって来たのでございます。しかるに私の理論を理解してもらって、誠にもって、ありがたきしあわせ」

「汝の理論で、すべての人間は勇気づけられ、そして人生についてもう一度考え直すことだろう。生の持つ意識、存在することのすばらしさ。人間の本質………」

 釈迦はまた目をつぶった。

また長い眠りについたのだ。インドの光陽をあびて釈迦は何よりも強く光っていた。

 私はおのれの超能力で作り上げた、現実との幻想ともつかぬ、釈迦のまぼろしと別れをつげた。

『さようなら』

限りない憂愁がこみあげた。

インドの空は青く清く輝いていた。そこには人間の血と汗、限りのない可能性が秘められていた。

 人間の可能性が………

1968年2月(高1・16歳)

神谷光一
黄輝光一

当時のこの考え方は自己中心的な世界観です。今の考え(68歳)は、まったく真逆かもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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