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絶対に、死なないというお話。

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神谷光一
黄輝光一

季刊誌「コールサック」 2018年12月「96号」に掲載したエッセイです。

この年齢になると(67才)、これからは、老いとの戦いだと痛切に思う。

その、一方で、肉体的、健康維持のために、思いつくものを列挙してみると、上質な睡眠、ウオーキング、ストレッチ、ヨガ、各種スポーツ、食事療法、各種サプリ等、色々な手段があると思います。

ある雑誌の健康コラムで、たとえば、『自動車』の場合、どんなに大切に乗っていても、毎日ピカピカに磨き上げても、20年経つと、かなり劣化する。

もちろん更に、か弱い人間の肉体なら、時間と共に、どんなにもがいても、どんなに節制して、肉体改造をしても、一見は一年前と見た目が変わらずに見えたとしても、1日過ぎれば、1カ月経てば、1年経てば必ず劣化していく。すなわち、これを『経年劣化』と言いますと。

なるほどと思ったものです。

その一方では、さらに、重大なことがあります。『老化』はすでに人間の遺伝子に組み込まれており、なんと、その老化は16才から始まるというお話。一説には、3歳という本もありました。

いずれにせよ、生まれた瞬間から、残念ながら、死へのスタートを切っている。しかも、どんなに科学が進化しても、この肉体的な死は、絶対的に免れない。老化=死が生まれた瞬間からDNAにインプットされているということです。

しかし、にもかかわらず、不死は、人間(人類)の最大の目標です。

少しでも長生きたい。最先端の医科学的進歩によって、最大の夢である、『永遠の命』に近づきたいと、もがき苦しんでいるわけであります。思いつくままに言えば、『いい薬・特効薬』『最先端の高度なる手術』、最近は『ロボット手術』というのもあります。さらには、心臓移植、これは、倫理的問題、臓器提供者(ドナー)の『死の認定』の問題等、難しい面があります。そして、更に、登場するのは、最近よく耳にする再生医療(失われた細胞・組織・器官を再生し、機能を回復させる医療。皮膚移植・骨髄移植・臓器移植、そして、究極的には、ES細胞・IPS細胞)です。

人間の遺伝子を組み換え、DNA操作によるバイオ人間の研究、実験もすでに行われております。まさに根源的な延命策として。

要は、なんとか『死なない人間』を作ることができないものかと。

従来の説では、どんなに医学的にもがいてみても、125歳限界説(自然生存の限界)というのもありました。

長生きの世界記録は、フランス人女性、ジャンヌ・カルマンさんの、122歳です(1997年没)。

ちなみに、日本では、100歳以上が、なんと8万人を超えた【ただし、88%が女性です。(最新データ、2020年9月】

しかし、このDNA操作は、根源的な問題がからんでいます。

すなはち、『神』の登場です。宗教的、道徳的、倫理的問題です。

日本人は、『遺伝子組み換えトウモロコシ』と聞いただけで、直観的に、本能的に食べてはいけないものと思っている人が多くいます。長く食べ続ければきっと大変なことになると。

神さまの領分を犯す人間は、必ず、天罰が下るのではないか?

ただし、どこまでが、『神の領分』なのかという別の意味での大問題もあります。

将来、「遺伝子の組み換えによって、自分の思い通りにデザインした子供を作れる時代がやってくる」と言われております。病気に強い子供、視力が10.0の子供、強靭な肉体を持つ子供等・・・。現実問題として、遺伝子組み換え人間(バイオ人間)は、獲得した能力が次世代に遺伝していかない、という問題があります。その場限り、その能力が、次世代、さらにその次の世代へとつながっていかない。いわく、神様が自動的にストップを懸けるはずだと。創造主たる神が、生と死の前に、敢然と立ちはだかるはずだと。人間は、神ではありません。神の領域に決して踏み込んではいけないと。宗教的、倫理的問題の、はるか上の、根源的なる『神の摂理』の問題だと。

いずれにせよ、この『死』の問題、『永遠の命』の問題は、あの始皇帝のはるか以前からの、人間の切なる最大の悲願であります。

ただし、人間が『生きる』という面では、その生活の質(クオリティー)が問われます。ただ、生きていればいいんだ、ということにはなりません。痛みを伴う度重なる手術、人間スパゲティー。これで果たして生きているといえるのでしょうか、『人間としての尊厳』の問題もあります。ぴんころ願望も、ここからきているかもしれません。

ところがです、ここで重大なるお話があります。いままでのお話を全てひるがえすお話です。

すべての哲学者、宗教家、倫理学者、科学者、物理学者、天文学者、その他すべてが、はっきりいって、いまだに結論が出ていない、超、大問題。

しかし、ほとんどの人が、結局のとこと『分からない』ということで棚上げしている問題。

お釈迦様も、この問題は、分からないと回答しております。

すなわち、『あの世はありますか?』、『魂は実在しますか?』です。

もし、魂が実在するなら、それは『永遠の魂』を意味し、『永遠の命』を意味します。東大教授、救急部・集中治療部部長、矢作直樹医師の『人は死なない』というお話(本)が現実味を帯びてくる。さらには、魂を確信したスピリチュアリストも多くなっております。

ということは、現世で、医学的な永遠の生命を追求する必要(意味)がないという結論も出てきます。いたずらな延命は全く意味がないと。

ただし、その場合、あの世が具体的にどのような世界なのかも重大です。エンマ大王のいる地獄の世界、仏教の六道、無間地獄の世界。これでは、困ります。絶対に行きたくありません。・・・

不思議なことに、仏教では、特に葬式仏教では、あたかも、魂があるかのように、執り行われております。初七日、49日、その最たるものが、『お盆』です。あの世から魂が舞い戻ってくるというお話です。『死んだらおしまいだよ!』と威勢のいい啖呵を切っている方々も、この場面になると一時的に沈黙します。にわか信者になり、一時的な敬虔な仏教徒になります。

結局のところ、仏教は『修正仏教』となっているのが現実です。お釈迦の結論(無回答)では、先に進めないと。

魂の実在を認めないと、つじつまが合わない、言っていることとやっていることが合わないと。このままでは、『魂はありません』と言って高額なお布施を取る集団詐欺罪に問われかねません。

しかし、もう一方では、最大なる難問があります。

『あの世』や、『魂』は、科学的には立証されていないということです。(科学的とは、その方法が同じなら、いつ・どこで・だれであっても、同じ答えや結果に辿り着くこと。これを「再現性」といいます。二つ目は、原因と結果の関係がきちんとあるということです。因果関係です。また、客観性、論理性、普遍性も、重要なる観点です)

(たとえば、神の存在を、科学的に証明せよという問題に関して言えば、神を捕まえて、とらえて、実験による再現性を求めても、不可能。よって、神とは人間が作り出した妄想であり、非科学であり、実在しない、ありえない。と考えてる方々も大勢います)

私は、子供のころから、死への恐怖で慄(おのの)いておりました。「死」を与える神様なんか、いらない!と心の中で泣き叫んでいました。死があるなら「生きる意味」がないではないかと。3歳で病気で亡くなった子ども。10歳で交通事故で亡くなる子。「なぜ」「なぜ」と。不治の病「死恐怖症」になってしまいました。

人は死なない。魂は不滅であるとの確信(55歳ごろ)にいたるまで、こころが晴れ渡ることはありませんでした。

13歳(中一)のころ、せめて自分のDNAを残し、再生できるように死んだら絶対に火葬にしないで、厚い鉛の中に自らを閉じ込めて、いずれ訪れるだろう「超科学文明」が来て再生されるのを待とうと真剣に考えていました。つまり「絶対、死にたくない」です。

そんな中、私のたましいを震撼される二人の人物を見つけました。

一人は、古代エジプトの第18王朝ファラオ、「ツタンカーメン」(紀元前1350年ごろ、死亡推定年齢19歳。若死にですね。身長165㎝)です。

死んだ彼がミイラになった理由は何ですか?

「死んだ人は、肉体と魂に分かれ、魂は最後の審判を受けます。そして、それが終わったら魂は再び肉体に戻ってくる。しかし、その時に肉体が残っていなければ、魂は戻れません、再生はできません」つまり、ツタンカーメンは、死にたくないのです、消滅したくないのです。「再生への、驚くべき執念」が、「ミイラ」なのです。

そして、もう一人、それが中国史上初めて、天下統一を成し遂げた、奏の「始皇帝」(紀元前259年~前210年、49歳で急死)です。強大なる権力とあらゆる金銀財宝を手に入れて、あの、「万里の長城」に着手、やりたい放題の栄華を誇りました。そして、1974年(ある意味ごく最近ですね)巨大なる地下壕に、始皇帝の「兵馬俑(へいばよう)」が発見されました。その兵馬俑の数、なんと6000体、身長が180㎝、体重が200キロ、すべて粘土で出来ております。その圧巻の全容は、世界の大ニュースとなりました。それにしても、これはいったい何なんだと。何のために造られたのだと。

何でも、叶えたはずの始皇帝が、最も恐れたもの、それが「死」です。なんと彼は、永遠の生命を求めて、家来に命令しました。「不老不死の仙薬を探して来い」と。

『あの世を信じるか』の問いに(2013年、統計推理研究所《日本人の国民性》)アンケートでは、40%が信じると、33%が信じないと、残りが「どちらとも決めかねる」と答えております。

私自身は、この問題は科学的に立証されていないと考えております。が、しかし、『ある』と思っております。(もちろん、神もいます)。

【「科学的に証明されている」という言葉がありますが、私は、安易に使ってはいけない言葉だと思っております】

さて、ここで、このタイトルの『最後のお話』です。

今、ここ数年、大きなニュースとして話題になっている、「量子力学により、未知なる世界の発見」です。つまり、あの世、「魂の実在」「死後世界の実在」を科学的に立証しようという試みです。

量子力学で、解明できるならば、本当にすごい世紀の大発見です。

可能ならば、一刻も早く、知りたいですね。

そして、あの世で、お釈迦様にお会いしたいですね。

                         【2021年6月一部加筆する】

ツタンカーメン
ツタンカーメン像
20世紀の世紀の大発見 秦の始皇帝の「兵馬俑(へいばよう)」
すべてが巨大 身長180cmの巨大像(表情はひとつひとつ違う)

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