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ダイヤモンドゆう子(未完。踊り子 最終章)

DSC02254 小説
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神谷光一
黄輝光一

ダイヤモンドゆう子と神林君の空白の10年間を書いたものです。二人の間になにがあったのでしょうか。

『告白~よみがえれ魂~』の第一話「永遠の踊り子」と第二話「娘へ」の間の激動の十年間を書いたものです。(妄想中、執筆中)

告白 

お手紙を見て、涙が止まりませんでした。軽率な行動で、最も大切な人を失ってしまいました。高鳴る感情を抑えることができませんでした。運命とはいったい何なんでしょうか、4枚の便せんに彼の思いがいっぱい詰まっていました。彼の純粋な心を壊してしまいました。

遠くへ飛び立った鳥はもう戻ってきてはくれません。散った桜の花は元には戻りません。失った心は元には戻りません。

私はすべてを失いました。最も大切な人、大切なファン、大切な思い出。

戻るべき道は後ろにはありません、進むべき道もありません。

いままで、いいことはひとつもありませんでした。

愛された記憶もありません・・・・・

・・・・・

高校2年生(16才)の時、埼玉の母の姉の所を出た後、あてもなく歩いていました。もう、一週間たったでしょうか、疲れ果てました、お金も後わずかです。早朝、水まきをしていた老婆に声をかけられました。それが、新たなる運命の始まりでした。

「早く、帰りなさい!」

「帰れません!」

「家がないの?両親はいないの?」

「帰る家はありません。両親はいません。たった一人です、ひとりぼっちです」

老婆は同情してくれました。なぜか、それ以上何も言いませんでした。

その日から、私は、老婆のマンションの6畳の一部屋をもらい、一緒に住むようになりました。

翌日から、老婆のお店で掃除や食事の手伝いをやらされました。そこは、西川口の『ハリウッド』というキャバレーでした。16才の私の全く知らない世界でした、30人ぐらいのたくさんの若い女性が毎日働いていました。20才から、25才ぐらい、でもなぜかみんな、はるかに大人びて輝いて見えました。衣装を変えて化粧をすると別人の様にきれいになっていきました。トイレ掃除から買い出し、やぶれた衣装のつくろいまでやらされました、いや違います、率先して自分から何でもやりました。理由は老婆に好かれたいからです。

老婆は言いました。あなたは、過去はすべて忘れなさい、私の大切な孫ですと、みんなに紹介してくれました。

みんながいる前で、大きな声でどなりました。「いじめたら、承知しないよ!」と。そのおかげでみんなにかわいがってもらいました。知らない人は、老婆の身の回りのことをする住み込みの家政婦と思った人もいましたが、とんでもありません。

88才でしたが、超、元気でした。頭脳明晰、自分のことは自分でやるし、支配人と、経理担当はいましたが、すべて陣頭指揮を取り、まさに君臨していました。大社長です、業界では「ハリウッドの妖怪ババア」と言われていました。

                       ◇◇◇◇◇

1年半経った時、私は、18才になりました。

老婆に言いました、あの衣装を着てみたいと、「無理よ、あなたは、中学生にしか見えない」、私の身長は、145cm、小顔、童顔、すべてがコンプレクスです。もっと、大きくなりたい、大人になりたい、きれいになりたい。そして、お店にホステスとして出たいと。

1が月後のある日、かってに衣裳部屋に入りました。赤・白・黄色、スパンコール、輝くラメの衣装を着てみました。まるで、シンデレラ、もう一人の自分がいました。色々と着替えていたら、ふたりの女(ホステス)に見つかってしまいました。そして隣の化粧部屋に連れて行かれました。

二人はキャッキャッと騒ぎながら笑いながら、私の顔を塗りたくりました。アイシャドウがはいりました、マスカラがはいりました、そして、金髪のカツラがつけられました。だんだんすごい顔になっていきました。そして、彼女が言いました、「すごい、すごいよ、すごくキレイ」、鏡の前に立ちました、そこにはまったくの別人がいました。本物のシンデレラです。キラキラと眩(まぶ)しく輝いていました。彼女が言いました、まるでダイヤモンドのようだと、もう一人が叫びました『ダイヤモンドゆう子、完成!』

そのまま、老婆の所に連れて行かれました、老婆は、まじまじと私の顔を見ていました、

「ビックリしたわ、明日からお店に出れるわね」

翌日から、ヘルパー(ホステスの補助)として出ることになりました。人生の色が一変しました。三日目にはなんと指名が入りまいた。人気者になりました。自分でもびっくりです、私に向いているかも。

ホステスになって、それなりの高収入を得てからは、老婆に家賃として5万円を渡しました。

お金の管理は、すべて老婆です、その方が無駄遣いせずにすむからです。ほかのホステスは大切なお金を、湯水の様の使っていました。

2年後には私への指名の数は、他の女がうらやむむほどになりました。

お金もたまりました。

あこがれの20才になりました。もう大人です。堂々とお酒が飲めます。年齢をごまかす必要もありません。もう未成年で警察に逮捕されません。

でも、20才になって、大喜びも一瞬でした。

いいことは永くは続きませんでした。

誰からともなく、

私が実は「家出娘」だと、

老婆の「孫」というのはウソっぱちだと・・・・・

その噂は、またたくまに広がりました。

私は、問い詰められても否定出来ませんでした。

なぜなら、それが真実だからです。

それからいじめがはじまりました。最初の内は、大切な口紅が見当たらない。大切にしていたアクセサリーが見当たらない。ホステスにとっての命の衣装が見当たらない。ひどすぎます。まるで、全員が犯人のように見えました。もう耐えられなりなりました。

老婆に訴えました。

「もう、耐えられません。やめます!」と。

老婆は、言いました。

「しばらく、休んだらと」

それから、私は不良になりました。いままでが、まじめすぎたのかもしれません。お客さんのお話は、すべて、別世界のことのように見えました。私も、いつか別の世界にいきたい。もっと、もっと、色々経験したい。つまり、いっぱい遊びたかったということです。もう、21才、もたもたしていたら、老婆になってしまう。きっと、すばらしい『白馬に乗った騎士』が現れるでしょう。でも、その前に、やりたいことがある、まずそれををやるんだ、と思いました。瞬間に、思い立ったのが、東京の『新宿』です。遊びの聖地です、ダンスの聖地です。そこで、いまはやりのゴーゴーダンスを時を忘れて思いっ切り踊りたかったのです。父とよくダンスをしたことを思い出しました。封印していた、踊りたくても踊れなかったダンスを、いまこそ、たくさんの羽根の生えた鳥のように、大空いっぱい、狂ったように踊りたかった。

老婆にいいました。お金を返してくださいと。

16才から、ずっと、老婆の所にいました。いわば、第三の育ての親です。でも、その時は、うとましく思っていました、一刻も、ここから逃げ出したい、一転して老婆に反抗しました。あんなに、やさしくしてもらっていたのに、あんなに面倒を見てもらったのに、今思うと、恩をあだで返すとはこのことでしょう。

「私の、通帳と印鑑を出せ!」と大声で叫びました。

私は、16才から、今日まで、老婆と共に生活していました。現実には、孫というより老婆の実の子供のように接してくれていました。すべて、すべて、一文無しの『みなしごハッチ』、高校中退の私を、老婆が面倒をを見てくれました。生活費のすべてを出してくれていたということです。盲腸で入院した時も、高熱を出した時も、自ら付き添って看病をしてくれました。確かに、こまごましたお世話や、お店の掃除や衣装の整理など、それがどれほどの対価かはわかりませんが、一生懸命やりました。今思うと、それは当たり前のことです。文句を言うレベルではありません。感謝すべきことの方がはるかに大きかったということです。恩を忘れて、仇(あだ)に、刃を付けて叫びました。

通帳の残高を見ました。

丸がいっぱいありました。

でも、馬鹿な私は、叫びました、

「これだけか!!」と、飛び出した私は、まじまじと、通帳をみました。

それは、50万ではありませんでした。500万でした。みたこともない金額です。

ああ、暴言を恥じました。もう、手遅れです、後戻りはできません。

ホール係の樺山が、新宿はすごいよ、ダンスのメッカだよと、私の唯一のお友達の明美も、新大久保に住んでいて、ハリウッドのNO1ホステス、私の良き理解者であり、ダンス好き。よかったらいっしょに住まないといわれました。荷物だけ置かせてもらって、この日から、住所不定の狂ったダンサーになりました。

500万円を握りしめて。最初に行ったのは、東亜会館の「カンタベリーハウス」でした。ビックリするほど豪華でした。・・・・・

(つづく)

神谷光一
黄輝光一

ダイヤモンドゆう子(本名小林映子)に、一体この先どんな運命が待ち受けているのでしょうか。またお届けします。

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