

私の頭がおかしくなったわけではありません(笑)
病気とはなにか、難病とはなにか、死とはなにか
人類は、そのことを全く知りません。
【シルバーバーチの霊訓より】
「魂の偉大さは、苦難を乗り切る時にこそ、発揮されます。失意も、落胆も魂のこやしです。魂が、その秘められた力を発揮するには、いかなるこやしを摂取すればよいかを、知る必要があります。それが、地上人生の目的なのです。失意のどん底にある時は、もうすべてが終わったかの感じを抱くものですが、実は、そこから始まるのです。あなた方には、まだまだ発揮されてない力-それまで発揮されたものより遥かに、大きな力が宿されているのです。それは、楽な人生の中では、決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ、発揮されるのです。
金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。他にあるという人がもしいるとしても、私は知りません。」
この一連の言葉は、人生の核心にふれる、驚くべき「真理」だと思いました。その
「霊的知識」は、「人は死なない」「魂は不滅である」ということ。「人間は神の霊性をもった神の子である」と、よって「死んだらお終い」ではありませんと。
【最終章 シルバー・バーチの言葉】
死は霊界への新たなる誕生
―悲劇ではなく祝福すべき出来事
「地上世界の美しさも、霊の世界の美しさと比べるならば、色あせて見えます。霊の世界には、地上の誰ひとり見たことのない花があり、色彩があります。地上にはない風景や森があり、小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならない程美しいのです。皆さんも、その美しさを味わう日がきます」
「私たちが地上の人々にもたらすことができる『最高の霊的知識』は、人生が『死』をもって終了するのではないこと、従って、苦し人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、みなもう一度やり直すことが出来るということ、言い換えれば、悔し涙をぬぐうチャンスが必ず与えれれるということです。人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で、人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられて、同時に又、愚かにも摂理を無視し他人への迷惑も考えずに横柄に生きた人間には、その悪業のつぐないをするチャンスが与えられます」
「死ぬということは、決して悲劇ではありません。むしろ地上で生きている方が悲劇です。天上的、色彩を眺め、天上の音楽を聴けるようになることが、悲劇でしょうか。霊の世界の本当の美しさを満喫できるようになることを、あなたは悲劇と呼ぶのでしょうか。
赤ちゃんが地上に誕生した時、私たちの世界では泣いているものがいるのです。反対に、死んでこちらの世界に戻って来るのを、大喜びして出迎えているものがいるのです。死は罰ではなく、報酬です。大自然の生命活動の一環とみるべきです。死は、永遠の別れではありません。死は、魂が自由を獲得するための素晴らしい出来事なのです。言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始め、あなたはうれし涙を流します。新しい自由、新しい喜び、そして地上では発揮できずに終わった、内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、よろこんでいます」
鳥かごから放たれた鳥のように
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