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我が父「篠原勇雄」の「怒りの評論」「バブルはじけて」

エッセイ
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平成11年1月16日記  著者 篠原勇雄(大正10年3月30日生まれ77歳)

※1986年(昭和61年)1月7日バブルに突入

※1990年(平成2年)バブルはじける

今後、回復には25年はかかると思はれる。

私は忘れもしない。

1986年(昭和61年1月7日)  

(注)2024年現在から見て38年前。

経済戦争に突入したのです。今でも、はっきりと覚えています。

今世紀に、二度の大戦を経て、今度は経済という戦争に突入したのです。

まさに奇襲攻撃だ。

冒頭に、日付を記したが、実際前年9月頃からその兆候が現れているのです。

「不動産に手を出すな!!」

いきなり上のタイトルを書いたが、ようするに①良い不動産 と②悪い不動産だ!

②の「悪い不動産」とは、

Ⓐ 投機的なゴルフ場の開発

Ⓑ レジャーランドの建設

Ⓒ 北海道の山野の開発や「別荘地」

特に、別荘地を買う人たちは、自分がそこに住むという考えはなく、値上がりを待って転売しようという人たちばかりなのです。

そこで、その結果どうなるかというと、土地は荒れ果て藪が生え、何万、何十万(坪単価)も出して購入した土地が、元の坪単価千円位の値に逆戻りしているのである。

過去に、アメリカでもそういう時代もあったと聞いている。

そこで、この様な資金は、常識をはるかに超えた「お金」が、銀行からの過剰融資が、湯水のように流れたのです。

この様なことが、長く続くはずはなく。

この事に、企業経営者・金を貸す銀行トップの人達がまったく気付いていないのです。

これでは、国を破滅に導くのは目に見えています。

当時、この現状を目の当たりにして、早速、国の省庁、東京都などの電話で、意見や質問をしました。今思うと、よくも勇気を出して意見を述べたものだと、当時のことを思い出します。

さて、私は、これからお話することは「極めて重大な事柄」ですので、できれば録音にとっておいてください。

そこまで言う程、自分の考えに確信を持っていたからです。

日本をリードする「政財界の人達」へ。

政治家はもちろんだが、経済の専門家、経済評論家、また経済関係の研究所。これらは、大変失礼な話かもしれませんが、バブル時の状況をどう見ていたのでしょうか。

この経済の「動き」をキャッチできなかったこと、未来が見えなかったことは、本当に悲劇、残念なことです。

〇〇大学卒という優秀な人材が、綺羅星のごとくいるというのに、日本の発展をリードすべき人達に、重要な「何か」が欠落しているような気がしてなりません。

それは、「人間の感性」「人間のこころ」というものがないのです。

こういうことは、大学教育では教えてもらえません。

我々国民は、心なき人達に、国を任せているということは、不幸なことです。

ここで、話をもどしますが、先の電話の「やりとり」の一例を記しましょう。

東京都庁の関係者に、「地上げ」について質問したところ、「それは、都心の極一部ですよ」という回答が返ってきました。

しかし、その時はすでに山手線の外回りの区部に、「地上げ」が始まっていたのです。

大手銀行の「不動産融資」に関しての質問の回答は、こうです「不動産融資の割合は、全預金量の極一部にすぎません。まったく心配はいりません」と。

また、こうも言いました。

「あなたは、世界的な大恐慌1929年(昭和4年)の「再来」を心配なさっているようですが、当時と現代とは基礎的諸条件が全く違う。だから、当時の再現はないと思います」と。

私の考えとは、まったく違っておりました。

私は、政治・経済面の話を、テレビで見ていると、いつも、どなっています。

消費税についても、先行きは、10%、更には15%に上げざるを得ないと言っている。

その前に、国会議員の定数を半数に削減するとか、さまざまな、国の出先機関の浪費に対して思い切った削減が必要です。やるべきことがいっぱいあります。

「景気の回復は、いつか!」

ここ何年も、同じことを言っております。「春になれば、秋になれば、そして秋になると、春になれば回復するでしょう」と。

またまた、反論して申し上げます。

「バブルがはじけた頃、私は、景気が元に戻るには、20年から25年かかると思った」

これも、一生懸命回復に取り組んでの話です。

現にこの不況は10年を迎えようとしているではありませんか。(筆者の執筆時点で、10年が経過していた)

経済企画庁の発表ですが、「経済状況報告書」に、私は非常に疑問に思っている。なぜかと言うと、「資料の元になるデータ」が、銀行や企業の発表が、悪いことは表に出さず(隠ぺい)、改ざんされて、「良好である」と発表されているからです。

今になって、破産、倒産して、初めてその真実の、恐るべき実態が判明したからです。

日本経済を、「富士山」を物差しにして、景気の良い時は八合目あたり、不況の時は二合目あたりと言うのが、過去のお話。

今回のバブルは、海抜という物差しに置き換えて計ると、世界一のエベレストの山頂近くまで経済が過熱してバブルを迎えて、そして、そのバブルがはじけた今は、マリアナ海溝の奥深くに下落したのである。この経済を海面まで持ち上げるには、大変だ。

早く、地上に出て息を吹き返さなければならない緊急事態に立ち入っているのです。

「一将功成りて万骨枯る」

(トップが成功をおさめるためには、その下で数多くの人達の努力や犠牲があることだということを、絶対に忘れてはならない!)

銀行の頭取の退職金が、5億だ、9億円だといわれ支払われたというのに、平社員は1千万円以下。

そして、「合併」だ、「リストラ」だという名のもとに、いまのうちに希望退職の応じてくれれば、退職金も出すこともできるが、ここにいつまでいても退職金は保証できないと、脅され、羊のようにおとなしく、不平も言わず勤務先を追われるように去っていくのである。

しかも、次の職のあてもなく、40代の若い者までも、朝は6時ごろ家を出て、夜は10時から11時まで働き続け、今までの苦労はいったいなんだったのだろうか。

小学生とか中学生の子供を抱えて、この先どうして生きていくのか、悩んでいるのです。

(悩んでいる男、去っていく男とは、ズバリ、バカ息子の私「篠原敏雄」です。

当時私は35歳、一応、「金融のプロ」のつもりVSサラリーマンであり、なおかつ「不動産業」も営む偉大なる父、この評論の著者「篠原勇雄」です。

当時、私は、当時の勤務先の支店長のアドバイスを受け、借金までしてゴルフ会員権を4か所買い占めました、それを知った父は激怒!

「世に中が浮かれている今、青天井の時に買う馬鹿がいるか」「支店長は、経済を知らない。もうすぐ、株価はドカンと下がる、おまえは騙されている!」

と言われたが、私は、聞く耳を持たなかった。そして、その後、大変なことになりました。

まもなく、バブルは崩壊し、銀行が貸し付けた大金はこげつき、金融崩壊の連鎖が起こりました。

貸したお金が戻ってこないのです。大不況の到来です。そして、信じられないことに勤めていた金融機関(中央信用金庫)が経営難におちいり(実質倒産)4社合併となりました。

「居るも地獄、辞めるも地獄」

私は何とか出た退職金をもらって、やむなく去っていくことになりました

当時の年収の700万円は、ゼロに。愛する妻と、育ち盛りのまだまだお金のかかる子供二人の女の子(小学3年生と中学1年生)。

ああ、これからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

父は、私の行動、その流れのすべてを冷徹に見ております。たぐいまれな先見の明を持った鉄人です。頑固一徹、人の言うことは聞きません。信念の人です。右手に有名な「本多清六」〔1866~1952年〕の本を持ち、私が、小さい子供の頃(昭和30年代)は、いつも「食べたつもりで」「食べたつもりで」と言っていた超、倹約家です。第二次世界大戦では軍隊で満州に行き、シベリアに3年間抑留され、「乾パンとスープ」で生き延びた父。自分が言うのもなんですが、もう半端じゃないですね。もう一つすごいのは、帰国後も、人一倍健康管理にうるさく、病気して入院したことは一度もなし、歯は虫歯なし。82歳で死ぬまで自分の歯でした。ストイックな「鉄人28号」でした。

2024年ついに20年ぶりに、禁断の扉を開けました。川崎市の実家の、父の「書斎の整理・遺品整理」をしました。膨大なる資料の数々、100に及ぶ貴重なスクラップ集。日記。絵画本3000冊・絵画500点(父は画家でもあります)・郷土の土人形300点・おもちゃ1000点等。「いったいこれをどうやって処理したらいいんだ!」と大空を見上げてため息をつきました。

はっきり言って、私にとっても「捨てられないもの」ばかりなのです!

「父は、本当にすごい人だなあ!」が、私の今の正直な心境です。

さて、父の評論の続きです。

〔NTT株の第一次放出〕

1986年11月に、119万7千円の価格で売りに出された。

それが、バブルのはじめの頃の年にあたります。

その時、感じたことは政府も罪なことをするものだとおもった。

御存じの通り、後日それを買った人たちが裁判沙汰を起こしたのです。株が暴落したからです。それを買った人たちの顔ぶれを見ると、一般人もいますが、経済評論家、その方面の評論家、知識人等々。今日のことを予想していなかったのである。

私自薦も、薦められたこともあったが、買う気にはなれなかった。どうなることぐらい知っているからです。

〔※2024年6月13日現在。38年後の「NTTの株価」は、146万円です〕⇒父は、株は一節、やりませんでした。

〔国内難民〕

新聞を見ると難民を助けましょうという記事が出ていました。

日本の中にも、日本人の「国内難民」がいるのです。

窓際族というのは過去の話。職場を追われ、借金取りに追われ、身を隠しているのです。

山一証券のことです!!

〔山一証券は、1997年11月24日まさに突然倒産いたしました。当時の野澤正平社長の会見での言葉「私らが悪いんであって、社員は悪くありません」と立ち上がり号泣しました〕

各紙を見る毎日のように大きく報道され、世間の注目を集め同情もされ、再就職も一部の方を除けば、ほぼ職を見つけたようですが、

しかし、中小企業に勤める人たちは、倒産したら今後のことは何一つ心配されない、自分で切り開く他ないのです。

ああ、これだけ忠誠を誓って一生懸命に働いてきたというのに!!

〔長銀のこと〕

三年前のことだったか、長銀に行った帰り道、ふと、どうして利子が6%もつくのだろうか、と不思議に思ったことがありました。〔なんと、現在はゼロ金利です

1986年から今日、平成11年(1999年)までの13年間の出来事を、そして私の考えたことを記しました。

平成11年1月16日記

〔父は記録魔です。世界の出来事及ぶ日本の色々な出来事の新聞の切り抜き、また週刊誌の問題記事を切り抜きして「スクラップ帳」に丁寧に貼り付け、さらに空きスペースに「自身の寸評」を記入しています。それは100冊ほどに及び「時の流れ、時代の流れ、歴史上の真実を語る貴重な財産です」〔各ジャンルごとに区分けされており、例えば①政治経済②不動産等・・・〕

その量、内容に驚嘆しました。絶対に捨てられません!〕

そして、バカ息子篠原敏雄(黄輝光一)は、断言します。東京を中心にした首都圏は、土地バブル、マンションバブルに今、突入しております!!

【我が父の画像】

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