黄輝光一
現在、私は、毎週火曜日、ZOOMでの「笑いヨガ」で、10人ぐらいのメンバーと共に「大笑い」しております。笑いヨガとは、宗教団体ではございません。「笑いの健康体操」です。理由なき笑いです。今や世界中に広まっております。ほとんどが、ボランティア的です。私は、以前「はたヨガ」で7年間お世話になっていましたが、2016年、三度目の脳梗塞で倒れて、その後、脳の健康体操のつもりで、体への負担が軽い「笑いヨガ」の門をたたき、ヨガリーダーの資格を取って、現在、みんなといっしょになって毎週火曜日に大笑いしております。それは「笑うことの少ない人生」で、私にとって大きなリハビリであり、しあわせな時間であります。
「宮沢賢治で、笑っています!」それは、いったいどういうことでしょうか。
まず、私がみなさんの前で、「雨にも負けずの詩」を朗読します。雨にも負けずからスタートして、7行目までの「静かに笑っている」まで。
この「静かに笑っている」を2度唱和して、全員で静かに笑う。口角をあげ、まるで、こころの内面から「喜び」がわきあがるように。ただ静かに笑う。
そして、最後には大きな声で「ワッハハ」と高らかに大笑いをする。
ロジャー・パルバース著作の「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」の解説文のなかに、突然「笑い」というテーマで、鎌田東二氏との会話があります。
パルバース「(賢治は)いつかみんな、銀河のかなたで再会して、一緒に笑いましょう、というのではないですかね。賢治のイメージって、暗いじゃないですか、残念ながら。確かにそういう面もあるかと思いますが、でも本質的な部分は、とても明るいのだと思います。だから「笑う」という言葉が出てくるのではないか、と思うんです。
鎌田東二「宮沢賢治には、とてもユーモラスなところがありますね」
一般的な、当時の人たちの賢治のイメージを一言でいえば『変人』かもしれません。
しかも、『頑固な』と言う形容詞がつく。一方、賢治の弟清六さんのお孫さんの宮沢和樹さんは、父から聞いたイメージは「おもしろい人」です。
まさに、賢治の多面性がうかがい知れます。
賢治は、超、ポジティブな方です。行動派です。もうじっとしてはいられません。いつも「いっしょうけんめい」です。賢治は、ウオーキング・マンです。歩く人です。岩手県の花巻から、東京の上野へ、何度、行ったことでしょう(9回往復)。何度、岩手山(2038m)に登ったことでしょう、北海道に2度、南樺太(南は、当時は、日本の領土)にも行きました。賢治を、突き動かす「何か」があるからです。新幹線も、飛行機も、何にもない時代に。
☆ ☆ ☆
賢治と「3Cの法則」
世の中、生きているか、死んでいるんだか、分からない人が多すぎます。
と感じることがあります。
「3Cの法則」です。
すなわち、「生きているとは何ですか」です。
「好奇心」「創造力」「挑戦(行動力)」です。
キュリオシティー・クリエイティビティ・チャレンジ。
この英語の頭文字をとったのが、3Cです。
賢治は、たぐいまれな「好奇心」と「探求心」そして「創造力」。それを何としても見極め実現しようとする「チャレンジ精神」をもった人です。決して、自室に閉じこもって妄想しているだけの人ではありません。
3Cの容量が、ゼロの人を、「死んでる人」といいます。
残念ながら、私も、年々その容量が少なくなっていくのを感じています。
しかし、その3つの容量が、あふれんばかりの人がいます。
それが、宮沢賢治です。
そして、まったく同じ臭(にお)いの人が、もうひとりいます。この人の容量も、ケタ違いです。
二人のM・Kといわれております。
南方熊楠(みなかた・くまぐす)です。
人生は、長生きするのが、目的ではありません。何をするかです。一日、一日をどう生きるかです。人生で何をしたかです。賢治は、37年の短い人生でしたが、その中身は豊穣です。燃焼し尽くしたと思います。
そして、いまも賢治は生きています。メッセ―ジを送り続けております。
そのメッセージとは何か、
「世のため、人のために尽くせよ」と。
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【参考】
南方熊楠(みなかた・くまぐす 1867年〔慶応3年〕~1941年 74歳没)
日本の博物学者・生物学者・民族学者、人類学、生態学その他多分野に及んでいる。
日本最初のエコロジスト。
19歳から約14年間、アメリカやイギリスなどへ海外遊学する。
奇人の天才。人並外れた行動や言動が有名で、生きている時からすでに伝説的な人物だった。
卓越した知識と、独創的な思考、そして行動力。
「歩く百科事典」とも言われました。
自然科学雑誌「ネイチャー」への掲載の論文数は51本。歴代最高記録。
18か国語を操るマルチリンガル。(ただし、読み書き話せるのは英語のみ)
生涯無職?(実家が資産家。金物商・雑貨屋の次男として生まれる。その後、弟常楠からの莫大な援助)
1929年には、昭和天皇に進講し、粘菌標本110種類を進献している。
後世に数々の逸話を残している。
5万5千字の、世界最長の履歴書が残されている。(長さ7m70㎝)和歌山県にある【南方熊楠記念館】に所蔵。
柳田國男から「日本人の可能性の極限」と称され、現代では「知の巨人」ともいわれております。
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