
コールサック103号に掲載。
私は、戦争体験はありません。昭和26年生まれの69歳です。ですから生まれた時には戦争は終わっていました。しかし両親は文字通り戦争を体験しました。もし父が生きていれば99歳。(大正10年生まれ)戦時中には20歳で、中国満州で一兵卒として参戦して、敗戦とともにソ連シベリアに抑留され、4年間の筆舌に尽くしがたい過酷な状況のなか、なんとか生き延びまさに奇跡の連続で本土に戻ってきました。不思議なことに同時期に母は、満州、牡丹江にいて命からがら帰ってきました。そして二人は運命的出会いによって(ある意味必然によって)私は誕生しました。
私の生まれた最大の理由は、戦争に自分が絶対に参加しない事、自分が銃を持たない事。戦争の殺人者にはならないことです。大きく言えば、人類のあってはならない戦争で自分自身が自分ではなくなる、極めて非人間的な悪魔の殺人ロボットにならないことです。しかし私にはその一番大切な、語るべき「戦争体験」がありません。人生は、すべて実体験から反省し学びます。一番大切な戦争という実体験がありません。しかし私には恵まれた「創造力」があります。人間としての「良心」という羅針盤、センサーがあります。そのセンサーは「銃を持つな、殺めるな」と叫んでおります。
戦争の恐ろしさは「人間が人間でなくなる」ということです。
良心などを持っていてはとても人は殺せません。銃を打つ訓練、迷彩服に身を固め匍匐前進(ほうふくぜんしん)の訓練、ロケット砲の訓練、限界に打ち勝つための強靭な精神(人間喪失)と肉体の育成。手榴弾、戦車の訓練、高度な殺人兵器の取り扱い方と実践。軍隊とはまさに戦争を遂行するための「人間でなくなるための訓練」です。考えただけでも恐ろしい訓練です。私たちには智慧(ちえ)と想像力があります。基本根底には人間としての良心(愛)があると確信しております。目をつぶって創造力を働かせ、銃を撃ちまくる自分自身を創造すると、涙が止まりません。
これは戦争によって「死」に至らされた1億人を超える「無念の魂の叫び」と共に、戦場で亡くなった『無念の魂』から伝承すべき私の使命です。
人類の最大の目標は、戦争をしないことです。
どれだけ戦争を繰り返し、1億以上の人たちの命がなくなっても、いまだに反省なく争いを続ける人類。もはや言葉がありません。残念ながらすばらしい文明社会を築いてもなおかつ、「戦争を絶対にしないこと」が人類の最大の目標です。それ以外に人類の目標はありません。現在、この第二次大戦の「語り部」は90%以上いません。きわめて危険な状況に突入しております。若者は、戦争ゲーム、戦車ゲーム、過激な格闘ゲームに夢中です。「戦争の悲惨さ」「死者への思い」を想像できていません。
確かに、平和だ!平和だ!と叫んでも戦争はなくなりません。
究極の理想主義を唱えても現実は変わりません。かといって、軍事費を増やせば増やすほど、間違いなく戦争の危険は高まります。最強の軍隊を持てば、戦争を回避できるわけではありません。もはや、人間として人類として戦争をしないための「決死の覚悟」が必要です。
「政治」とは絶対に戦争をしないことです。そのための方策です。国と国が、誹謗中傷しあい、大統領同士がいがみ合い、お互いの目をまともに見ることができない状況は実に嘆かわしい状況です。
戦争を回避するためには、あらゆる「外交努力」が必要です。相手の国の歴史と人民を尊重し、人道的、経済的、共存共栄の道を模索するよりありません。自分の国さえよければいいという自己中(国家中心主義・国益第一主義)は論外です。報復関税、経済制裁は、戦争です。あってはならない、報復手段です。
「敵も味方」もありません。肌の色の濃淡はまったく関係ありません。宗教が違うから攻撃し、絶対的改宗を求めてはいけません。人のものを欲しがってはいけません。弱肉強食を旗印にしてはいけません。独善的正義を語ってはいけません。世界制覇(覇権)をめざしてはいけません。
すべて、すべて、愛とは程遠い行為がいまだ行われております。人間としてのこころのレベルがあまりに低すぎます。
「汝の敵を愛せ」とは真逆の『目には目を』が現実の旗印です。
精神文明のささえとなる、本来の霊性はいまだに幼稚園児並みです。1万年前の縄文時代の縄文人の人々の精神性の方が、いまよりずっとまともな様に見えます。いったい人類はこの膨大な歴史の中で何を学んできたのでしょうか。
【戦争は絶対悪です】
戦争はあってはならない行為。「絶対悪」です。
世の中は、すべて理想と現実からなっています。実際には、それが大きく隔離しているのが今の現実です。残念ながら、すべてが「いいひと」ではありません。これは私でもわかります。性善説というのがありますが世の中のシステムは、基本はこれで成り立っておりますが、現実にはこれを逸脱し破壊し、大きな問題が発生しております。
人間は残念ながら未熟です。すべてが完全なる善人ならきっと法律はいらないでしょう。殺人者がいなければ殺人罪はいりません。しかし、現実には、霊性(人間としての良心のレベル・道徳観、倫理観)も全く違う人達が、この地球上に一同に集まっています。ですから争いが必ず生じます。よって人間の良心に訴え、同時に厳しい法律によってコントロールしてきました。現実には、私のマンションのドアは、二重であり自転車もよく盗まれるのでしっかりカギをかけております。防御しております、自己防衛しております。オレオレ詐欺が、まかり通り「1億総詐欺師」かと思う状況です。ある意味、悪い人がいっぱいいるように見えます。
しかし、戦争では、お話はまったく違います。人間と人間ではなく、民族と民族、宗教と宗教、国家と国家です。
1億対1億です。戦えば、1000万人以上の死者が発生します。
経済が、株価が、不動産が・・・などと言っている場合ではありせん。「完全なる破壊」と「大量死」が待っています。・・・つまり、
人類はどんな理由があろうとも、絶対に、戦争をしてはいけないのです。
私は、1951年(ウサギ年)生まれです。なんと、吉田茂首相の時の「日米安保条約」締結の年に生まれました。
更に、私は70年安保闘争(佐藤栄作首相、安保条約の10年自動更新の反対闘争)の学生運動の真っ只中に、大学へ入学。しかし、その入学式当日は、文学部への革マル乱入で大混乱、即、式典は中止。ノンポリ(政治問題への無関心)の私は、ただただ逃げ回っていました。構内は小さな戦場、とても勉強どころではなく、やむなく退学。こころを新たにして、同じ大学の法学部(別校舎)に再受験、再入学しました。
大学4学年目で、大須賀教授の『憲法ゼミ』を選択しました。
卒論は、私にとっての最大の関心ごとであった「憲法9条」を選びました。(45年前のお話です)
私にとって、この憲法9条は、青春の思い出と共に、絶対に忘れることのない「生命の条文」「人類が生き延びるための条文」です。
2019年、私の現在の思いを、SF小説「ウレラ」に書きました。広大な宇宙には我々よりはるかに進んだ「知的生命体」がいます。
地球人類の戦争を繰り返す悲惨な現状を見て、宇宙人ウレラは悲しみ地球人に語りかけます。
ウレラから人類に対する「最終警告」です。
そのテーマは「戦争と平和」です。原稿用紙で59枚。コールサックの99号に掲載させていただきました。
それは、私からの渾身のメッセージです。
SF小説「ウレラ」はこちらから読めます。
父と戦争(父の画像です)



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