季刊コールサック 2019年3月、97号に掲載。
あなたは今、自信をもって、「俺は生きているんだ!」と断言できますか。生きる喜びで満ちあふれていますか。と、なぜ私が突然そのようなことを言うのかというと、ある人が、今の世の中、人間たちを見て『生きているんだが死んでいるんだか、分からない人たちが多すぎます』と、その人は、こうも言いました『あなたは今、本当に生きているといえますか』と。
人生がなんとなく楽しくない、いや、そんなもんじゃない、もっと深刻です、『もう、10年引きこもっています、外へ出る気力はありません』「ぼくはもう太陽を見たくありません」と。体力も智力もあり、人生で最も華やいだ時期にいるはずの10代、20代、30代の若者が・・・
またある人は、大病を宣告され、「俺もいよいよだめかもしれない」と、あの元気だった彼が、一気に気落ちし老いさらばえて、もう誰にも会いたくないと。
いったい『生きているということは、どういうことなのだろうか』、『生きるための「原動力」とは何なのか』と。
「末期がんと宣告されたがまだ死にたくない」、「この仕事をやり終えないと死にたくない」、「幼い子供たちを残しては絶対に死にたくない」、死は逃れられない絶対的運命、『生きとし生ける者』の宿命です、だが、一歩でも、二歩でも、できるだけ先に、伸ばしたいと思う。やり残したことがまだいっぱいある、なぜ、今なんだ、少なくても今は困る。突発的死亡宣告は、自分の「悟り」「覚悟」を根底からゆるがす。
私は、命を伸ばす、死を遠ざける、そのキーワードが、目に見えない原動力が『生命力』だと思います。ただ、では、「生命力とはなんですか」と、問われると、即答できない自分がいました。自分なりに、生命力とは、人間の目には見えない「気」であり、科学を超えたところにある「生きるための力」だと。これこそが、自然治癒力を高め、生死を決定づける、最終的なキーワードだろうと。
(自然治癒力=自己治癒力⇒人間が本来持っている霊的治癒力⇒セルフヒーリング)
だだし、ここでは、この生命力を支えるもの、冒頭の『あなたは本当に生きていると言えますか』という問いに戻ります。
私の母は、現在93歳ですが、並々ならぬ生命力の塊のような人です。分かりやすい言葉で言うと「死んでたまるか」という言葉そのものの人です。が、しかし、あんなに元気だったのに、さすがに、ここ数年は、著しい体力の劣化が気力を衰えさせ、弱気なことを言うようになりました。まさに、「心」と「体」は連動しているということでしょう。
問題は、体力も知力も十分にありながら「死んでいるように見える人」です。ズバリ、10代から、20代、30代、人生も花盛り、夢と希望に満ちあふれているはずの世代です。にもかかわらず、老人のように見える人、「あなたは、本当に生きていますか?」「それで、生きているといえますか」という問いです。
生きているという生命力を支える、命を支える「3要素」のお話です。
好奇心・創造力・挑戦
これを、3Cの法則といいます。Cは、それぞれの頭文字をとったものです。英語で、
いうとキュリオシティ・クリエイティブ・チャレンジ(curiosity、creativity・challenging)です。すべて、Cではじまります。
つまり、これが、すべてゼロの人を、「死んでいる人」と言います。
世の中、分からない事ばかりです、「なぜ」の連続です。大自然、大宇宙、もっと身の回りの物、たとえば、『携帯』です、孫が私に聞きました「どうして人の声が聞こえるの」究極の質問です。ぼくには、まったく分からない。答えられません。
これは孫の「なぜ」という『好奇心』です。
そして、それを育て生み出すのが創造力です、創造力とは、生み出す力、創り出す力です。音楽、美術、すべての芸術、全ても仕事にも不可欠の要素であり、日常のすべての行為の結果は創造するこころの産物です。創造力は人間が生きていくための不可欠の要素です。そして、その創造力の行使が挑戦です。「やってみよう」というすべての行為が挑戦です。新しく分野に挑むのが挑戦です。愛を打ち明けるのも挑戦です。
「なぜ」という好奇心が、創るという創造力につながり、その行使ともいえる挑戦が、発明発見を生む、その結果が人類が創り上げた偉大な発明品の数々です。驚異の大発見もそうです。科学、医学、物理、量子力学、まさにすべての分野です。
この一連の流れが、好奇心⇒創造力⇒挑戦(行使)です。
日常な小さな出来事にもこの流れで構成されていきます。まさに人間が人間として人間らしく生きるための『3要素』です。『自分は今生きているんだ』と思えるための3要素です。これが、目に見えない「生命力」の一つの正体、「生きているといえますか」の問いに対する答えです。
『生きている』ということは、この3要素の容量で決まります。
故に、人間にとって、最もつらいこと悲しいことは、『創造力』を全く必要としない仕事です。ただ、正確さとスピードだけが要求される仕事。『こころ』をまったく必要としないロボット的仕事です。続ければ、続けるほど、人間は、むなしくなり悲しくなります・・・。
人間は、体力の衰えと共に、気力の衰えと共に、この3要素が、残念ながら少しずつ衰えていきます。だが、体力が衰えようとも、この3要素が、いっぱいある人もたくさんいます。こういう人こそ、たとえ肉体は衰えたとしても、本当の意味で『生きている人』です。こころが元気な人、はつらつとした人だと思います。
100歳をこえても描き続ける美術家、篠田桃紅(しのだとうこう)、なんと『103歳になってわかったこと』という近著があります。この年齢で異分野の「本」を出せるなんて本当にすごいですね。エベレストへ挑戦し続ける85歳、三浦雄一郎。91歳で現役の囲碁女流プロ棋士、頭脳明晰なる杉内寿子。囲碁こそは、まさに創造力を競うゲームです。多くの人がまさに不屈の闘志で色々な分野で挑戦し続けております。絶対にあきらめない、まだまだこれからだ、そこには、超ポジティブな『こころ』があります。死んでる暇はありませんと。そういう人たちはみんな、死というものを念頭におかない。いい意味で完全に忘却しております。それでいいんです。歩き続けるということ、自然体で生き続けるということです。悩んでいる暇はありません。世俗的な悩みはいりません。
ただし、挑戦といっても、私のようなまったく特別な能力のない凡人は、大それた挑戦は出来ません。私は思います、この年齢(68歳)でできること、今この状況で出来ること、今この肉体で出来ること、たとえば、早朝のすがすがしい公園を散歩すること、そうだ、あしたからウオーキンギをしよう、あしたからお気に入りの『竹内まりや』の「いのちの歌」を毎日聞こう!「コールサックにエッセイを出そう」「あしたのリハビリは、絶対休まないぞ!」、なんでもいいんです。要は、何かをやることです。この世の中は、「時間」と「いのち」で出来ています。立ち止まってはいけません。
いま、100万人の若者が引きこもっています、社会が悪い!確かにその通りです。上司が悪い、そうかもしれません、両親が分かってくれない、私もそうでした。しかし、しかし、解決できるのはあなたしかいません。これはあなた自身の問題です。人のせいにはできません。変えるのはあなた自身です。解決できる力はあなた自身がすでに持っています。生きることは、本来喜びのはずです。
あなたは、ぬくぬくした布団から出てください、携帯を左に置いてください、ゲームをいったんやめてください。大きく深呼吸をしてください、立ち上がって、一歩外に出てください。失敗を恐れてはいけません。まだやっていない事の「取り越し苦労」はやめましょう。あなたは乗り越える力をすでに十分持っています。大丈夫です。心配はいりません。 『喜び』は外で待っています。外には、新しい発見やあなたの好奇心を満たすものがいっぱい待っています。大自然はすばらしい、人間社会も捨てたもんじゃない!書を捨てて街へ出よう、道は必ず開けます。
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